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「時間の終わりまで」 怪しくも魅力的な未完の「物語」 朝日新聞書評から

評者: 須藤靖 / 朝⽇新聞掲載:2022年01月22日
時間の終わりまで 物質、生命、心と進化する宇宙 著者:ブライアン・グリーン 出版社:講談社 ジャンル:物理学

ISBN: 9784065261064
発売⽇: 2021/12/03
サイズ: 20cm/637p

「時間の終わりまで」[著]ブライアン・グリーン

 科学によって蓄積された膨大な知識と情報に基づいて、この世界の起源と未来、さらにはその存在意義自身をも問い続ける。著者はそれを「物語」と呼ぶ。本書では、狭い意味での科学や物理学にとどまらず、世界のあり方を巡る終わりのない物語が展開される。
 第1章「永遠の魅惑」では、この物語の主人公がエントロピーと進化だと宣言される。世界が秩序から混沌(こんとん)へ向かう性質を特徴づけるエントロピーという概念と、時間の進む向き、宇宙と生命が誕生し進化する理由は互いにどのように関係するのか。それらが次の三つの章、「時間を語る言葉」「宇宙の始まりとエントロピー」「情報と生命力」で解説される。この部分はよく知られている「物語」であるものの、具体例を交えてわかりやすく記述する著者の文才のおかげで楽しみつつ理解できる。
 これに対して、「粒子と意識」「言語と物語」「脳と信念」「本能と創造性」の四つの章では、(少なくとも現時点において)物理学だけでは語り尽くせない「物語」が積極的に取り上げられている。
 「物理法則に支配されている粒子たちが詰め込まれた袋にすぎない」人間が、なぜ意識を持ちうるのか。そんな袋が、あたかも自由意志を持つかのように振る舞うのはなぜか。人間が言語をもつのは単なる偶然か、あるいはダーウィン的進化による必然か。宗教を信じるのはなぜか、そもそも信念はいかに形成されるのか。人類が誕生以来、生き残りに役立ちそうにない芸術や高度に創造的な活動に没頭する理由は何か。
 正直なところ、これらの問いに対する著者の意見に私は納得していない(正しく理解できていないだけかもしれない)。にもかかわらず、進化生物学・社会学・言語学・哲学における様々な説の紹介から学ぶことは多かった。巻末の文献リストと詳細な注を通じて、原典を参照できる点もありがたい。
 第9章「生命と心の終焉(しゅうえん)」、第10章「時間の黄昏(たそがれ)」は、かなり詩的なタイトルであるものの、エントロピーと進化という観点から途方もない未来の宇宙を論じた物理学的考察の紹介である。我々が住む宇宙と同じ「クローン宇宙」、さらには我々の誰かと全く同じ記憶と意識をもつ「ボルツマン脳」が、無限に広がる時空のどこかで必然的に存在しているのではないか。一部の物理学者が真面目に議論している怪しくも魅力的な「物語」への評価は、読者に委ねたい。
 本書は、最終章「存在の尊さ」に代表されるようにレトリックが多めである半面、物理学の知識なしでも読み通せるはずだ。著者の意見に納得するかどうかは別として、未完の「物語」に触れてみたい方にはぜひお薦めしたい。
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Brian Greene 理論物理学者。米コロンビア大物理学・数学教授。第一線での研究の傍ら、科学の普及活動にも力を入れる。著書に『エレガントな宇宙』『宇宙を織りなすもの』『隠れていた宇宙』など。