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「黒澤明の羅生門」書評 創造/想像力の根にある死生観

評者: 横尾忠則 / 朝⽇新聞掲載:2019年07月20日
黒澤明の羅生門 フィルムに籠めた告白と鎮魂 著者:北村匡平 出版社:新潮社 ジャンル:芸術・アート

ISBN: 9784105071110
発売⽇: 2019/05/29
サイズ: 20cm/301p

黒澤明の羅生門 フィルムに籠めた告白と鎮魂 [著]ポール・アンドラ

 黒澤明監督は、ハリウッド映画の明るさに比べ、日本人の悲劇性を好む体質に対して「僕はただ、国民映画を一番美しく、一番美しくと考えて行く」と述べた。政府の検閲は日本的なものを守る限り黒澤の発言は大歓迎であった。そしてその言葉通り「一番美しく」という題名の映画を後に妻となる矢口陽子を主役にして撮った。
 と、ここまでの話を聞いていると体制的な国策映画のように読みとれなくもないが、世界を驚愕させた「羅生門」はこの世のものでないかのような悲劇的美しさに?然としてしまう。そんな世界の評価に比べて、日本人の評論家の「思想かぶれ」の論客たちは「思想の欠如」と切り捨て、訳のわからない「小難しい、こじつけの理論」を振りかざす。例えば「七人の侍」を「村を襲う盗賊がアメリカ人の象徴だ」と稚拙な論理で決めつけて人の足を引っぱるような日本の批評家たち。三島由紀夫は黒澤を「中学生並みの思想」と嗤う。
 言論人の多くは、視覚言語が内蔵する美の霊力の感知能力の欠如によって、過去に日本映画の名作を無視してきた経緯がある。本書の著者はアメリカ人で、日本人に代わって黒澤映画の美の普遍性をコンコンと諭しながら日本人に自信を与えてくれる。と同時に、黒澤映画を越えて日本の創造力の根底に流れる死生観をクローズアップ。その方法は、黒澤の自殺した活弁士の兄丙午(へいご)の死を映画の基底に位置づける。黒澤映画のほぼ全体に通底する死を「羅生門」の死んだ侍の霊魂のように、検非違使の庭で巫女の口を通して如何に自死を選んだかを語るシーンが、能のシテが亡霊となって怨みを晴らす情景とどこか一体化する。著者は黒澤の内在する死の表現に丙午の死を影としてシテのように語る。
 ぼくは感応しながらこの高度な「羅生門」とアキラ・クロサワ論を能のワキの人物になったつもりでじっくり鑑賞したのだった。
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 Paul Anderer 1949年生まれ。米コロンビア大教授(日本文学、映画、批評)。『異質の世界 有島武郎論』。