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【谷原店長のオススメ】言い表しがたい読後感が胸に渦巻く、桜木紫乃『ラブレス』

 はてしない負の連鎖。呼吸も止まるほど濃密で、わかりやすい救いなど無い世界。生きる意味を問い直したくなるような、重い一冊に出逢いました。書評家・瀧井朝世さんに紹介していただいた『ラブレス』(新潮社)。読み終えた瞬間から、言葉にならないさまざまな思いが僕のなかで渦を巻いています。

 著者は北海道出身・在住の作家、桜木紫乃さん。北の大地に生きる人々の息遣いや葛藤、そして寂寥感を丁寧に紡ぐ作風で知られます。

 今作で描かれるのは、北海道東部、父親の酒と暴力に支配された家に生まれた「百合江」の生涯。開拓村から奉公に出され、そこから逃げるように旅の一座に飛び込み数々の荒波に翻弄されます。諦めながら、赦しながらも、しなやかに生き抜く彼女の姿が、圧倒的な筆致で描かれています。百合江とは対照的な性格の妹・里実や、姉妹を取り巻く様々な人物が、時を超え場所を変え、彼女の流転の一生に彩を顔を出します。

 極貧の開拓民の、荒んだ暮らし。その後に始まる根無し草の暮らし。一時は吹雪もやみ、恋の花が咲いて、春の芽吹きさえも長くは続かず、何度も雪崩に巻き込まれ、百合江は突き落とされます。そっと温かく見守ってくれる人もいるというのに、彼女はけして寄りかかろうとしない。どんな場面においても、百合江は執着しないのです。

 なかでも強く心を揺さぶられたシーンがあります。それは、百合江自らが腹を痛めた子の身に起こった或る事件と、その後の展開です。特に、事件から数十年にわたって彼女がとった行動は、そうした彼女が正しいのか、幸せを導く答えであるのか、僕にはとても答えが出せそうにありません。僕が男だからなのか、それとも時代背景からくるものなのか。北海道の土壌がそうさせるのか。なぜ百合江はそうしたのか…彼女は自分の思いを胸に秘めたまま語りません。

 妹・里実の生きざまは、百合江とは明確に異なります。里実は野心が強く、上昇志向の塊のような女性。社会的な、そして家庭内の立場へ固執します。何事にも執着しない姉とこだわり続ける妹…この姉妹の対比がじつに面白い。ただ妹も幼少の頃、悲しい過去を背負ってきたことで、こういう性格になってしまったのだと頷かされます。彼女も時代に翻弄された女性なのです。

 女性については丁寧に描かれているのに、この物語に登場する男どものクズさ加減といったら……。身勝手、狡猾、弱さが凝縮し、ほとんどの男が彼女を窮地に突き落とします。たとえば、姉妹の3人の弟は、これでもかというほど、腐った人間として描かれます。はてしなく卑しくて、無神経で、行間からすえた匂いが漂って来るほどです。非識字者の母・ハギを酔っては殴り続ける父・卯一の野卑な振る舞いも然り。百合江の恋の相手・宗太郎は旅芸人の女形。彼に夫と父親の役割はできません。その後に出てくる姉妹の婚約相手たちも……。同じ過酷な状況に置かれてもしなやかにたくましく生き抜く女と、辛い環境に心が折れてしまっている男。百合江と里実の、芯の強さ、美しさが際立ちます。

 美談で終わるような生易しさはこの物語にはありません。それだけに、一言ではなかなか語りにくい本だと思います。読後感は決して良くはありませんが嫌ではない。リアルなんです。姉妹のそれぞれの娘たちの物語も並行して描かれますが、それはまさに「負のスパイラル」。母から子へ受け継がれる業からは時代を超えてもなお抜け出せない。絡まり合った不幸の鎖はほどけません。

 過酷な現実が次から次に押し寄せる物語を読んでちょっと胸に手をあてて考え込んでしまいました。僕は妻に、家族に、この物語で登場した男たちのようなことはしてないかなと、自己弁護ですが身勝手なのは男だけじゃない。「女性ならではの身勝手さ」 だって、きっとあるはずです。ジェンダーで、あれこれ断じて語るのは好きではないけれど、男と女、どっちが「良い悪い」じゃない。所詮は人間、勝手なものです。 けれど彼女にとってはそれが救われる唯一の方法だったんでしょうね。自分ではなくみんなの幸せのための。

 余談ですが、北海道出身の俳優・大泉洋君と初めて仕事をした時、あまりにも彼が北海道への愛をとうとうと喋り続けるので、「そんなに北海道が好きなら、帰れば良いじゃん!」と言ってしまったことがありました。横浜で生まれ育ち、「田舎」を持たない僕にとって、幼い頃夏休みのたびに田舎へ旅立つ友達が羨ましく、置いていかれる寂しさを味わっていました。そんな田舎がある者に対する嫉妬に近い感情を思い出し、大泉につい言い過ぎてしまったな……。苛酷な日々を経て、自らの祖先が切り拓いた土地に対し抱く思いはきっと、道産子だけが共有できる特別な感覚なのでしょう(アイヌの方々は、また異なる想いをお持ちでしょうが)。この本に出てくる登場人物からも、道民が北海道に対して抱く複雑な思いを随所に感じることがありました。……大泉に謝らないとな。

 桜木さんの描く世界に惚れ込んだあなたに。やはり北海道が舞台の『ホテルローヤル』『起終点駅 ターミナル』をぜひお薦めします。(構成・加賀直樹)