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「聖と俗 分断と架橋の美術史」書評 自由な広がり見せるバロック論

評者: 間宮陽介 / 朝⽇新聞掲載:2018年07月21日
聖と俗 分断と架橋の美術史 著者:宮下規久朗 出版社:岩波書店 ジャンル:芸術・アート

ISBN: 9784000612524
発売⽇: 2018/05/30
サイズ: 20cm/354p

聖と俗 分断と架橋の美術史 [著]宮下規久朗

 17世紀のイエズス会司祭バルタサール・グラシアンは身過ぎ世過ぎの処世術を説いた本の中で、「物事は実際の中味よりも、見た目がまかり通ってしまうものだ。物事自体の価値があるうえに、さらにその価値を正しく提示できれば、全体の価値は二倍になる。表に見えてこないものは、あたかも存在しないも同然である」(『処世の智恵』東谷穎人訳)と論じている。文芸評論家の寺田透は「バロックの精神」においてこの箇所を取り上げ、物事の実体より外部への現れを重視するグラシアンの考えはバロックの考え方に非常に近い、と論じている。
 聖と俗の分断と架橋を論じる本書も一つのバロック論??絵画や建築の外への現れ方を主題とするバロック論である。
 議論は宗教改革から説き起こされる。聖書主義の改革派は教会から聖像・聖画を閉め出し、結果として、風俗画や肖像画など、世俗的ジャンルの美術を生みだした。この聖俗分断に対し、失地回復と勢力拡大を至上命令とするカトリックの側では、民衆教化のために、積極的に聖画像を利用する。弁論術を駆使する政治家が身ぶり手ぶり、声の強弱や抑揚によって聴衆を惹きつけるように、画家や建築家は美のイデアではなく、見る者の感覚に訴えかける。ある時はリアルに、そしてある時は目の錯覚や幻視を利用して。
 聖と俗の物語はやがて政治世界に転移する。ヴェルサイユ宮殿の国王はあたかもサン・ピエトロ大聖堂の神の如くであり、その華麗な輝きがすべての人々の目に明示されるとき、権力は初めて完全なものとなる。
 本書の面白さは、バロック論を出発点としながら、議論が四方八方に自由な羽ばたきを見せるところにある。例えば、外への現れではなく内への秘匿が神性や権力性の強化につながる場合があるという指摘などは、通例のバロック論の逆を行くだけに、大いに興味をそそられる。
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 みやした・きくろう 1963年生まれ。神戸大教授。美術史家。著書に『カラヴァッジョ 聖性とヴィジョン』など。