「身の丈」知って、人間知る 横浜国立大教授・川添裕さん

[掲載]2011年08月14日

 かわぞえ・ゆう 56年、横浜生まれ。見世物文化研究所代表。編集者、皇学館大教授などを経て現職。専門は日本文化史、国際横浜学。著書に『見世物探偵が行く』など。 拡大画像を見る
 かわぞえ・ゆう 56年、横浜生まれ。見世物文化研究所代表。編集者、皇学館大教授などを経て現職。専門は日本文化史、国際横浜学。著書に『見世物探偵が行く』など。

表紙画像 著者:十方庵敬順、朝倉 治彦  出版社:平凡社

■見世物(みせもの)研究者が語る、持続可能で愉悦無限の江戸暮らし

 現代文明は効率とスピードをどこまでも求め続ける。しかし、その「理」にかなったはずの行き方が、じつはわが身を苛(さいな)む「究極の非合理」ともなりかねないことに、私たちは気づき始めている。こうした近代化やグローバル化で出てきた矛盾を、いわば「再人間化(リヒューマナイズ) re−humanize」していく糸口をさぐることは、人文学の大きな課題だと思う。
 私自身が考えるのは、人間が古くから持ってきた身体性、身体感覚の問題であり、ここでは具体的に、前近代江戸の身体芸能や娯楽風俗に焦点を当て、人びとの「身につき」「身に合った」営みの一端を紹介したい。
 『遊歴雑記(ゆうれきざっき)初編1・2』は、およそ200年前の江戸と近郊をふらふら遊歴して歩いたご隠居の探訪記。著者の隠居僧、十方庵敬順(じっぽうあんけいじゅん)は健脚であり、行き先は名所旧跡や寺社のほか、話題の場所、盛り場とバラエティーに富む。奇談や俗信も多く収録されていて民俗学上の好資料としても知られる。旺盛な好奇心とつながる「歩く」という行為の力を、実感させてくれる本だ。
 本作は初編から五編まであるが、東洋文庫版は初編のみの刊行。
 拙著『江戸の見世物(みせもの)』(岩波新書)は、この十方庵敬順を案内役の一人として、江戸後期の見世物の世界に迫った書。見世物は現代人が思うようなグロテスク一辺倒のものではなく、老若男女が楽しむ最も身近な人気娯楽であった。江戸っ子が仮設小屋の「ライブ空間」でふれた、一種の物質的恍惚(こうこつ)に満ちた見世物の魅力を味わってほしい。
 拙著のもう一人の案内役も、じつは江戸のご隠居だ。烏亭焉馬(うていえんば)という元は大工の棟梁(とうりょう)で、文芸作者としても活躍したマルチな才人である。焉馬の最大の功績は、衰微していた江戸落語を再生させたことで、われわれが落語を楽しめるのはこの人のおかげといってもよい。
 『江戸落語』は、その焉馬の活動と、初期の職業落語家が誕生するまでに焦点を当てた著作。落語再生の背景となった同好の士が咄(はなし)を持ち寄る「咄の会」にしても、盛時には各町内にあったといわれる寄席にしても、互いの顔が見える身体空間、こぢんまりとした交流空間こそが、落語の土壌であった。
 身体感覚の悦(よろこ)びといえば、むろん性をめぐる文化がある。
 氏家幹人『江戸の性風俗』(講談社現代新書)は、猥談(わいだん)から春画、セックス養生、男色、密通、情死までを幅広く取り上げる。私は江戸文化に過剰な幻想を抱く者ではないが、これを素直に読めば、江戸の性愛の豊かさと多様性を自然と感じるはずだ。
 『美術という見世物』は、幕末明治にあらわれた生(いき)人形、写真掛軸(かけじく)、油絵茶屋、パノラマなどから、欧米近代と江戸の伝統の出会いに着目する。本書の記述が新体操とコンニャク体操から始まるように、著者は身体表象に敏感であり、近代化で変容していく日本人の身体性をめぐる書としても、出色の内容になっている。


この記事に関する関連書籍


遊歴雑記初編〈2〉 (東洋文庫)

著者:十方庵 敬順、朝倉 治彦/ 出版社:平凡社/ 発売時期: 1989年07月






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