信長を殺した男 ~本能寺の変431年目の真実~ [作]藤堂裕 [原案]明智憲三郎

2017年10月18日

■明智光秀はなぜ織田信長を殺したのか?

 明智光秀はなぜ主君・織田信長を殺したのか? これは日本史上最大の謎のひとつだろう。豊臣秀吉が書かせた『惟任(これとう)退治記』では「傍若無人な信長を恨み」という怨恨(えんこん)説が取られているが、光秀を討った秀吉の思惑が色濃く反映されているのはまちがいない。それに対して本作で語られる新説は、「信長の“企て”を止めるため」というものだ。
 原案は明智光秀の子孫という明智憲三郎によるベストセラー『本能寺の変431年目の真実』。多くの史料に当たり、「戦国時代最大の謎」に迫っていく。光秀は神経質な若者のイメージがあるが、『当代記』によると謀反を起こしたとき67歳で、信長より18歳も上の老将だった。藤堂裕の重厚な絵柄もよく似合い、驚きの新説の連続に読み始めると止まらない!
 今月発売される第2巻では、これも謎に包まれていた光秀の前半生が描かれる。美濃で「斎藤道三に仕えていた」という説をよく聞くが、実は裏付けとなる史料はない。明智憲三郎によると、正式な美濃守護だった土岐頼武・頼純父子の家臣として、逆に道三と戦ったという。さらに、20世紀にポルトガルで発見された史料から、物語の冒頭で触れられた“信長の野望”がついに明らかにされる!
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