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「文化がヒトを進化させた」書評 集団の知識共有し、まねる能力 朝日新聞書評から

評者: 長谷川眞理子 / 朝⽇新聞掲載:2019年08月24日
文化がヒトを進化させた 人類の繁栄と〈文化−遺伝子革命〉 著者:ジョセフ・ヘンリック 出版社:白揚社 ジャンル:生命科学・生物学

ISBN: 9784826902113
発売⽇:
サイズ: 20cm/605p

文化がヒトを進化させた [著]ジョセフ・ヘンリック

 ヒトという動物は、確かに優れている。この地球上のほとんどに分布し、石油などエネルギー源を自ら持ち、各地の生態系を改変している。では、一人の人間はどのくらい賢いのだろう?
 私はと言えば、電車の運転はできないし、コンピューターを使ってはいるものの、たいしてプログラミングなどできない。最近は、車が壊れたって自分で直すなんて不可能だ。人間全体としては、もっとも優れた生物という評判を謳歌しているのだろうが、私が一人で無人島に放り出されたら、ほとんど何もできない。本書には、こんな例が数多く収録されている。
 ヒトは、強力な牙も爪もなく、か弱い存在だが、認知的にも、この瞬間に見たことをどれほど覚えているか、それに基づいてどれほど素早く、ある特定の作業ができるか、というような能力を個別に測ると、実際、大学生よりもチンパンジーの方が優れている。
 この、個人としての無力さと、ヒト集団全体としての圧倒的な力との差は何なのだろう? それは、文化の力である。ヒトが世界を制覇できるのは、文化を持っているからだ、という意見は、かなり古くから提唱されてきた。それは、確かにその通り。しかし、文化とはいったい何で、どうしてこれほどヒトを強力にできるのだろう?
 文化とは、ある社会集団の構成員が共有している知識の総体である。食物をどのように獲得するか、個人間の争いをどのようにして仲裁するか、死後の世界はどんなものだと思うか、何をしてはいけないか、どんな服装をするべきか、すべては、文化が決めている。それは、長い時間をかけて、その集団全体が蓄積し、改良してきた知恵の集大成である。だから門外漢が急によその土地に行っても生きられないのだ。
 では、なぜヒトだけがこんな文化を持つことができるのだろう? 文化を持つために必要な能力とは何か? ここで初めて、文化というものを獲得し、それに改訂を加え、さらに次世代に伝達していくために必要な、ヒト固有の生物学的本能の話になる。そう、赤ちゃんの真っ白な心に文化が何かを描き込んでいくと言っても、描き込めるための本能が赤ちゃんには必要なのだ。それは他者の表情や行為を観察し、お手本となる人のやり方をまねようとする能力だ。
 だから、ヒトの優秀さのもとを解明しようとすれば、ヒトがどのように他者と知識を共有し、他者から学ぶのかの詳細を解明せねばならない。ヒトの行動や心理の説明としては、長らく、遺伝か環境かという、いわば不毛な論争が続いていた。本書は、私たちが今、この論争に最終的な決着をつけることができる可能性を示している。
    ◇
 Joseph Henrich ハーバード大教授(人類進化生物学)、ブリティッシュコロンビア大心理学部および経済学部教授。航空機エンジニアとして勤務後、人類学を学び直し、学際的な経歴と知識を持つ。