池上冬樹 マイ・ベスト・レビュー

90年代以降、書評家として第一線で活躍を続ける池上冬樹さんにベストレビュー5点を選んでもらった。海外文学から時代小説まで、幅広い読書体験が生み出す豊かな書評の世界と書評家の暮らしぶりが見えてくる。

あなたに不利な証拠として (ハヤカワ・ミステリ文庫)

あなたに不利な証拠として (ハヤカワ・ミステリ文庫) 著者:ローリー・リン ドラモンド、Laurie Lynn Drummound、駒月 雅子 出版社:早川書房

理想の書評を目指して

 作品の感動を伝えるのは難しい。まず、自分の感動はほかの人たちと共有できるものなのかと考えるし、次に、一個の文学作品としてとりあげる価値があるのかどうかも考える。他者と共有できるものであり、とりあげる価値が大いにあるとして、では、どのように伝えるのか。どのように枕をふり、どのように作品の中身にはいり、どのようにストーリーを紹介し、どのように魅力を伝えるのか。
 そんなふうに考えるのは、文芸作品の書評もまた(大げさな言い方をするならば)一個の文芸作品として自立しなくてはいけないと考えているからである。かるく読み捨てにされるのではなく、できれば二回も三回も読み返したくなるような濃密さがないといけない。読者の価値観を変えるようなものにしたい。
 そんな理想に少しでも近づくことができたのが、手前味噌になるが、この書評ではないかと思う。

【書評を読む】心震わす警官の懊悩 リアリズムに徹した傑作

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世界のすべての七月

世界のすべての七月 著者:ティム・オブライエン、村上 春樹、Tim O'Brien 出版社:文藝春秋

純文学とエンタメの垣根をはずす

書評委員になってはじめての書評である。読み返すと若干肩に力が入っていて、やや読みにくいところはあるが、それでも愛着のある書評だ。海外の純文学といえるものが日本ではエンターテインメントとして愉しめるし、海外のミステリが日本では純文学としても堪能できる、ということを広く知らせたいと考えている僕には恰好の作品だった。
 ドラモンドの小説は、僕の書評が契機になって大いに注目されたけれど(ベストセラーにもなったけれど)、これは何故かあまり注目されなかった。村上春樹が訳しているにもかかわらず。これは傑作です。読んで損はしません。この小説がどうして熱狂的に語られないのか、僕にはいまだに不思議でならない(なお余談になるが、オブライエンが好きになった人はぜひ、大傑作『本当の戦争の話をしよう』を読んでください)。

【書評を読む】狂騒的でせつない同時代の群像劇

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水滸伝 (1)

水滸伝 (1) 著者:北方 謙三 出版社:集英社

全19巻、至福の物語

 雑誌と比べて新聞の原稿料はいい。だからといって、全19巻の書評を書く人間はいない。19冊読んだからといって読み代がつくわけではないので、わりにあわないのだ。この手のシリーズものの書評は、たいてい1巻目か2巻目の書評をして、シリーズに期待すると締めくくって終わるのがパターン。
 しかし北方謙三の小説を長く読んできて、書評委員として同じ作家を年に二回とりあげるのは難しいというシステムだったので、何としてでもとりあげたかった。これをとりあげないで他になにをとりあげるのだ? と思っていた。それでもまだ、そのときは全19巻の半分も読んでいなかったと思う。でも、自分で締切りをもうけないと、ずるずると積読になるおそれもあったので、担当記者にお願いして書評した。
 読了するまで時間がかかったが、至福の物語だった。嬉しかったのは、書評のあと、担当記者や友人・知人たちも読みはじめて、池上さん、『水滸伝』ものすごく面白いですね! いってくれたことだ。おそらく書評に煽動されて、読みはじめた読者が少なからずいたのではないかと思う。

【書評を読む】苛烈な人生の数々、わくわくする革命小説



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日暮れ竹河岸 (文春文庫)

日暮れ竹河岸 (文春文庫) 著者:藤沢 周平 出版社:文藝春秋

新たな視点で感動を際だたせる

多くの評論家・作家が称賛してやまない藤沢周平の魅力をあらためてとりあげる、というのは、なかなか難しい。なにを書いても既視感を抱かれるからで、その既視感を抱かれないようにするにはどうしたらいいのか、どのように入り、どのように読者の関心を導けばいいのか、という戦略で書いた書評である。戦略というと語弊があるが、たんに自分の感動を際立たせるにはどうすればいいのか、という視点ですね。
 そういうときに役立つのは、10代の頃から好きで読んでいる作家たちの文章で、冒頭で紹介されている画家の話は、小川国夫のエッセイ集で知った。書評委員時代、最後のほうで小川のエッセイ集を書評できたのは嬉しかった。できれば小説をとりあげたかったのだが。

【書評を読む】人生の哀歓を鮮やかに描く

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白夜行

白夜行 著者:東野 圭吾 出版社:集英社

明日の昼までに原稿を…

 書評委員になるまえにも、朝日には原稿を書いていた。「売れてる秘密」や「ベストセラー快読」のコーナーで、その中から一本。これには思い出がある。
 ライターの急病や事故などで原稿に穴があきそうになると、よく僕のところに電話があったのだが、実はこれもその一本。金曜日の夜9時すぎだったと思うが、山形市(僕は山形市に住んでいる)のバーで飲んでいたら、担当記者から電話があり、翌日の昼まで原稿を一本お願いできないかといわれ、一晩で書き、翌々日の日曜の朝刊に掲載された書評だ。
 もちろん「ベストセラー快読」の欄だったので、記者に電話口でベストラセー・リストを読み上げてもらい、協議して、『白夜行』を選んだのだが、ちょうど事前に読んでいて、大傑作と昂奮していたので、わりと悩まずに書き上げた。あまりあれこれ考えないで書いたほうが、時としていい原稿になる場合がある、ということかもしれませんね。1、2、4のコメントと矛盾しますが(笑)。

【書評を読む】技巧派の名手、小説巧者として一段と輝きを増す

            ◇
 以上、5本の書評を選んだけれど、ほかにもたくさん愛着がある。いや、むしろ全部の書評に愛着があるといってもいいかもしれない。とくに書評委員時代の書評は全部。「売れてる秘密」や「ベストセラー快読」に書いた書評も、また。
 コラムの性格上、後者のベストセラー関係の文章のほうは、絶賛できない作品も担当したけれど(温度の低い書評がそれだ)、それでも分析だけの愛想のない文章にはなっていないはず。あくまでも読ませる書評を意識して書いたのだけれど、はたして読者の感想はどうだろうか。

池上冬樹の書評を読む

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