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「エゴ・ドキュメントの歴史学」書評 一人称史料に現れる自己を解読

評者: 戸邉秀明 / 朝⽇新聞掲載:2020年06月13日
エゴ・ドキュメントの歴史学 著者:長谷川貴彦 出版社:岩波書店 ジャンル:歴史・地理・民俗

ISBN: 9784000223034
発売⽇: 2020/03/31
サイズ: 22cm/273p

エゴ・ドキュメントの歴史学 [編]長谷川貴彦

 個人の主観性や内面はいかに発生するのか。哲学や心理学の守備範囲とされる課題に、いま歴史学が取り組んでいる。解明の鍵はエゴ・ドキュメント、つまり手紙や日記など、一人称で語られ、書かれた史料にある。従来は事実を確定する典拠に使ってきたものを、自己(エゴ)が生まれる起点として捉え直す試みが進行中だ。
 本書では、そうした欧米の動向に詳しい編者のよびかけに、国内外の8人の歴史家が応答する。時代や場所も様々な各章は、時に欧米中心の見方を相対化し、時空を越えた共通性を浮かびあがらせる。なかでも興味深いのは、読み書き能力(リテラシー)を抑えられてきた人々が、書くことを通じて、主体として歴史に現れる瞬間だ。
 たとえば中世イタリアの魔女裁判。魔術の証(あかし)となる技能をどう習得したかを、一人の女が綴る手記が残された。一連の史料には、審問官の自白誘導や書記による手記改竄(かいざん)の跡が見られ、当時の社会が「彼女を彼らの期待する魔女に創り変えた」抑圧が刻まれている。だがそこに、隠されていた自筆の「告白」を対照させて読み解くと、知識を不断に探求する意義を確信に満ちて語る自己が姿を現す。
 また集団放火事件を起こして経営者の不当を訴えた江戸の遊女たちは、劣悪な待遇や暴力を書き留めていた。話し言葉を多用した一見稚拙なその「日記」からは、遊郭の絶望的な環境を書くことで把握し、熟慮の末で決行に至るまでの内面の変化がうかがえる。しかも複数の「日記」を照合すれば、遊女間の競争や「個として生きることを過大に要求される」遊郭の世界でこそ、彼女らに特有の自己が作られた理由がわかる。
 史料への眼が変われば、個の徹底した分析の先に、社会の構造も新たに見えてくる。編者がこの試みを、「下からの社会史」の延長線上に置くのも肯(うなず)ける。自分史や民衆思想史研究の水脈を有する日本で、本書の問題提起がどう活かせるか。その行方にも注目したい。
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 はせがわ・たかひこ 1963年生まれ。北海道大教授(近現代イギリス史、歴史理論)。『現代歴史学への展望』など。