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「小さな物語」懸命に、静謐に 「野呂邦暢小説集成」完結

野呂邦暢

 長崎県諫早市を拠点に多数の小説を執筆し、1980年、42歳で早世した野呂邦暢(くにのぶ)。端正かつ正確な文体で今なおファンの多い作家の作品集がこのほど完結した。『野呂邦暢小説集成』(文遊社)で、最新刊の9巻には、ライフワークで、長崎の原爆をテーマにした未発表作を収録している。
 野呂は37年、長崎市生まれ。母の実家がある諫早市に疎開して原爆の閃光(せんこう)を目撃、被爆は免れたが、小学校の同級生の多くが亡くなった。高校卒業後に上京、さまざまな職を経て、自衛隊に入隊する。除隊後は故郷の諫早に戻り、作家活動を始めた。
 全9巻に104作を収録。単行本化されていないものが49作、未発表も3作ある。編集に協力した元都立高教諭の浅尾節子さんは、「国会図書館で、野呂が文筆活動した間の新聞・雑誌のマイクロフィルムをひたすら見続け、未発表作を探した」と話す。
 野呂の特異性は、故郷諫早で終生執筆し、動かなかったことだ。ただし単純な郷土愛ではない。代表作「諫早菖蒲(しょうぶ)日記」(5巻収録)では、主人公の少女が有明海の泥海で育つ魚くちぞこを「厭(いや)でならない」と独語する。「見るからに愚鈍そのものである阿呆(あほう)めいた顔が諫早会所のだれかれを思わせる」「世の中はこんなものだとでもいいたげなどんよりとした眼」。おとなしく控えめで争いを好まない故郷の土地柄。しかしそれも過ぎれば、事なかれ主義で過剰に空気を読む、いわば「忖度(そんたく)」に流れるだろう。
 一方、派手な事件の起きない地方の日常に潜むさざ波を、明瞭に描き出した。「小さな物語を懸命な口調で語る」(4巻収録「朝の声」)ことに自覚的だった。まさに東京以外、日本は地方の集まりであり、小さな声の集まりなのだ。

長崎の原爆 テーマにした未発表作も

 もうひとつの特異性は、戦争の影だろう。芥川賞受賞作「草のつるぎ」(3巻収録)は自衛隊での体験を描いた青春小説だが、厳しい批判にさらされたこともある。「ベトナムに平和を!市民連合」呼びかけ人の小田実は、野呂作品には戦争での「死者たちの眼」がないと批判、「作者が自衛隊の是非についてどのように考えているのか」と追及した。
 最新刊に収録の「解纜(かいらん)のとき」は、作家畢生(ひっせい)の大作だ。諫早で原爆投下を目撃したルポライターと、長崎市内で被爆した広告マンが主人公。野呂の分身のような2人が、旧満州で行方不明になった父の秘密や、爆心地の復元地図など、失われた時を求めてさまよう。反戦、反核を声高に訴えない。静謐(せいひつ)な文体はそのままに、「死者たちの眼」に再び光を入れようとする。
 忖度だらけの政権による、自衛隊明記などの改憲が現実味を増す。中央を離れ、戦争を声高に語らなかった「小さな物語」の語り口が、今ほど大きく響くときは、ないかもしれない。(近藤康太郎)=朝日新聞2018年6月20日掲載