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ディケンズ「デイヴィッド・コパフィールド」 多彩な登場人物「国民的」に

Charles J.H.Dickens(1812~70)。英国の小説家

桜庭一樹が読む

 今作の登場人物ほど、欧米のドラマや映画で言及されがちな人々もいなかろう。日本でいうところの『忠臣蔵』の人物や戦国武将みたいに、例え話で名前を出せばツーカーで伝わる“国民的人物”たちなのだ。

 とはいえ実は、わたしは長いこと未読で、人生の課題本の一つとなっていた……。

 舞台は十九世紀のヴィクトリア朝ロンドン。健気(けなげ)な孤児デイヴィッドが、苦労の幼年時代、恋と友情の青年時代を経て、作家として大成する姿を描く、堂々たる自伝的大河小説である。

 黒霧に覆われたバビロン的都市の、上品な上流社会から下層社会までを、物語は自在に疾走する。全ての人間がここに存在すると言っていいぐらい多彩な者どもが入り乱れる。善人も悪人もいるが、誰の資質も、業の深さからどうしようもなく生まれてしまったもので、作者から深く赦(ゆる)されている。この時代の小説には宗教的教訓を教えるものが多いらしいので、ディケンズのケレン味ある筆は挑戦的な新風だったのかもしれない。

 一方で、現代の価値観で読むと、階級の問題、男女の役割などで引っかかってしまう部分もある……。それに、下層社会から這(は)いあがり紳士を目指す悪役ユライアや、暴力事件のサバイバーで苦悩を隠して暮らす女ローザには、著者の価値観とは異なる気持ちがあふれて戸惑いもした。古典を読む時こそ、新しい目を持ち、様々な価値観のうちの何が普遍で何がそうでなかったかを、己の判断で精査せねばならないと改めて思った。

 逆に、普遍の人間像だと感動したのは、ありのままの姿で暮らすミスタ・ディック、手に職をつけ強く生きる侏儒(しゅじゅ)ミス・モウチャーの生き様だった。社会や他人の物差しに侵食されて己の価値を見失ってしまうことなく、“この世にたった一人の素晴らしい私”でいる――。そんな尊敬に足る“国民的人物”たちが、一冊の本の中で永遠の今この時を生きている。これぞ、古典が古典として読み継がれる理由なのだろう。=朝日新聞2020年10月17日掲載