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【谷原店長のオススメ】息苦しい時代を生き抜く極意がつまったエッセー集 北方謙三『生きるための辞書 十字路が見える』

 旅に出かけ、ひとと会い、泣いて笑って、美味しいものを食らいたい。日々の生活を慈しみ、何よりも友の顔がまた見たい――。そんな気持ちでいっぱいになる一冊に会いました。北方謙三さんの『生きるための辞書 十字路が見える』。こんな今だからこそ、心にたっぷり栄養をくれる本を皆さんと共有したいと思います。

 言わずと知れたハードボイルド作家であり歴史小説家。彼といえば、熱く、男気に満ちた印象を思い浮かべますよね。僕が最初に北方さんの存在を意識したのは、イロイロなことで悶々としていた中学生の頃でした。当時、北方さんは若者向け雑誌で人生相談コーナーを連載しておられ、毎回、まっすぐに僕らに向き合い、熱い言葉で勇気づけてくれていたのです。ここではちょっと書けませんが、有名な「喝」のセリフがありますよね。教室ではクラスメート皆で回し読みしながら、「カッコつけたオッサンだなァ」などと言い合っていました。でも、僕自身、いつしかその熱さの虜になってしまい、北方さんの本を読むようになったのです。

 特に『三国志』『水滸伝』。それから『楊令伝』。こうした作品に描かれている、雄大な大地を駆けめぐる男たちの武骨な生きざまには、ただただ痺れます。食べたこともないような珍しい料理。友との別れの寂寥。そして、それでも突き進んでいく躍動感。原初的で迫力満点。物語に映し出される色彩の「濃さ」が、僕の暮らしのなかで見えている色とは濃度がまったく異なるのです。

 今回の本には、数々の著作を記し、歳月を経て実感された、北方さんの「極意」が詰め込まれています。ご家族や友の情、旅の意味などについて、細かな索引ごとに濃密な筆致で描かれています。この本のタイトルが「教科書」ではなく「辞書」となっているのも、大きなポイント。上から目線で教示するもではなく、ご自身の経験に基づいて、「俺はこう思うよ」と語る。読んだ人は必要なことだけ参考にして、自分なりに、自分の生き方を編纂していけ、というメッセージが込められている気がするのです。

 「旅」「食」「家」「友」などのカテゴリーにまとめられていて、ある意味これを見れば、北方謙三と言う人間がわかる。北方さんが何を大事にしているのかがわかる章立てになっているのも興味深いですね。「老いと闘い、逃げて勝つ」とか、「心を保つために必要なもの」とか、息苦しい時代を生き抜くコツが書いてあり元気が湧いてきます。感じるのは志を持つことの大切さ。そして、「清濁を併せ飲む」ことの意味。つまり、自分自身でバランスを取り、現実の中でいかに折り合いを付けるのか。改めて考えさせられます。

 行動に出ないで閉じこもっていれば、傷つくこともない。その代わりに、何の出会いも感動もない。そのうち、人生の色彩さえも失ってしまうかもしれない。反対に、何かしら行動を起こせば、ケガをするし失敗もあるかも知れない。ただ、思いもかけない出会いや発見があったり、道が開けたりもする。「じゃあ、お前はどういう生き方を選ぶ?」この本で北方さんは、まっすぐな視線で問いかけてくるのです。

 実際の北方さんに初めてお会いしたのは、「好書好日」で2019年春に開かれたイベント。最初は緊張しました。だってボクのなかの北方さんは無頼漢。男臭くて、一言で言えば「ハードボイルド」。ところが実際の北方さんは、メチャクチャ可愛らしい方! 会場の皆さんを笑わせ、とにかくよく喋り、よく笑う。「生きている」ということをご自身が思いっきり楽しんでおられるのが、ひしひし伝わってきました。あの時も、ここでは書けないような話ばかりされては、会場を大いに盛り上げました。参加されていた皆さん、あの時間、楽しかったですよね!

 後日、飲みにも連れて行って頂きました。この夜も痛快でした。行く先々のお店で店員さんやお客さんに絡みまくり、ツッコミまくるんです。そのツッコミ自体が、実は北方さんなりの気遣いなんですね。周囲の皆さんもニコニコで、男からも女からも圧倒的にモテる。アラン・ドロンではなくゲンズブール。武骨さと愛嬌が同居した方です。僕もあんなふうになりたいな。道のりはまだまだ遠い……。

 この本で北方ワールドにハマったあなた。僕の原点でもある伝説の人生相談『試みの地平線』をぜひお薦めします。時間の余裕のあるかたは、ぜひ『水滸伝』の世界にも浸ってみてください。

 コロナは僕自身の生活も一変させています。今、撮影は全て止まってしまい、家にこもる日々を送っています。毎朝7時すぎに起きたら、まずは読みたかった本を読み、子どもが起きてくる頃に朝ごはんをつくります。そして、昼ごはんをつくり、夜ごはんをつくり、眠る。そんなふうに時間が過ぎていきます。この仕事を始めて20数年、こんな経験は初めてです。

 人生観や仕事との距離、そして家族との関係性について、考えることもしばしば。子どもたちが塾や部活に忙しかった頃は、家族全員で食卓を囲むことは稀でした。ケンカもする時はありますが、とても貴重です。いつかこの日々を、あの時は大変だったねと思い返せる日が来ることを、今はひとえに願っています。(構成・加賀直樹)