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いちからわかる「鬼滅の刃」の魅力 2020年最大のヒット作、他のマンガにない3つの要素

文:若林理央

 『鬼滅の刃』がブームになってから早くも1年が経った。

 「どういうところがいちばん面白いの?」とまだ『鬼滅の刃』を読んでいない友人から聞かれるたびに、あらすじを細かく話すよりも「私は週刊少年ジャンプを20年近く読んでいるが、2016年の連載開始から毎週いちばん先に読んでいたのは『鬼滅の刃』だった」と説明したほうがわかりやすい気がしている。

大正時代が生み出す幻のような世界

 『鬼滅の刃』の時代は大正、舞台は東京である。

 大正という時代を聞いて、何を思い浮かべるだろうか。1912年7月から1926年12月までと前後の明治や昭和と比べれば短い時代だった。しかし大正3年から大正7年まで第一次世界大戦があり、大正12年には関東大震災があったことを忘れてはならない。日本も世界も大きく揺れ動いていたのがこの時代なのだ。

 『鬼滅の刃』では大戦のことも震災のことも、大正デモクラシーのことも描かれない。ただ当時の服装や風俗は作中に反映されている。多くの人々は信じていないが、『鬼滅の刃』の世界では平安時代から長い間、人を食らう鬼が世の中に存在している。もちろん鬼に大切な人を殺された人々もいる。彼らのうちの一部は苦しい鍛錬を積んで、鬼を壊滅させるための部隊「鬼殺隊」の入隊試験を受け、合格すれば鬼と戦うことができる。鬼と鬼殺隊との死闘が『鬼滅の刃』の軸である。これは人間対「元」人間の戦いとも言い換えられる。鬼たちは全員がもともと人間だった。彼らは鬼によって鬼に変えられ、人を食べながら長い時を生きることができるようになった。

 作者は他の時代ではなく「大正時代」を切り取る。「大正時代という短い期間に織りなされる幻のような物語」という縛りがあることで、かえって鬼という非現実的な存在がはっきりと浮かび上がってくるのだ。

ジャンプ王道のバトル要素

 『鬼滅の刃』の連載が始まる前、私は週刊少年ジャンプで作者・吾峠呼世晴(ごとうげ・こよはる)さんの読み切りをいくつか読んでいた。2019年10月に『吾峠呼世晴短編集』が発行されたおかげで読めるようになったものばかりだ。ダークな雰囲気と少年漫画らしさをあえて捨てたかのような厭世観が漂う物語ばかりで、他のジャンプ漫画とは一線を画していた。読み切り漫画で登場するダークヒーローたちは個性的で時折悪役のようにも見える。痛みや苦しみを率直に描きながらも画風がレトロなので、そこまでグロテスクだとは感じない。吾峠さんは『鬼滅の刃』連載開始前から、コアな少年漫画ファンの注目を集めていた新進漫画家だった。

 満を持して初連載『鬼滅の刃』が始まったとき、心が昂ったのは私だけではないはずだ。

 今や週刊少年ジャンプは子どもだけのものではない。大人も読んでいる。世代を問わず読者たちは「この漫画は今までのジャンプには存在していなかった世界を見せてくれるのかもしれない」と期待した。

 かつてバトル漫画でトーナメント戦をする魅力を示した『幽☆遊☆白書』や、ギャグの域を超えてジャンル分けできない世界を生み出した『銀魂』のように。

 初回からほの暗い雰囲気が吾峠さんらしいなと思ったが、予想していなかったこともあった。主人公の竈門炭治郎(かまど・たんじろう)がダークヒーローではなく、仲間や妹思いの、正義感あふれる人物だったことだ。「読み切りのように少年漫画らしくない人を主人公にするのだろうな」と予想していたので驚いた。

 正義感あふれる主人公は少年漫画の王道とも言えるだろう。『鬼滅の刃』連載開始時に既に週刊少年ジャンプの代表作だった『ワンピース』の主人公ルフィも海賊とはいえ明るく仲間思いだし、時代を遡れば社会現象になった『ドラゴンボール』などもそうだ。炭治郎は少年漫画のヒーロー像からぶれない人物である。

 また、本作は「バトル漫画」というジャンルで見ても少年漫画らしさを貫いている。炭治郎はいちばん上の妹竈門禰豆子(かまど・ねずこ)以外の家族を殺され、禰豆子を鬼にされる。鬼殺隊に入隊し鬼を倒していくが、敵をひとり倒しても次の敵はもっと強い。炭治郎自身、より鍛錬を積んで強くなっていく。強い鬼と戦っていくうちに、自分が加入している鬼殺隊の同期や鬼殺隊最強の「柱」と呼ばれる隊士たちとの絆も深まり、最後はラスボスと対峙する。これ以上ないバトル漫画の王道だ。

兄妹姉妹へ、鬼たちへ、寄せる思い

 それでは他の漫画にはない『鬼滅の刃』だけの面白さとは何なのか。

 三つ挙げられる。まず一つ目は、「兄弟姉妹の絆」がたくさん描かれることだ。主人公の竈門兄妹だけではない。本作で登場する数々の兄弟姉妹は、鬼によって運命を狂わされる。両方、もしくは片方が鬼になってしまった兄弟(兄妹)もいれば、家族を殺されたなどの理由で両方が鬼殺隊に入った者もいる。それぞれの兄弟姉妹に異なるドラマがあるが、彼らに共通しているのは他の兄弟姉妹を思いやる心、そして肉親との強い絆だ。それが丹念に描かれる。

 二つ目は吾峠さんの画風である。これは読み切り漫画にも共通している点だ。全編を通し物語に横たわる「暗さ」を描くのが巧みなのだ。この「暗さ」とは物語の内容ではなく雰囲気を指す。鬼の活動時間は夜である。日中の光は鬼を焼き殺してしまうからだ。そのため人間が鬼に襲われたり鬼殺隊の隊員が鬼と戦ったりする時間帯も例外なく夜なのだが、『鬼滅の刃』は言葉で説明しなくても深夜の戦闘であることが暗黙のうちに伝わってくる。吾峠さんはプロの漫画家の中ではものすごく絵が上手な漫画家というわけではない。だが「暗い」絵の個性は他の追随を許さないほどの異彩を放っている。

 そして欠かせないのが三つ目だ。前述したように、すべての鬼はもともと人間として生きていた。だが鬼として長い年月を過ごすにつれて、彼らは人間だった頃の記憶をなくしていく。ただ死ぬ間際、自らの人生を思い出すことがある。その人生は他の登場人物にはわからないが、読者には見える。私たちが「どうしてこんな酷いことができるのだろう」と思いながら見ていた敵(鬼)が、辛い過去を背負っていたと知り、印象が変わるという現象も時折起きるのだ。

 もちろん彼らが鬼として人を殺してきた事実は変わらない。人を殺した者は人間であれ鬼であれ、死後は地獄に落ちるのが『鬼滅の刃』の厳然としたルールだ。主人公の炭治郎が彼らの人間の頃の記憶を知ることも永遠にない。それでも炭治郎は死んだ鬼に同情を寄せる。私たち読者と同じように。

 そんな『鬼滅の刃』がヒットしたのはアニメ化がきっかけだった。臨場感のある美しい作画は話題を呼び、アニメを見て原作漫画を手に取った人も少なくない。だがアニメの素晴らしさは作画だけではない。アニメ制作に携わった人それぞれが、『鬼滅の刃』の少年漫画らしさと共に、本作特有の魅力を理解しなければ、ここまでの反響にはならなかっただろう。アニメには原作にないオリジナルエピソードがある。そこで焦点があてられているのも「人と人との絆」だ。

 10月に映画化、12月にはいよいよ漫画の最終23巻が発売される『鬼滅の刃』。その世界観にぞんぶんに浸るために作中でどのような工夫がほどこされているのか、再確認しながら読み進めてみるのも楽しいかもしれない。