ここは天国と地獄の交差点 『新宿歌舞伎町滅亡記』

[掲載]2013年06月21日

表紙画像 著者:梅崎 良  出版社:左右社

 「週刊朝日」で2011年に集中連載された「新宿歌舞伎町コマ劇場前ルポ 天国と地獄の交差点 1999―2011」が単行本になった。写真週刊誌「フォーカス」などで山口組分裂や天安門事件を取材してきた百戦錬磨のカメラマンが選んだ対象は、24時間眠らない街「歌舞伎町」。漂流するはみ出し者を撮り、終わらない話を書き留めるうちに、著者自身がこの街に魅せられ漂流しはじめたエピソードを抜粋して紹介する。
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(抜粋)
 コマ広場に木枯らしが吹きすさぶ季節となった。野宿するある老人の意識が薄れていき、救急車で運ばれた。帰らぬ人となったと、人づてに聞いた。老人は人生の終着駅で何を思っただろうか。
そんなことを考えていると、由希ちゃんにロッテリアでばったり会った。顔に青タンをこさえている。
 殴られる女がここにもいた。
 「変な親父に居酒屋でからまれ、3発も殴られたの。アタシも殴り返してやった。これでも治りかけなのよ」
 左目の周りが青く腫れ、両眼とも白目が充血している。ミニスカから伸びるきれいな足も、無数の赤い斑点があって痛々しい。最初にあったころの颯爽とした感じがなくなっている。とても昼間に〝堅気〟の仕事をしている雰囲気がない。
 そういえば、少し前にゲームセンターで会ったことがあった。コインを入れるとボードが動き、コインが押し出されるゲームがある。由希ちゃんはそのゲームの前にずっと立っていた。何しているのと声をかけると、
 「たまにね、コインを入れなくてもコインが落ちてくることがあるの」
 これが貧困の行く末というものかと、ゾッとした。あのころから危ないとは思ってはいたが、いまは完全に追い詰められている。
 「足は虫に食われて痛いんだけど、保険証がないんだ」
 と、由希ちゃんがいうので、薬局で薬を買って渡すと、うれしそうな顔で帰った。それが由希ちゃんを見た最後となった。由希ちゃんが歌舞伎町で何をしていたのか、いまはどこで何をしているのか、わからない。
 ひそかに由希ちゃんに恋していた貴史にとってはますます辛い晩秋となった。
 失恋の痛手を癒すべく、貴史はアルミ缶集めの仕事をはじめた。ビールや清涼飲料の捨て缶の収集で、単価は当時で1キロが95円と驚くほど安い。この仕事の元締めの〝社長〟にこう励まされたという。
 「がんばれば1日5000円になるよ」
 しかし、これは茨の道だった。
 貴史は新宿で頑張ったあと、しばらく川崎に拠点を移してやっていたが、12月初めに歌舞伎町に戻ってきた。
「アルミ缶はもうやめ!」
 やせ細った顔に3ヵ月の苦労が滲んでいる。靖国通りの人ごみの中、辛かった体験を2時間もノンストップでしゃべり続けた。
 それでも貴史の顔にはわずかに達成感を感じた。深夜の街を孤独と闘い、雨の日も寒い日も、アルミ缶と格闘した貴史の姿が脳裏に浮かんだ。
 「ようがんばったな。寝る場所もなく、稼ぎも少なく、休日もない仕事にはしょせんムリがある。まだ若いんだから、借金問題をどうにかすれば、まだ大丈夫だよ」
 「実家に借金の催促がいけば、義理の親父はますます怒るだろうね。大喧嘩になるのは見えてるから実家には帰れないなあ」
 ただでさえ感情の対立があるうえ、借金問題では修復はたしかに難しいだろう。
 「これからどうするの」
 「年末は仕事の当てがあるんだ」
 と、貴史はいっていた。
 それがいったい何の仕事だったのだろうか。貴史は川崎での苦労話を肴に、しばらくは顔見知りに食事をタカる生活を続けていたが、暮れになっても働いているそぶりがない。
 そのうち熊本出身の30歳の男とコンビでいることが多くなった。あけて2002年の正月にコマ劇場前で会うと、人懐っこい顔で近寄ってくる。
新年のおとそ代わりにバーでビールを飲み、中華料理屋でタンメンを食べた。ごちそうするつもりだったが、1000円分の図書券を渡そうとする。心遣いは嬉しいが、1000円は貴史の1日分の生活費である。しかし、いくら断ってもねじ込み、
 「お世話になっているんだから」
 と繰り返す。
 趣味のポラロイド写真は変態マニアに「女の本性をえぐってるね」と意外に好評で、わずかばかりの食費にはなっている。しかし人に奢れるほどの稼ぎではなさそうだ。
 繁華街を漂流する若者の共通点は〝その場しのぎ〟だろう。しかし時が流れると、やがて人生の清算を求める時期がくる。貴史にはいったいどんな清算が待っているのだろうか。

第3章 36時間眠る男

 こうして貴史たちの話を聞いている私自身、人生の清算のメドなど、見えているはずもなかった。新宿にこだわる前から、私はずっと放浪してきた。
 カメラマンとしての出発は学生時代の沖縄放浪が皮切りで、やがてシルクロードやチベット、インドを歩くことが多くなった。
 雑誌メディアと縁ができたのは、米大使館が占拠されたテヘランに2ヵ月も潜入できたことが大きかっただろう。
 1979年、イラン革命は燃え盛っていた。シャー(国王)が石油で築いた独占資本主義経済が崩壊し、それを支え続けていた〝アメリカ〟がターゲットとなった。ホメイニ師を精神的な支柱とする民衆が大使館を占拠、大使館員は捕虜となった。
 外国人たちが雪崩をうって脱出を図るなか、私は空港に到着し、写真を取りまくった。
 デモ隊の民衆は、アジア系の私を「撮れ!撮れ!」と、バスの屋根に押し上げる。メインの道路を埋め尽くす群集は、シュプレヒコールを繰り返す。
 「アメリカ、出てゆけ!」
 群集の握りこぶしに力がみなぎっていた。連日のデモで次第に顔見知りが増えていったが、みんな歓喜にあふれていた。自由な体制がそこにあるのだと、期待がますます高まっていった。
 しかしホメイニ師は異様に厳格だった。
 ムスリム復古主義の、次々に出される先祖帰りしたような施策に民衆の嘆きは大きかったが、これをはね返すパワーはもう残ってはいなかった。
 「今度、あなたが来たときにはシシカバブーでビールを飲もうな」
 と、宿の主人が別れの宴で悲しそうに呟いていた。シシカバブーとは羊肉の塩味串焼きだ。彼はその後、ビールを飲む機会があっただろうか。その後、世界経済の孤児となったイランを脱出する人々が後を絶たず、私はよく彼のさびしそうな顔を思い出す。
 私はこの仕事がきっかけで、週刊誌の専属カメラマンとなった。31歳だった。時は新潮社の「フォーカス」が全盛時代で、スクープ至上主義が雑誌界全体を覆っていた。
 政財界の疑惑事件の陰に摩訶不思議な美女が登場する。犯罪者の生活事情や心理を調べ上げ、近親者などの情報の真贋を見抜く。私はどんどん疑り深くなり、人を見ればまず詐欺師かなと思うクセがついた。新宿のこの取材をしていると騙されることも多いのだが、それでも決定的に追い込まれることはないのは、このとき鍛えたおかげかもしれない。
 記憶に残る仕事をあげれば、山口組が分裂した「山一抗争」(1984~89年)がある。山口組4代目の竹中正久組長が暗殺され、一挙に緊張は高まった。
 「おまえら、うちを食い物にしてるだろう」
 と、若い組員にすごまれながら、仕事を続けていると、やがて姿を消していた一和会の山本広組長が本部(神戸三宮)入りする場面に遭遇した。
 未明の出来事だったが、山本会長は10数台の車に護衛されて現れた。本部入口へ先回りしたら、こちらに山本会長が歩いてきた。組員にどつかれながら夢中で撮った。一息入れて喫茶店で休憩していると、さっきまで護衛に追われていた組員たちがドカドカと入ってきた。襲撃への警戒心が解け、だれもカメラマンに気づく者はいない。
 「しんどいなあ」
 という組員のため息が心にしみた。
 そういう仕事で荒稼ぎしては、第二の故郷となったチベットの秘境の旅を続けた。
 東チベットには、いまもいけにえの村があるという。村を囲む峰々の頂は夏でも雪冠をかぶり、扇状地にはコバルトブルーに輝く川が流れている。上高地のような美しい地方だが、豊作祈願の風習は残り、1年に1人のいけにえを捧げる。この噂はかなり信じられ、私たちのような旅人は、恐れて村には近づかない。飢饉への恐怖心がいけにえを維持させてきたのだろう。
 遠い~遠い、史実が曖昧な時代に、古代インドの人々は永遠の真理《ヴェーダ》聖典を秘していた。聖句は神の言葉サンスクリットで、一語一語荘重な韻律で響く。それは絶対不変が掟だった。
 日本でも有名な大叙事詩マハーバーラタは、聖人・賢人が《ヴェーダ》聖典を紀元前2世紀から5世紀にかけて収集・分析し編纂したものだ。その挿話に「バガヴァッド・ギーター」がある。
 主人公アルジョナ王子は同族が殺し合う戦場へ戦車を進めるが、敵方に親族や師友の姿を見ると戦意を失う。御者のクリシュナ(ヴィシュヌ神の化身)に苦渋の心と吐露し、助言を求める。
 クリシュナ神がアルジョナに語る言葉は、歌舞伎町に不思議なくらいマッチする。約5000年前に書かれた古代人の叡智は、現代日本の世相を見透かしているようだ。

   家庭が無宗教になれば
   家庭の婦人は堕落し
   その結果は
   不必要な人口をもたらすでしょう
   望ましくない子孫が増えたならば
   家族も家庭も破壊者も地獄の苦しみ
   祖先も供物の水や食べものを受けられず
   ついに浮かばれなくなりましょう

   家の伝統を壊した者たちの
   悪行で望まぬ子孫が増え
   社会におけるすべての企画も
   一家の福利を維持するための活動も
   惨めに踏み荒らされましょう

 家庭が舟だとして、不況は舟を難破させた。乗っていた家族はちりぢりとなる。未熟な若者たちは迷走し、新宿歌舞伎町という、バガヴァッド・ギーターの世界が彼らを待っている。
 ポン吉こそ、「バガヴァッド・ギーター」の世界の申し子かもしれない。
 彼は、コマ劇場周辺を根城にする32歳で、フーテンの寅さんが大好き。その名の通りメタボな体型で、それは食のタカリの巧みさの結果であった。すらすらタンカ売りの台詞が飛び出す。
 「物の始まりが一ならば、国の始まりは大和の国、島の始まりは淡路島。泥棒の始まりは石川五右衛門。スケベの始まりは隣のおじさん」
 もっともポン吉にタンカ売りできるものは何もない。慢性的に金穴状態で、だいたい「貨幣制度」からすっかりはずれている。街の情報を教えたり、物を拾ったり、貰ったりして食を得るホームレスで、昔ながらの物々交換の世界に生きている。
 私なりに歌舞伎町ホームレスを3段階に分けてみると、
 1 定職があるが、住む家がない人
 2 無職だが、捨て本拾いなどで日々をしのぐことができる。異臭などはなく、一般人でもつきあえる人
 3 職をさがす気もなく、もはや異臭も気にしない。一般人がつきあうのは難しい人
 となり、ポン吉のランクは、金銭事情で②と③を上下している。
 2001年の師走から2002年の正月にかけ、ポン吉はびっくりするぐらい憑きまくっていた。
 街を歩けば顔見知りが「500円やるよ」といってくれ、大晦日にはきれいなぬいぐるみを拾い、それを美人の韓国人ジョンさんにあげると、年越しそばをおごってくれた。
 明けて元旦には酔った初詣客が路上にばらまいた小銭をすばやく拾い集め、数えてみると750円もあった。
 「お年玉だよ。ホームレスはやめられない」
とニヤついている。
 ポン吉の生まれは茨城県潮来市だという。中学を卒業してから鍛冶工やデパートの清掃員をしていたらしい。
 「親父が何度も結婚するんで、母親が何人もいる。兄弟はひとりだけど」
 ホームレス生活に入ったのは4年前だというが、空き缶拾いや本拾いなどのノウハウにずいぶん詳しく、キャリアはもっと長いとみた。妙に暖かい雰囲気と裏切らないという淡い信頼感を持たせるところがあり、周りに次々と人が集まってくる。
 一日中電車に乗っては捨て本を拾い集めている30歳の山ちゃんもそのひとりだった。
 働いて、歌舞伎町に来るのはだいたい午前1時過ぎだ。路上に置いたラジカセから、当時絶頂の人気だったモーニング娘。の曲をガンガン響かせて踊り続けるのが楽しみという。
 「山ちゃんには弟がいてね、ニューハーフなんだよ」
 とポン吉がいう。
 「綺麗な子なんだ。オレは最初、山ちゃんが何であんな可愛い子ちゃんと話しているんだと思ったぐらいでね、山ちゃんのこと、ずいぶん気にしている。『毎晩ご飯持って来ますんで、兄のこと、よろしくお願いします』って言われちゃったよ」
 山ちゃんに「一緒の写真を撮ってくれないか」と頼まれ〝弟〟にも会った。午前2時ごろ、夜食の差し入れに現れた弟は、山ちゃんとは似ても似つかない美人で、差し入れは寿司に鰻丼、ローストチキンだった。山ちゃんも女装するので、やっぱり兄弟だなあと感心する。差し入れにポン吉は大喜びだったが、山ちゃんの心境には複雑なものがあった。
 「13年ぶりに会って、最初はじっと見つめられてね、〝お兄ちゃん〟と声をかけられるまではわからなかったよ」
 歌舞伎町の路上で、ホームレスの兄とニューハーフの弟が突然巡り合ったのだ。お互いが一瞬わからなくても不思議はない。まさに世紀末にふさわしい再会となった。

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