[掲載]2009年6月7日
京極夏彦さん(46)
■どんな状態でも幸せはある
読み出すと止まらないのに、気がめいる。作家の京極夏彦さんが、不愉快な読後感がかるく数日は持続する、世にも珍しい小説集を出した。新刊なのに古本風。薄汚れた茶色の表紙に不気味な墨書、ページをめくるとご丁寧に蚊の死骸(しがい)まで刷り込まれ、「厭な」と冠が付く七つの作品が連なる。
例えば、絶望したホームレスが得た永遠の幸福は、ある恐ろしい行為の反復が条件という「厭な扉」。男の嫌うことを無間地獄のごとく執拗(しつよう)に繰り返す「厭な彼女」。全編「非現実的で不条理で非常識で不見識」な出来事が循環し、幸せな結末が訪れる気配はいささかもない。「厭」の文字を一冊丸ごと数えると、ざっと400個以上もあった。
京極さんが執筆の狙いを語る。「僕は好き嫌いがない人間ですが、厭なことは普遍的にあると思う。例えばタンスに足の小指をぶつけたら痛いでしょう、厭ですよね。これはエンターテインメントになる、と」。ただ、ホラーやエログロには行かぬよう留意したとも。いずれも厭な話なのに何かと身につまされるのは、ストレス社会や老人介護といった誰にも地続きの現実が正確に描き込まれているからか。
そうしてこの10年、初めて著作を出す版元の小説誌に断続的に書いてきたが、「厭」と「不幸」は違うという。「人間って、どんな厭な状態でも幸せになれるはず。幸福も不幸も個人の問題でしかないことは疑う余地もない。何事も努力で面白くなるんですよ」。それは敬愛する水木しげるさんの、生を最大限楽しむ姿勢とも重なる。
デビューして15年。泉鏡花賞、山本周五郎賞、直木賞など大きな賞をすでに手にした京極さんは「人間、死んだらおしまい」「理にかなわぬことだけは嫌い」と言い切るリアリスト。そんな京極ワールドの奥深い魅力は、仕事師としての明快で端正な生き方にありそうだ。
著者:京極 夏彦
出版社:祥伝社 価格:¥ 1,890