〈私のコミック履歴書〉映画監督 三池崇史さん

2017年04月19日

木村拓哉と万次

――これまでにマンガ原作の映画もたくさん撮っていらっしゃいますが、マンガはお好きですか。
三池 もちろん! まったく裕福ではなかったけど、高度成長期の恩恵を受けて、浴びるようにマンガを読んで育った世代ですよ。子どものころは将来マンガ家になりたいと思って、石ノ森章太郎の『マンガ家入門』も持っていました。

――特に好きだったマンガ家は?
三池 マンガ家ではなくて原作者だけど、梶原一騎は好きでしたね。『タイガーマスク』や『あしたのジョー』のいかにも昭和な、重厚なセリフ回し。昭和35年生まれくらいの男の子は、みんな伊達直人や太賀誠になりたいと思っていたでしょう。梶原さんにはお会いする機会がなかったけど、弟の真樹日佐夫さんには空手を習っていたんですよ。

――真樹日佐夫の弟子だったんですか!
三池 梶原作品の主人公は不良とか、だいたいちょっとダメなヤツなんですよね。代表的なのは『あしたのジョー』。あの作品はちばてつやさんが梶原一騎の欠点さえ飲み込んで描いたことで傑作になった。当時、梶原一騎と闘いながら描くのは大変なことだったでしょう。その勇気と筆力はすごいと思う。『あしたのジョー』は何回もアニメ化されてるけど、ジョーのキャラクターが決してブレない。ジョーが死ぬことで永遠になっているんです。

――あのラストはちば先生のアイデアだったとか。
三池 うん、真樹日佐夫さんに聞いたんだけど、梶原一騎の原作では死んでなかったそうなんです。だけど、ちばさんは台本を変えたわけではない。

――どういう意味でしょう?
三池 台本を読んで、あのイメージが浮かんだわけですよ。映画でもよくあることなんですけど、一見台本と違う形になっても、それは台本に書いてあることなんです。台本というのは、それを想起させる装置なんですよ。

――なるほど……。梶原作品では、『愛と誠』を映画化しましたね。
三池 あれは自分でも気に入っている作品です。だいぶアレンジしているけど、底に流れているものは同じ。ふたりの出会いからラストまで、あの長いストーリーが映画の中に全部入っている。人によっては「原作を壊してる」ように見えるんだけど、自分としてはそんなことはない。自分の中にある『愛と誠』を守っているんです。

――4月29日公開の『無限の住人』は原作を読んで、どんな感想を持ちましたか。
三池 作者の沙村広明さん独自の才能に感心しました。世の中の事情などまったく関係なく、「こんなの描きたいんだよね」という思いだけで19年も描き続けた大作でしょう。沙村さんが本当に描こうとしていたものは、実は映画の中にはないんです。原作の物語は、ある「絵」に行き着くための方法であって、その「絵」というのは女性を追い詰める、肉体的にも精神的にもズタズタになった女が滅びていく瞬間の美。その「絵」を描きたいんだ、と。オレの勝手な解釈ですけど。映画では、もっとも表現しにくいこと。もしもその才能があれば、映画監督よりもマンガ家になったほうがいいよね(笑)。

――主人公の万次を木村拓哉さんが演じることでも話題を呼んでいますが、これは監督の意向だったそうですね。
三池 うん。原作を読んで、「この万次を木村拓哉がやるなら映画化する意味がある」と思ったんです。木村さんはすごいモチベーションと集中力で周りを引っ張ってくれて、非常にやりやすい俳優でした。演技に関してもマジメで、撮影中はずっと片目で通したんですよ。不自由だったと思うけど、そうすることで表面的な芝居をしなくてよくなる。この原作でなければ、木村さんとは一生、仕事をしなかったかもしれない。その意味でも、沙村さんに感謝しています。

――なぜ万次を木村さんにやらせたいと思ったのですか。
三池 同じ時代を生きながら、他の人とまったく違う風景を見ている。万次が抱える半端じゃない孤独は、スーパースターの木村さんにも共通するものでしょう。周りには「引き受けないでしょう」と言われたけど、会いに行ったらその場で「やります!」と。

――作中で個人的に好きなキャラクターはいますか。
三池 尸良(しら)は好きですね。人を恨んで復讐に燃えている。不幸な人生に思えるのに、ものすごくイキイキしている。ひどい男なんだけど、すごいエネルギーを感じる。役者も本来はそういう生き方を選んでるはずなんですよね。だからアウトローをやると、みんなイキイキしてくるでしょう。

    ◇

みいけ・たかし(映画監督)

1960年、大阪府生まれ。91年に映画監督としてデビュー。主な作品に『殺し屋1』『ゼブラーマン』『一命』『悪の教典』『神さまの言うとおり』など。最新作『無限の住人』は4月29日から公開。

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