新保博久が読むクリスティー

 クリスティーと初めて出会ったのは、私には祖父との別れの日であった。半世紀も前、小学四年生のとき祖父の葬式に連れて行かれ、おとなしく本でも読んでいるようにと、児童向きにリライトされた『ABCの恐怖』を買ってもらったというだけだが。祖母の代わりにクリスティーを得たのなら、できすぎた話になっていたものを。それまでホームズ、ルパンといったカッコいい名探偵しか知らなかった(ルパンは泥棒が本業だが)から、挿絵にもじじむさく描かれていたポアロにも熱狂できなかった。
 さらに江戸川乱歩の随筆で『アクロイド殺し』と『オリエント急行の殺人』の犯人を教えられ、もうこの作家は読めないとあきらめた矢先、ラジオである小説を紹介しているのを聴いた。
「島に来た10人全員が殺されるんです。島には10人のほか誰もいません。1人が9人を殺して自殺するんでもないんです」――言うまでもなく『そして誰もいなくなった』である。これは読みたい! やっとクリスティーの魅力に開眼できた。そのころは探偵ポアロもミス・マープルも登場しない、異色のサスペンス小説の傑作というふうに言われていたものだ。現在ではやはり本格ナゾ解きの逸品と評価しなおされ、その精神で新訳されているから、むかし読んだ人が再読しても発見があるだろう。
 ちょうど今月から、『そして誰もいなくなった』を含む早川書房のクリスティー文庫100点が、毎月10点ずつ電子書籍で配信される。創刊のラインアップに『ハロウィーン・パーティ』があり、12月の『ポアロのクリスマス』や、ミステリーでない小品集『ベツレヘムの星』なども読む季節としてはぴったりだ。
 クリスティーには『ねずみとり』や『検察側の証人』といった有名戯曲もあるが、私のおすすめは12月刊の『招かれざる客』。セリフを文字で追うのは分かりにくいと敬遠する人も、二転三転する展開にたちまち引き込まれるだろう。紙という媒体を超えてもクリスティーは面白い、ということを象徴しているようでもある。
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 しんぽ・ひろひさ ミステリー評論家。1953年生まれ。『日本ミステリー事典』で本格ミステリ大賞、『幻影の蔵』で日本推理作家協会賞(評論その他部門)。
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 クリスティーの写真は(C) Angus McBean、(C) Hayakawa Publishing, Inc.

ポアロ登場 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

ポアロ登場 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫) 著者:アガサ・クリスティー、真崎 義博 出版社:早川書房

電子書籍入門にぴったり

 電子書籍初体験には短編がいいかもしれない。天才女流も当初はシャーロック・ホームズの真似から出発し、ホームズよりあっさりしているが、第3話「安アパート事件」など本家コナン・ドイルの「赤毛組合」の意外なバリエーションで楽しめる。ほかに、記録されたポアロ最古の事件(しかも失敗談)「チョコレートの箱」など全14編。

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オリエント急行の殺人 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

オリエント急行の殺人 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫) 著者:アガサ クリスティー、山本 やよい 出版社:早川書房

ひとすじ縄ではいかない仕掛け

 さてこの犯人は、①ポアロ②ポアロ以外の乗客の1人③複数の乗客④その他、のうちどれか? 予備知識のある人が答えそうな番号は誤答で、正解はその次の番号。読んだことがある人、映画を見た人、犯人だけは知っているというつもりの人も改めて確めてみよう。あまりに有名な作品だが、ひとすじ縄ではいかない仕掛けがあるのだ。
(電子書籍は12年1月配信予定)

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動く指 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

動く指 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫) 著者:アガサ・クリスティー、高橋 豊 出版社:早川書房

本質はメロドラマ

 悪意ある匿名の手紙に揺れる村でついに殺人が。クリスティーの本質はメロドラマだと喝破したのは都筑道夫だが、ロマンス色が嫌いでない読者にとくに向くのが本書。ロマンス90%に推理10%。ミス・マープルは一撃で真相を見抜く探偵なので、長編に登場させるにはこういう起用法が正解だろう。自選ベストテン*にも選ばれている。
(電子書籍は12月配信予定)

*1972年、日本のクリスティー・ファンクラブ代表からの質問に答えたもの。ただし順不同で、時による変動を見込んだ“瞬間風速”でもある。

『そして誰もいなくなった』
『アクロイド殺し』
『オリエント急行の殺人』
『予告殺人』
『火曜クラブ』
『ゼロ時間へ』
『終りなき夜に生れつく』
『ねじれた家』
『無実はさいなむ』
『動く指』

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春にして君を離れ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

春にして君を離れ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫) 著者:アガサ・クリスティー、中村 妙子 出版社:早川書房

別名で書いた恋愛小説

 クリスティーがもともとメアリー・ウェストマコットという匿名で書いた6冊の恋愛小説の1つ。ほぼ全編、砂漠の駅に足止めされた初老のヒロインの回想で、事件は何も起こらない。にもかかわらず、「主人公が探偵、証人、被害者、犯人」の1人4役ともいえる。そのキャッチフレーズで知られるジャプリゾの『シンデレラの罠』より18年早く発表された。
(電子書籍は12月配信予定)

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