自殺を減らした男 『あなたを自殺させない 命の相談所「蜘蛛の糸」佐藤久男の闘い』

[掲載]2014年12月18日

佐藤久男さん=田沢湖近くのブナ林で、2012年7月 拡大画像を見る
佐藤久男さん=田沢湖近くのブナ林で、2012年7月

NPO法人「蜘蛛の糸」設立のころから5年間、佐藤久男さんが相談活動に使っていた昭和初期の民家で 拡大画像を見る
NPO法人「蜘蛛の糸」設立のころから5年間、佐藤久男さんが相談活動に使っていた昭和初期の民家で

標高141メートルの低山・城山から見た岩手県大槌町の中心部、2014年4月 拡大画像を見る
標高141メートルの低山・城山から見た岩手県大槌町の中心部、2014年4月

表紙画像 著者:中村 智志  出版社:新潮社

 「死にたくなるから人間さ」と軽やかに言いながら「追いつめられての死は食い止められる。それを防ぎたい」と自殺対策に懸ける男がいる。佐藤久男さん(71)。長年、自殺率ワースト1位の秋田県で、自殺を大幅に減らしてきた。自らも2000年に不動産会社を倒産させて自殺寸前まで追い込まれた経験を生かし、2002年にNPO法人「蜘蛛の糸」を立ち上げ、主に中小企業の経営者の相談に乗る。倒産ごときで死ぬな、と。
 佐藤さんを軸とした秋田県の自殺対策は、今や、全国のお手本になっている。佐藤さんは同時に、岩手県の被災地にも通い続けて、さまざまな相談を受けている。
 『段ボールハウスで見る夢』(草思社、講談社ノンフィクション賞受賞)で新宿のホームレスに、『大いなる看取り』(新潮社)で行き場のない人たちが集う東京・山谷のホスピスに密着したライターが、2年半をかけて、佐藤さんの活動を追った。『あなたを自殺させない 命の相談所「蜘蛛の糸」佐藤久男の闘い』(新潮社)から、心に迫る取り組みを紹介する。
                      ◇
 人間の数ほど悩みがある。人を不幸に陥れる原因を探ることはできても、人間そのものをパターン化することはできない。
 「心のマニュアル化はできないなあ」
 と佐藤は実感を込める。
 自動車さえ手放せば生活保護を受けられるのにそれがなかなかできない女性がいた。「やくざとケンカしてから十数年も脅されて、うつになった。どうにかしてくれ」と訴える男性がいた。「倒産したらどうなるか」と聞かれて「無一文になります。……それから、私のようになります」と答えたら、「安心しました」と深くうなずいたスーパーの経営者がいた。「首を吊ろうとしたときに、孫娘の笑い声と彼女が叩く雷太鼓の音が聞こえてきて我に返った」と語るおばあさんがいた。この話を誰かに聞いてもらいたくて、猛暑の午後、畑仕事の合間に電話をかけてきたのだという。名前も名乗らなかったこの女性は、商売人の息子を自殺で亡くしていた。真冬、生活費が底をついた女性に灯油や食べ物を運んで生きる力がよみがえってくるのを待ったケースもあった。
 身の危険を感じたこともある。ある自営業者の相談者は、経営が苦しくなり、夜中に食品関連の工場でも働いていた。彼との待ち合わせに佐藤が十分ぐらい遅れたら、いきなり「このバカ野郎! 人を待たせやがって。俺は昼も夜も働いているんだ」といきり立った。目が血走り、殴りかからんばかりの勢いで、しばらく怒鳴り続けた。
 心に余裕がないのだろう、「蜘蛛の巣ですか?」と間違えて電話をかけてくる人もしばしばいる。そんなときは「いえ、蜘蛛の糸です」と訂正せずに「はい、そうです」と応じて、まずは話を聞くことにしている。
 必ずしもハッピーエンドばかりではない。佐藤が把握しているだけでも、三人の相談者が命を絶った。ひとりは建築関係の仕事をしており、相談が終わって何年も経ってからの自殺だった。別のひとりは、本格的な相談が始まる前に亡くなった。
 そしてもうひとりは、精神科にも通っていた四十代の商店主の男性だった。さまざまなことが絡み合い、自分ではほどけない状態にいた。ゴムが伸びきってしまったというのか、感情の起伏が乏しく、五回、六回と相談を重ねても、なかなか気分が上がってこない。「可視化」グラフの「%」がいつまでも低いままなのである。男性は佐藤に会いに行くという朝、朝食をとって支度をして、妻が目を離したわずか十分ほどの間に店で亡くなった。遺書はなかったという。
 他方で、知名度のアップが命を救うことにつながる例も続いた。佐藤が載った新聞記事を切り抜いて保管していて、何年か経ってから相談に来た人がいたのだ。
県外から来たある社長は、測量とリサイクルというふたつの事業を展開していた。入ってきた瞬間から真っ青な顔で、息も絶え絶えという表現が誇張ではなかった。
 社長は涙を流しながら、会社が危ないこと、自殺を図ったが未遂に終わったことなどを語り続けた。佐藤はじっと話を聞き、決算書を見た。測量の比率が高いが、収益がいいのはリサイクルのほうだった。そのへんに解決への道筋があるようにも思えた。相談が終わり、いつもの言葉で締めた。
 「また来週会いましょう。こちらに来られますか」
 すると社長は、かばんの中を探ってクリアファイルを出した。そこには、二〇〇四年一月四日に読売新聞に載った記事の切り抜きが挟まっていた。「七つの勇気の物語」という正月特集の第二話で、「逃げない、家建てるんだ/自殺の誘惑断ち切り」という見出しが付いていた。倒産後にも秋田に残って家を建てたこと、自殺する幻影におびえながらも、立ち向かうことで道を切り開いたことなどが描かれていた。
 「これを読んで、万一のときには佐藤さんのところに行こう、と決めていました。一枚の新聞が、私の命を助けてくれた。この切り抜きがなければ、ここに来る機会もなかったし、おそらく私は死んでいたでしょう」
 社長はそう言って号泣した。
 新聞記事など、誰もがきちんと保管しているわけではない。切り抜きを丁寧に折りたたみ、紛失してはいけないと花瓶の下に置いていたのに、いざ相談したいというときに見つからない。「どこさあったが忘れた。たまたま花瓶を寄せたら、切り抜きが下から覗いてた」と笑った女性もいた。
 どういう経緯をたどるにせよ、相談の数だけの物語を生み出す。

 相談は、原則として、面談である。予約は電話で受けるが、いきなり名前を聞くことはしない。「どんなお悩みですか」「いつからお悩みですか」などと心をときほぐしてゆき、最後に「お名前を教えていただくことはできますか。言いたくなければいいですよ。ご住所や電話番号はいかがですか」と持っていく。
 相談者は、向き合った瞬間に佐藤を値踏みする。この男は本当に自分を救ってくれるのだろうか、本心を打ち明けても大丈夫だろうか……。
 「自殺対策は総合人間学だべ。人間がこの世からいなくなろうかと悩んでいるときによ、どこまできちんと受け止められるか。人間とどう向き合えるか。ましてや我々はボランティアでしょう。謙虚にならないとできねえ」
 面談には、三つのキーワードがある。
 ゆっくり。
 きっちり。
 じっくり。
 まず大切なのは、「ゆっくり」である。相談回数にも相談時間にも、制限を設けない。たとえば「今日の相談は五十分で終える」と決めていると、どうしても顔に出てしまい、相手に見抜かれてしまう。ふわっと構え、ゆったりとした雰囲気を醸し出す。ときに相手が早口でたたみかけてくることもあるが、ペースを合わせずにのんびりと話す。ぬらっと、だらだらと会話を続けるくらいでちょうどよい。佐藤は、そよ風が新緑を揺らし、遠くから水音が聞こえてくるような初夏のブナ林をイメージする。そんな空気になれば、相談者の心も自ずとほぐれてくる。
 「笑い」も欠かせない。佐藤は相談者に「私は倒産したおかげで元気になりました。倒産の先輩だからね。私の言うことは聞かねばダメだよ」と笑う。すると相手も笑う。現場に笑いの花が咲き、ホッとした空間ができあがる。
 もっとも時間をかけるのは、一回目の相談だ。信頼関係を築くことを念頭に置いて、相手に存分にしゃべってもらう。人は何かの原因があるから死にたくなる。ではその原因は何でいつから始まったのか。過去にさかのぼってあぶり出す。原因がわかれば、それを取り除けば生きる力がよみがえってくる……。
 面談では、A4用紙十枚以上にわたる相談シートを使う。一枚目は個人情報や解決方針を書く欄がある。二枚目と三枚目は「こころはればれシート」とあり、悩みを記入する。八枚目、九枚目のシートは会社及び個人の借入金の状況を、十枚目は家族構成を書き入れる。家族構成を知るのは、連帯保証人がどうなっているかを確認するためでもある。十一枚目には、倒産が避けられないときの整理方法がまとめてある。ふだんは相手の目の前でシートに記入するが、自殺予定日を決めているなど状況によっては、シートを出さずに頭の中で項目を反芻しながら話す。
 一回目の相談では、たいてい、悩みを書くところまで進める。佐藤はそれを「相談者をレントゲンにかける」と呼ぶ。シートには、単に「悩み」ではなく、「悩み(改善点)」と記されている。そこには、「悩みをなくせば人生が改善される。見方を変えれば、悩みは成長のための改善点」というポジティブな意図が込められている。
 話しながら泣く相談者も少なくない。佐藤は、涙には心を浄化する作用があるという。佐藤自身、倒産後にはよく泣いた。相談者が帰るときに、来たときと比べて少しでも表情が明るくなっていればいい。一発で解決策が見つからなくても、「来てよかったなあ。何となくホッとしたなあ。しゃべってよかった」と思ってくれればいい。安堵できれば、心に灯がともる。灯を手にすれば、闇夜も歩ける。〈一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うること勿れ。只だ一燈を頼め〉。一回目の相談は、次回の約束をして終わる。
 二回目には、悩みを「心の問題」と、「(心を圧迫している)経済問題」とに切り分ける。そして、解決すべき問題点を整理する。それだけで、霧が晴れる相談者もいる。相談者が追い詰められている原因が見えれば、具体的な解決方法を探ってゆく。
 二番目の「きっちり」は相談者と向き合う姿勢を示している。相手を真正面から受け止めて、決して上から引き上げるのではなく、空中ブランコの安全ネットのように下から支える。目線を下げることが大切だ。目に見える「経済問題」から「心の問題」にアプローチしてゆく。
 三番目の「じっくり」は解決に向けての進め方である。時間をかけて解決策をさぐり、試行錯誤を繰り返す。必要に応じて、弁護士や司法書士、医師などの専門家の力を借りる。解決に向けての心構えは七つだ。
 ①悩みを現象面(経済問題など)と、心を圧迫している問題に分ける
 ②現象面から解決していく
 ③解決できる悩みの優先順位を決める
 ④簡単な問題から取り組む
 ⑤小さな問題をひとつ解決して、明かりを灯す
 ⑥新しい悩みを追加しない
 ⑦大きな悩み、緊急性のない問題は先送りする
 佐藤は自らの倒産後も、小さな問題の解決を優先した。最初に難問に取り組むと、いつまでも悩みが減らない。しかし、ひとつでも悩みが解決すれば、そのぶんホッとする。
 相談者はたいてい、三年も五年も悩んでいる。悩みは複雑に絡み合っている。だから、同情や気休めは口にしない。その代わり、こんなふうに言う。
 「あなたが何年も悩んできたことを、そう簡単に解決できないことは理解していただけるでしょう。私も解決方法を考えますから、あなたも自分で考えてください。あなたの悩みなんだからね」
 自分で考えることで前向きになり、本来備えている解決能力が戻ってくる。とくに経営者には現実処理能力が高い人が多いという。相談の途中で「あっ、わかった」と閃いて帰って行った社長もいる。
 もうひとつ、佐藤は、答えは相談者の内側にあると信じている。
 「相談者の中には、倒産は社会のせい、政治のせい、みたいに言う人もいる。でも、自分のせいなんですよ。だって、倒産してない人もたくさんいるべ。自分のせいだって思えると、自分の中に答えを見つけられる。希望だって、自分の中にあるからね。今の時代は希望がないとよく言うけれど、じゃあいつの時代ならあったんだべ? 自分の心の中に小さな風穴を空けて、どこにでも落ちてる幸せをちりばめていく。蝉の声を聞いて、美しいと思うかうっとうしいと思うか。物事には影があれば光がある。絶えず光の側から見ることが大事なわけよ」
 相談を進めるうえで、誰に対しても欠かさず除去する「危険因子」がある。生命保険だ。佐藤自身、倒産間際に、受取金が合わせて三億三千五百万円にも上る生命保険を解約していた。倒産の直前、「自殺して受取金で借金を返そう、自宅も残せるという衝動にかられるかもしれない」と気づいたからである。
 生命保険の解約は自殺防止につながるだけではない。経営者は多額の生命保険をかけている例が多く、数百万円の解約金が戻ってくることもある。そのお金は当面の生活費や弁護士費用に充てることもできる。だが、倒産前後の経営者は、たいていは、追い詰められて視野狭窄に陥っている。だから、経営者の妻に解約してもらうことも多い。
 佐藤によれば、中小企業の経営者には、倒産したら自殺してお詫びしなければならない、と考えている人が少なくない。そんな人たちには、こう諭している。
 「あなたは人を殺したわけでも泥棒をしたわけでもないでしょ。会社の倒産は経済行為の失敗です。勘違いしないでくださいよ。経済行為の失敗の後始末は、『財産の清算』でおしまいです。『命の清算』ではありません。あなたが自殺したら、倒産の後始末は誰がやるんですか。残務処理は大変ですよ。家族に倒産の悲しみと残務処理、さらに父親を失う悲しみを背負わせるんですか。子どもたちの深い悲しみは一生消えませんよ。それでもあなたは父親ですか。生きてさえいれば、必ず再起の道は開けます。倒産ごときで自殺することはありません」
 佐藤が目指すのは、「蜘蛛の糸」を、相談者が「あそこに行けばホッとする」と感じてもらえる場にすることだ。家族のような雰囲気を漂わせていて、訪れた人の心にポッと灯がともる……。

 「これが本来の相談だったなあ」
 佐藤がそう振り返る相談がある。
 ある夏の日、秋田県の小さな町で開かれた相談会でのことだった。会場は公民館のような施設で、和室に細長い机が置かれていた。
 七十代の稲作農家の夫婦がやってきた。ふたりとも、日焼けした顔に困惑した表情を浮かべている。真面目そうな夫はいかにも農業一筋で生きてきたという風体で、相談になど訪れないタイプに見えた。口数も少ない。丸顔の妻は、活発そうで、家庭内を切り盛りしている様子がうかがえた。ふたりは寄り添って座り、夫があぐらをかいて、妻が正座をした。佐藤もあぐらをかいている。相談が始まると、もっぱら、妻が訴えた。
 ふたりの悩みは借金だった。とある事情で息子を助けるために農協から数百万円を借りたが、秋になって米を収穫できるまでは返済のあてがない。しかし、農協からは催促を受けている。役場に訴えたところ、この日の相談会を紹介された……。
 「もう何日も悩んでいて、農協にも相談に行けないべ。夫婦で話しても埒があかないし、どうにもならんと思って、ここさ来ました」
 佐藤はじっと耳を傾けながら、考えた。
 農業をしているのは夫婦だけで、息子は勤めに出ている。後継者はいないが、田んぼの面積から判断すると、中堅農家で、農作業自体は順調だという。借金も、多重債務ではない。一般的には、それほど深刻な状況ではなかった。しかし、借金自体が不慣れな夫婦にとって、ちょっとした躓きが大きな躓きにつながってしまうおそれもあった。
 農協は、この夫婦に農機具を売り、収穫物を仕入れている。つまり、生活全体で付き合っているといってもいい。農協にとっても、夫婦が破綻したら困る。ならば、双方が納得できる解決策があるはずだ。
 相談が二時間に迫ろうとするころ、佐藤はこんな提案をしてみた。
 「農協に相談して、元金は保留にしたまま、毎月、利息だけを払うようにしてもらったらどうですか? 秋までは利息だけを払い、お米が収穫できたら、元金の一部を返す。毎年百万払えば数年で返済できます。そうやって払うようにすればいいべ。農協も応じるはずだから」
 夫婦の表情が明るくなった。暗夜に一燈が灯ったのだ。安堵していることが伝わってきた。相談が終わるころ、妻が言った。
 「いやあ先生、ここに来る前は、冷凍庫の中の固い固い氷のように真四角でカチンカチンの状態だったべ。だけど、先生と話してる途中から氷の角がとれて、丸く小さくなってきた。だんだんぶよんぶよんになって、つららが溶けるみてえに、自分の氷からしずくが垂れてきた感じです。ホッとしました。ありがとうございました」
 「今日の帰りにでも農協に寄ってみてください。もし農協が応じてくれなかったら、またいつでも電話をください」
 ふたりは腰を上げた。心象風景を詩的に表現する相談者は珍しい。妻の豊かな感性に触れて、佐藤は「俺の目指している相談は、こういう相談なんだ」とほくそ笑んだ。
 よく傾聴というが、単に耳を傾けるのではない。心を相手のほうに傾けて、相手の話を心で受け止めるのだ。そんな傾聴をすることで、相談者の状況をそのまま認めてゆく。相談者は、認められることで、自分の存在や状況を受容できる。その結果、安心感や安堵感を得られて、心配事に対しても「そんなに心配しなくてもいい」と思える。こうした心の動きを、専門用語ではカタルシス効果(心の浄化作用)というらしいが、それよりも「カチンカチンの四角い氷が溶けて丸くなった」という農婦の言葉のほうが、佐藤にはしっくり来た。

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