どうも風向きが変わりつつあるようだ。ついこの間まで年金大崩壊の「食い逃げ世代」と酷評され「団塊お荷物論」が横行していたが、最近は団塊を熟成した「希望の世代」として描き出す傾向が目立つ。なにしろ団塊約700万人(総資産平均1人5000万円)の行くところ、常に巨大な経済市場が出来上がる。もうデフレ時代の悲観論は捨てましょう……と言うわけか。
団塊応援団を自認する文化人も出始めた。堺屋太一などはさしずめその団長だ。と言うより、もともと「団塊」の名付け親だからね。60歳定年を迎える自分の子供たちに、再人生(セカンドライフ)を生きぬく知恵を教えるのがこの本である。
いわく団塊が起こしたあの学園紛争は「通り過ぎる風」で、大学を卒業するや「パッと切り換えてモーレツ社員になりました」。だから団塊は環境順応型の集団主義パワーで、「日本を規格大量生産型の近代工業社会へと押し上げる強力なエンジンとなりました」。
定年後はバラバラの「自由な労働力」に変わるが、しかしそれは孤立と不安を意味しない。団塊世代には熟練の知恵と技術、消費・生産市場を動かす豊かな経済力がある。高齢化時代の新しい価値観が「70歳まで働くことを選べる社会」の実現に向かうなら、団塊パワーは再び〈黄金の十年〉を築くだろうと、堺屋は応援歌を奏でる。
でも、フリーター・ニートの若者世代が「下流社会」化してゆく中で、団塊だけが黄金化できるのか。階層分化は黄金の反対物=犯罪多発の社会を招くだろう。働き続ける団塊に職を奪われる若者がかじるのは、団塊のスネじゃなかろうか。
むしろ団塊は、戦後平和憲法下で経済大国の旨(うま)みを最も享受した世代として、憲法改正=戦争のできる国への転身がいま必要なのかの国民的論議の先頭にでも立つ方がヨッポド格好良いと、私なんか思っちゃうなあ。