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歌人・高田ほのかの短歌で味わう少女マンガ 東村アキコ「東京タラレバ娘番外編 タラレBar」

ケーキは主食になれない。

私のなかで『東京タラレバ娘』本編よりさらに熱かった、巻末の『東京タラレBar』が、『東京タラレバ娘番外編 タラレBar』として帰ってきた…!
「タラレBar」とは、東京の片隅にひっそりと佇むBARを営むタラの白子(タラマスター)とレバテキ(レバーテンちゃん)が、店を訪れるタラレバ女子(東村アキコ先生に恋愛相談の手紙を出した女性たち)の相談に夜な夜な乗ってくれる…という、非常にありがたいマンガです。

先生の絵は、すごく動いている。タラレBarでも、タラとレバーのキレッキレの名演技に乗せられ、ずんずん読み進めてしまう。
レバーテンちゃんは、タラマスターの発言に対する我々の疑問を代弁したり、ときに優しくフォローしてくれる。
タラマスターは相談者の悩みの核を瞬時に読み取り、スバっと回答してくれる。
このBarには、先生の天性の直感力と愛、そしてエールが溢れているのだ。
私はタラの導いた格言を読むと、いつもそれが唯一の真実に思えてならない。
なぜ、東村アキコ先生の…訂正。タラマスターの回答はこんなに説得力があるのだろう。
その謎を、“いい短歌を詠むために必要な感覚”という視点から考えてみたい。

人を惹きつける短歌には、一首のなかに「こんな表現あるんだ!初めて見るよ」という、読者が驚くワードが必ず埋め込まれている。読者はこの驚異の感覚に触れることで、最終的にその短歌に共感してしまう。(歌人の穂村弘さんが共感〈シンパシー〉と驚異〈ワンダー〉の感覚と名付けている。言い得て妙…!)
たとえば、こんな歌。

廃屋の紅梅今年も咲きいでて屋根をおほえる花のあかるさ 石川不二子

一般的に、なにかが覆うと、覆われたほうは暗くなる。しかし、この歌では廃屋の屋根を覆う“紅梅のあかるさ”という意外性を提示することにより、読者に驚異の感覚を与えている。
そして、一首を読み終えた読者の脳内には、驚異を経た、“眩しい廃屋”という共感の感覚が満ちるのだ。

タラレBarには、この共感と驚異の両方が含まれている。

実際に先生の元に届いたこの相談から分析してみよう。

相談者は、妻と3人の子供がいる彼と不倫をしていて「今の人以上に良い人が現れるのを待つか、自ら動くか」、「今の人を上回る人が本当に出来るか不安」と言う。彼は、どちらも手放したくないようで、妻は「母として好き」私は「恋人として好き」と言っているありさま。彼以上の人が現れるのだろうか?という不安が勝って、今の現状を打破出来ない。今の人以上の人は現れるのかそれとも自ら合コンや婚活パーティーに出向いたほうがいいのか・・・?

この相談を読んだタラが、「ちゃ…茶色いクラフト紙の便箋に鉛筆書きっていうね…」というと、レバーが「手紙から薄幸オーラが漂ってるレバね…」と、さりげなく盛り塩を持っていたり、「げえっ 丁寧なイラスト! このための鉛筆描きというわけか!」と、驚くタラが突然、三国志の登場人物になっていたりする。(ぜひ本誌をご覧いただきたい。)
読者は盛り塩、三国志という意外なアイテムの導入に驚く。それが瞬時に共感の感覚に変わり、笑いを噛み締めながら読み進めていく。
タラは不倫から抜けきれずにいる相談者にこうかまします。

いい女ってのは自分の人生を自分の力で切り開いていく強い女のことタラ
あなたは優しい女 聞きわけのいい女のようだけど
それじゃいつまでも捕食される側タラ

ガーン
そうか・・・だからいつもうまくいかないんだ。
的を射すぎて涙がちょちょ切れるよ。

続けて、タラはこう放つ。

ⓒ東村アキコ/講談社

・・・ケーキ!!!!!!

想像の上をいく例えに、我々は一瞬驚愕する。
それから、
ああ・・・確かにケーキはおいしいけど主食になれない。
から揚げやしょうが焼きには永遠になれない…。
確かに、確かにそのとおりや・・・と、ケーキに自分を重ね合わせながら、共感の感覚が襲ってくる。
この、驚異から共感のシステムこそが、「タラレBar」最大の奥義だと思う。
こうして相談者は、いつの間にか“東村アキコ信者”と化すのだ。

目が覚めた相談者に、もう涙はない。
「今日のタラレバ格言:スマホぶっ壊して他社に機種変 それ一択」をふるふると見つめながら、一回限りの自分の人生が始まっている。

月並みなケーキでいいの?と声がする 最後に打った文字はハレルヤ!