寺田克也ココ10年

寺田克也ココ10年

 イラストレーター・マンガ家として活躍する寺田克也さんの作品を集めた「寺田克也ココ10年展」(朝日新聞社後援)が、京都市の京都国際マンガミュージアムで6月30日まで開かれている。「ココ10年」の間に発表されたイラスト、キャラクターデザイン、マンガのうちから約300点を集め、幻想的な世界をリアルにとらえる絵の力が伝わってくる立体的な展示になっている。寺田さんに「ココ10年」の歩みを本を通して振り返ってもらった。
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 〈寺田克也ココ10年展〉
 3月16日~6月30日の午前10時から午後6時まで(5月1日を除く毎週水曜休み)。入場には京都国際マンガミュージアムの入場料(大人800円、中高生300円、小学生100円)が必要。

 〈寺田克也さん参加イベント〉
 4月20日午後2時~
 トークショー「寺田克也×上杉忠弘×堤大介『スケッチトラベル』を語る」
 5月5日正午~
 作画実演イベント「寺田克也ラクガキングLIVE」
 6月2日午後2時~
 寺田さんと落語家・林家彦いち師匠によるトークショー「喋り倒し×描き倒し――旅を語る」
 いずれも入場無料。先着順、事前申し込み不要。
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 『寺田克也式ガソリン生活』(朝日新聞出版)についてのインタビューはこちら

 『十五夜物語』(早川書房)、『西遊奇伝大猿王』(集英社)についての夢枕獏さんとの対談はこちら

寺田克也ラクガキング

自分の「イメージ」固まった

 イラストの仕事をするようになって最初の10年ぐらいは、いろんな分野で並行してばらばらに仕事をしてた。イラストの場合は特に、自分の作家性にこだわるのではなく、与えられた条件のなかで仕事としてカタチにする。変な状況を楽しんじゃうし、そんな仕事の仕方が嫌いじゃなかった。
 そんなばらばらの仕事がまとまっていくようになったのは、ゲームの「バーチャファイター」のキャラクターの仕事をしてから。世間に届く、人気を集めたゲームだから「ああ、あの」と別の仕事のときも名刺代わりになったし。
 「バーチャファイター」の仕事のそもそものきっかけは、阿佐美(阿佐ケ谷美術専門学校)の四つ先輩の雨宮慶太さんが監督した映画『ゼイラム』のコスチュームデザインの仕事をしたことです。その映画のプロデューサーのひとりの黒川文雄さんがセガに転職したつながりで「バーチャファイター1」のキャラクターを続編用にリアルな顔で描き直したんです。30歳ぐらいのことだったと思います。
 
 そこから10年ぐらいたって出してもらったこの『ラクガキング』は、自分のパブリックイメージを作った一冊です。ただのラクガキとけなす人もいますが、それはその通りです(笑)。ただ、描きたい何かを持っている人には響く一本の線が見つかる可能性があります。オレ自身、メビウス(フランスの漫画家)の絵を見たときに、この線だ、これは自分の絵だという感覚から自分の絵につながっていったんです。
 とはいえ、ラクガキだから、せめてページ数だけでも多くしよう、1000ページにしよう、過剰さを出そうと考えました。これを出した後、海外のイラストレーターが、まったく同じ体裁のラクガキ集を出して、持ってきてくれました。誰かが一度やってみると、その方法が認められていくんです。

ラクダが笑う~ファイナル・カット~ (リュウコミックス)

ずらして楽しむスタイル

 阿佐美の卒業制作では、本棚に入らないサイズ、通常の雑誌サイズより大きい個人マンガ誌を作りました。普通にあるものをちょっとずらして楽しむという態度は今も変わってませんね。
 それを見た先生が世界文化社を紹介してくれて、のちに雑誌「Begin」「LEON」などを立ち上げる岸田一郎さんと会いました。一緒にいた編集者がDAVE鴫原で、それまで経験したことのないようなホメ方とけなし術をもっていまして(笑)「おまえのこの部分はちょっと天才、こっちはまったくのクズ」とか言われて、納得させられちゃう。DAVEを羅針盤として、自分の武器を再確認しながら研いだ時期です。
 そのDAVEが文章、絵がオレの初単行本が『のらずいられないっ!』でした。旧車のインプレッションをマンガ風にしたものです。始める前に「車は好きじゃない」と言ったら「おまえがやるんだよ」って、それだけ。
 DAVEは37歳という若さで亡くなったんですが、もともと映画のシナリオをずいぶん書いていて、何を面白がっているかがはっきり伝わる文章でした。『デトロイトNGサーカス』も、原作がDAVEのコンビです。
 『ラクダが笑う』は、いしかわじゅんさんの勧めでできた一冊です。原稿依頼のDAVEに連れられて仕事場にうかがったとき、オレが描いていると知らないで『のらずにいられないっ!』の絵をほめてくれて、「もっとマンガを描け」と言われました。後に、いしかわさんが編集長を務めたマンガ雑誌で、直々に依頼を受けて描いたのが『ラクダ』です。原稿は喜ばれましたが、相当遅かったらしく「後ろから二番目だよ」と言われました。

西遊奇伝大猿王 (1) (ヤングジャンプ・コミックス・ウルトラ)

マンガ家は「夢の職業」

 連載はもう終了しているのですが、モノクロの原稿をカラーに直す時間がとれなくて……。来年こそは必ず出します。
 今も、マンガ家というのは自分のなかでは「夢の職業」なんです。小学生のころからマンガを描こうとしてもせいぜい2、3ページで挫折して、もうコマ割りでめんどくさくなっちゃう。そもそもデビュー作も世界文化社に初めていった日に「じゃあ16ページで」って言われて、それが初めて完成したマンガでした。締め切りがないと描けない、っていうのは今も同じです……。
 だから自分の本業はイラストレーターだと思っています。一枚の絵を描いて渡すことは、めんどくさいと思ったことはありません。マンガの時は恥ずかしながらプロの仕事になってない。マンガとイラストは求められるものがまったく違って、イラストは自分の作品ではないものを咀嚼し、その世界観に寄り添いながら一枚の絵にまとめる作業です。でも自分は少しずるく、イラストレーターの仕事をするときにマンガのキャラクター作りの技法を取り込むこともあって、自分の中では「どっちつかず」という意識があります。マンガとイラストという二つの極の間で振り子のように揺れていると考えれば、ずっと終わりなく揺れていられそうですが、まだどっちにも落とし前をつけきってない感があります。

ジョン・シンメトリー

よく知っている異世界

 これはデジカメで撮ったものをコンピューターで加工して、左右シンメトリーにしてみた写真集です。道路でお父さんと手をつないで歩く子どものどこにでもあるような写真を撮ったとき、つないでいる指先で写真を切って、それを反転させてくっつけてみると、なんとも言えない非現実感が生まれたんです。「よく知ってる」「異世界」に子供がはいっていくような。写っているものはすべて現実にあるものなのに、あり得ない世界ができあがっているのです。
 その写真を面白がってくれたのが今回の展示の監修をしてくれた伊藤ガビンさんです。ガビンさんは「パラッパラッパー」という人気ゲームのシナリオを作った人で、その解説本を出すときにゲームに出てくる「タマネギ先生」をリアルに描いて欲しいと頼まれたのが最初の出会いでした。
 キャラクター化された二次元のタマネギ先生を「リアルに」描く面白さというのは、『ジョン・シンメトリー』の写真が持つ違和感と同じで、一種の異化作用なのだと思います。1963年生まれの同い年で、ダジャレの感覚が近いこともありますが(笑)、二人とも変な状況を面白がれるところが似ています。ちょっとした違和感を愉しむ、これがきっとオレたちの仕事の原理なんです。
 オレの作品はコンピューターで仕上げているので、原画がありません。わざわざお客さんに来てもらってプリントアウトしたものを見せるだけじゃあなあと思ってガビンさんに相談したところ、彼のつながりでかなり刺激的な今回の展示になりました。

ジョン・シンメトリー

著者:寺田 克也、スタパ 齋藤、伊藤 ガビン  出版社:ラピュータ

寺田克也式ガソリン生活

未来につなぐ作業

 『寺田克也ココ10年』にも収録しましたが、個展では原画を大きくプリントアウトしたものを70枚140面のふすまに貼り込んで展示しています。ふすまでこういうことができるのかと実物を見て驚きました。展示用に仕上がったふすまを、京都の旧い家に実際に持ち込んではめて見たら、デビルマンの絵なんて古い日本家屋には合わないと思っていたのが、ふすまに入れて置いてみるとまったく違和感がない! これにはびっくりしました。ふすまの持つフレームの強さをあらためて知りました。
 「ココ10年」という区切りは何か特別な理由があるわけではないです。仕事はシームレスで流れていくので、むしろこの展示によってあえて区切りをつけたかったという感じです。
 思いがけない大がかりな個展となって、自分のためというより、オレの表現を作る基礎になった過去のさまざまな表現と人とを、未来につないでいくための作業だったなあという気がしています。

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