臨死体験で 「あの世」を考える

[掲載]2012年01月20日

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表紙画像 著者:---  出版社:朝日新聞出版

 悔いなき最期を考えるための週刊朝日MOOK『だから死ぬのは怖くない』(朝日新聞出版)には、死を意識するためのヒントとして、臨死体験についての特集記事が掲載されています。ここではその一部をご紹介します。

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 生死の境をさまよった人は、しばしば不思議な心地よい光景を目にするという。人は死んだらどうなるのか。死後の世界はあるのか。この永遠、不変のテーマを、臨死体験者の証言を通して考えてみよう。死を自然の摂理ととらえ、この世の終わりを意識することが、限りある人生を悔いなく生きることにつながるのだから。

■花が散るごとに苦しみから解放

 元聖心女子大学教授の鈴木秀子さん(79)の臨死体験は、いまから34年前にさかのぼる。中学1年で終戦を迎えた鈴木さんは、その後、8年間に及ぶ修道院での生活などを経て、当時は母校の聖心女子大で日本文学を教えていた。
 その日は翌日に開かれる学会に出るため、シスター仲間がいる修道院に泊めてもらっていた。2階に案内され、早めに床に就いたが、夜中に目が覚めた。暗がりの廊下を壁づたいに歩いていたとき、足を踏み外して階段を転げ落ちた。1階の床に真っ逆さまにたたきつけられ、気を失ってしまったという。
 それから、鈴木さんは不思議な体験に遭遇する。
 ふと気づくと、自分の体が立った姿勢のまま宙に浮いている。その自分を、さらに高いところからもう一人の自分が見ていた(イラスト1)。
 空中にいる自分の足のまわりを、タケノコの皮のような花びらが覆っていた。
 その花びらが、足元から一枚、また一枚と散っていく。それを見ているもう一人の自分は、花びらが一枚散るごとにひとつ、またひとつ、苦しみから解放され、自由になっていくと感じた。そして花びらが最後の一枚になったとき、2人の自分が一体になった。その瞬間、鈴木さんはそれまでに見たことのない、美しい光に包み込まれる感覚を味わった。
 それは白っぽい、金色の輝きに満ちた、一面が光の世界だったという。女性だか男性だかわからない「だれか」がいて、そこから光が四方八方にあふれていた(イラスト2)。
 鈴木さんは言う。
「その光が、私を全部包み込んでくれている。私とその光は深い部分でつながっていて、私はすべてを受け入れられ、完全に愛されていると感じることができたんです。まさに至福としか言いようのない、満たされた世界でした」

■臨死体験をどう解釈するか

 九死に一生を得た鈴木さんは、後年、台湾にある有名寺院を訪れたとき、蓮(はす)の花びらをかたどった仏像の台座を見て、「あのとき見たものと同じだ」と驚いた。「タケノコの皮」は、蓮の花弁だったという。
 ほかにも、トンネルをくぐったら美しいお花畑があったとか、死んだはずの先祖と出会って「来ちゃいけない」と言われた、といった「臨死体験」の物語は枚挙にいとまがない。
 こうした証言を、私たちはどのように解釈すればいいのだろうか。そして死後の世界は本当にあるのか。あるとしたらどんなものか。
 京都大学こころの未来研究センターのカール・ベッカー教授はこう断言する。
「証言者が大勢いることは疑いようのない事実です。臨死体験はあるかないか、という問いの立て方は意味をなさない。存在するかどうかではなく、臨死体験がその後の生き方にどういう意味を持っているか、を考えるべきです」

■脳に意識がなくても臨死体験は起きる

 日本では臨死体験がオカルト扱いされかねないのに対して、米国やイギリス、オランダなどでは、国公立の大学が研究機関をつくり、税金を投じて研究している。
 また世界的には、2000年あたりから医学界で臨死体験に関する発表が続いた。医学専門雑誌には、脳が停止した状態の患者でも、自分が自分を見下ろしている感覚、すなわち脳には意識がなくとも臨死体験が起こり得るというケースが報告されている。
「戦後の唯物論的な傾向が極端に強い医学教育の影響で、脳が働いていなければ意識はなくなるので、臨死体験はありえないとする考えが日本ではいまだに支配的です。しかし、すでに『脳イコール意識説』は世界的に疑問視されつつあるのです」(ベッカー氏)
 臨死体験とは幻覚や夢の一種ではないかという「反論」に対しては、内容に共通性があることや、登場人物が「聖なる存在」であることが多いなど、少なくとも四つの点で違いがあるとベッカー氏は指摘する。さらに言えば、臨死体験をした人は往々にして人生観や世界観が変わることがある。これも、夢や幻覚と大きく異なる点だろう。
 鈴木さんはこう話す。
「いま思うと、臨死体験をしたことは、その後の私の人生の原点になりました」
 鈴木さんは大学で教鞭を執るかたわら、死期が近い患者らのもとに足を運び、心の交流を重ねてきた。多くの人たちの死の間際を見てきて、体はつらそうにもがいていても、本人は幸せいっぱいの気持ちになっていると感じてきた。
「だから私たちはさびしい、つらいと思うより、心から『いま素晴らしい世界に旅立ってゆくあなたを愛して、一緒の気持ちでいますよ』と伝えてあげることが大事なんだと思うんです」
 近年、欧米のある病院では、余命数カ月の患者本人やその家族、友人を集め、病院内でパーティーを定期的に開く試みが実験的に行われている。集まりは、患者が亡くなってからも、「故人をしのぶ会」として続く。
 続ける目的は、大切な人を失った遺族の免疫力低下、精神異常、うつなどを避けるためである。そのルーツは初七日や四十九日、一周忌などと、死者を定期的に敬い、弔う日本の文化にあるという。
「皮肉なことに、日本が忘れつつある先人の知恵を欧米が学び始めているのです。世界中を見渡しても、死がすべての終わりだと考える民族は皆無に等しい。人が亡くなってからも、死者と生者のつながりは続くと考えるほうが、亡くなってゆく本人にとっても、見送る遺族にとっても精神衛生的には健全ではないでしょうか」(ベッカー氏)

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この記事の全文や、朝日新聞アスパラクラブの会員が答えた「臨死体験」についてのアンケート結果は、週刊朝日MOOK『だから死ぬのは怖くない』でお読みください。

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