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「なぜ脳はアートがわかるのか」書評 鑑賞者の情動 揺さぶる抽象画

評者: 長谷川逸子 / 朝⽇新聞掲載:2019年09月07日
なぜ脳はアートがわかるのか 現代美術史から学ぶ脳科学入門 著者:エリック・カンデル 出版社:青土社 ジャンル:芸術・アート

ISBN: 9784791771752
発売⽇: 2019/06/22
サイズ: 20cm/216,24p

なぜ脳はアートがわかるのか 現代美術史から学ぶ脳科学入門 [著]エリック・R・カンデル

 イタリアを車で縦断した時、ほとんどの美術館がルネッサンス期のミケランジェロの作品やフィレンツェの画家たちの宗教画で埋まっているのを観て驚いた。パリは印象派作品、アメリカでは抽象画やポップアートが美術館を占めていた。こうした傾向はアートの歴史と関わるのだろうとなんとなく考えていた。
 本書は抽象絵画の魅力を脳科学の視点から解説するものだ。脳科学によれば、馴染み深い風景や肖像を描いた具象画を鑑賞する際には、先天的な知覚システムによるボトムアップ処理、既知のイメージを削ぎ落とした抽象画を鑑賞する際には、鑑賞者自身の創造性がより強く召喚されるトップダウン処理が活性化する。そのため、抽象絵画はより強く鑑賞者の情動を揺さぶるというのである。
 そして、情動を統制する扁桃体と強く結びついた部分が、色や顔に関する情報を処理する。顔認識と肖像画、フォルムの知覚とモンドリアンの作品、色の知覚とロスコの作品。脳科学の視点から見事に解説されると、あらためて優れた芸術家の直観の確かさに感服する思いである。
 カンデルは、「抽象芸術が鑑賞者に豊かで活発かつ創造的な反応を引き起こす理由」の手がかりをある程度得られたとしている。私の師・篠原一男は住宅空間の抽象化に挑み、伝統的な住宅空間を昇華した「白の家」、黒や赤を用いた「地の家」などを残している。建築にはどうしても抽象化しきれない部分が残るが、光の空間そのものを与えるタレル作品では、鑑賞者は自分自身の創造性を最大限に求められほとんどスピリチュアルな次元にまで到達する。しかし、それが日々の生活とともにあるべき空間かどうかは疑問ではある。日々の生活や活動はもっと身体的で具体的な要素や五感からなっている統合的なもので、具象芸術の復権とあわせて、その意義の解明をこれからの研究に待ちたい。
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 Eric R.Kandel 1929年ウィーン生まれ、脳神経科学者。00年ノーベル医学生理学賞。著書に『記憶のしくみ』など。