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古井由吉さんをしのぶ 哲学者・柄谷行人さん寄稿 エッセイ=実験、静かに貫いた 

2月18日に82歳で亡くなった古井由吉(ふるい・よしきち)さん(中央)。中心になった朗読会では、柄谷行人さん(右)、町田康さんらが参加した=東京・新宿のバー「風花」、2010年撮影

 僕が初めて古井由吉の作品を読んだのは、1968年だったと思います。最初の小説「木曜日に」がこの年の初め同人誌に載っただけで、彼はまだ作家とは言えなかった。僕も批評家になっていなかった。漱石論で賞をもらう前の年でしたから。

 古井の作品を読み始めたのは、中上健次が熱烈に褒めていたからです。中上と知り合ったのも68年で、彼がデビューする前の年でした。彼は、津島佑子らと一緒に同人誌で書いていた時期なので、他の新人の動向に敏感だったのでしょう。僕も読んで感心した。小説というよりエッセイ的に書かれていて、その語り手が、熱病、不眠症みたいな状態にあって、そこからいつの間にか普遍的な構造がつかまれる。

 僕も中上も古井より年少ですが、同じ文学世代だという意識があった。実際、僕が初めて論じた同時代の作家は、古井です(71年「閉ざされたる熱狂」)。あれを書きながら、自分の居場所がわかった気がした。だから、ずっと僕の中で生きているのは当たり前ですね。それは文学批評をやめても、同じです。

 初めて彼と会ったのは、「杳子(ようこ)」で芥川賞をとった頃(71年)かな。昔から、おっとりした人でした。会うのは、だいたい「風花」(新宿にあるバー)でしたが、彼はいつも静かに飲んでいて、僕が酔っ払ってワーワー言っていても、彼はまったく変わらない。去年の秋に会ったときも、にこやかで静かでした。最後の「文士」だと思う。

 彼は80年代半ばごろ、小説らしい小説を書くのをやめたんじゃないかな。一見すると、エッセイ風です。しかし、エッセイとは、本来「試み」、「実験」という意味でしょう。その意味でなら、彼の作品は常にエッセイだったともいえます。同じ頃、僕は文芸批評から離れて、哲学や理論に向かっていった。「探究」と題する論考から始めて。それはエッセイなんですよ。古井さんも、そのことをわかってくれていたと思います。

 だから、同年代といえる文学者の中で、自分に一番近いのは古井さんだったような気がします。彼はエッセイ=実験を静かに続けてきた。ものすごくラディカルな人でしたね。同時代に古井さんがいたことをありがたく思う。(構成・滝沢文那)=朝日新聞2020年3月4日掲載

>【追悼】古井由吉さん 好書好日の掲載記事から