作家が読む村上春樹

 「世界文学」と位置づけられ、日本の作家で最も注目される村上春樹。数多くの読者を魅了するその作品世界のエッセンスとは何か。まだお読みでない本好きのみなさん、浅田次郎や川上弘美らベテラン作家や文芸評論家らの書評を手がかりに、年末年始は村上作品を読破してみませんか。

1Q84 BOOK 3

1Q84 BOOK 3 著者:村上 春樹 出版社:新潮社

仮想化に抵抗する両義的な身体

 『1Q84 BOOK1・2』から1年、待望の続編『BOOK3』が出版された。
 すでに発行部数90万部。発売日の午前零時に店頭に行列ができる小説は、いまや『1Q84』だけだろう。批評家には賛否を呼んだが、その作品世界が人々を強く魅了していることは間違いない。
 作家自身の解説によれば、本作は「10歳で出会って離れ離れになった30歳の男女が、互いを探し求める話」だ。しかし前作で、ヒロイン「青豆」は「天吾」の命を救うため、首都高速の待避所で拳銃をくわえ引き金を引いたのではなかったか…もっと読む

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1Q84 BOOK 1

1Q84 BOOK 1 著者:村上 春樹 出版社:新潮社

「根源悪」を追究、何かが変わった

 なにか吹っ切れた感じがする。あのとき感じた「意志」は実践されたのだ——7年ぶりの新作長編を読みだしてすぐにそう思った。前作の中編『アフターダーク』には、深い森から踏みだす決意のような、飛び立つ直前の構えにも似た気配が漂っていた。『1Q84』には、新しい村上春樹がいる。読者は「何かが変わった」と感じるだろう。その一方、やはり村上ワールドは不変とも思うだろう。
 オウム真理教の問題に向きあい、90年代に2冊のノンフィクションを書いた作者が、事件から14年を経てカルト教団を素材に小説を発表した。舞台はイラン・イラク戦争が続くバブル以前の1984年…もっと読む

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東京奇譚集

東京奇譚集 著者:村上 春樹 出版社:新潮社

懐かしく切実で深いもの、余白に

 村上春樹は長編もいいが、それ以上に短編が素晴らしい。言葉とイメージが凝縮されていて、細部が巧みに連繋(れんけい)して、ひとつのテーマを屹立(きつりつ)させる。何よりもバランスがとれていて、見事な結構をもつ。それでいて、あえて十分に説明しない余白があり、読む者はそこに、言葉ではうまくいいあらわせない何か、懐かしくも切実な何か深いものを感じとる。
 たとえば、ピアノ調律師が姉と和解する「偶然の旅人」。いくつもの偶然を重ねながらも少しも作為を感じさせず、生の不思議な営みを浮き彫りにする。“僕らの方に強く求める気持ちがあれば、それはたぶん僕らの視界の中に、ひとつのメッセージとして浮かび上がってくるんです”という真実を示しながら…もっと読む

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アフターダーク

アフターダーク 著者:村上 春樹 出版社:12345

物語が私たちの現実の皮膜そのもの

 あと少しで日付が変わる深夜から、朝の七時少し前まで。大抵の人が眠りこんでいる時間帯に、この物語は進行する。舞台は、ファミレス、コンビニ、ラブホ(ラブホテルのことだ)、深夜のオフィス、そして眠る女の部屋。
 冒頭から、「私たち」という視点が据えられているが、この「私たち」とは誰なのか。そこに読者である自分を重ねると、はじき出されてしまうような箇所(かしょ)がある。「視点」は観念となって個人の肉体を離れ、物語をつき動かしているように見える。世界を俯瞰(ふかん)し、観察し、そこに決して介入しない顔のない「私たち」。その分厚い匿名空間は、圧力のように小説の上空を常に覆い、そこから「私」という個人を、奪い返すように小説は進む…もっと読む

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海辺のカフカ〈上〉

海辺のカフカ〈上〉 著者:村上 春樹 出版社:新潮社

「人を損なうもの」に抵抗してゆく

 ずっと心に懸かっている村上春樹の短編がある。「沈黙」という題のそれは、邪悪な級友によって痛めつけられた高校生の話である。彼が「本当に怖いと思う」のは、邪悪な級友その人ではなく、その人の話を「無批判に受け入れて」「踊らされて」「誰かを無意味に、決定的に傷つけているかもしれないなんていうことに思い当たりもしない」連中だ、と語る言葉を、折にふれて私は思い起こす。自分が「無批判な側」の人間かもしれないという恐れのもとに。
 突風のようにやってきて、暴力的に人を損ない傷つけるもの。それに対して人は何ができるのか。何ができないのか。やってきた暴力がどう人を損なうのか。さまざまな旋律で、このことは近年の村上作品の中に鳴り響いているように思う…もっと読む

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スプートニクの恋人

スプートニクの恋人 著者:村上 春樹 出版社:講談社

「自分」とは何か? 問い含む恋愛小説

 「22歳の春にすみれは生まれて初めて恋に落ちた。広大な平原をまっすぐ突き進む竜巻のような激しい恋だった」
 この冒頭の文章を読んで、とっさに私が抱いたのは、幻滅というより、村上春樹はどうなっちゃうんだろう、という戸惑いと不安だった。
 『ねじまき鳥クロニクル』完結以来、四年ぶりの書き下ろし長編小説である。それこそ竜巻みたいに読者の期待が渦巻いていることは、作者も十分わかっていただろう。そこへ、まるでパロディー的なまでに陳腐な文章が差し出される。どうしたことだ。
 恋愛小説である。それも女性同士の恋。しかし、ギリシャを舞台とした商品パッケージの「恋愛小説」は形骸(けいがい)にすぎない…もっと読む

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アンダ-グラウンド

アンダ-グラウンド 著者:村上 春樹 出版社:講談社

サリン被害者の「声」、新地平を拓く「習作」

 村上春樹が地下鉄サリン事件のドキュメントを書いたと聞いて、カポーティの『冷血』、メイラーの『マリリン』等を想起した読者は私ばかりではあるまい。
 だが、この長大なインタビュー集を読み始めてすぐ、私は同業者の直感から、著者は被害者の声をこのような形で一冊の書物にしようとかねて考えていたわけではなかろうと思った。
 著者ほどのストーリー・テラーならば、これらの貴重な証言をもとに、ダイナミックなフィクションを構築しようと企(たくら)んだはずである。それぞれの人生を背負った被害者たちが、いつに変わらぬ都会の朝、運命的にある地点に収束をし、有りうべからざるカタストロフを体験してしまう。そのとき彼らひとりひとりの人生がどのように意味を持ち、どのように無意味になるのか——もっと読む

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ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編

ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 著者:村上 春樹 出版社:新潮社

「孤独」に安らげず 闇を通し「世界」感知

 米国の音楽家、故ジョン・ケージは、無音室での体験が、自身の音楽観の転換点となったと語っている。外界の音が遮断された無音室に入るまで、彼は、この世には完全な「静寂」が存在すると、信じていた。だが、いざ、その部屋に入ると、自分の体内の心臓の音、血管やリンパ管を流れる体液の音が聞こえて、衝撃を受けた。つまり、世界に“自分”という聞き手がいるかぎり、「静寂」は存在しないと彼は言うのだ。
 あるいは、完ぺきな闇(やみ)の体験はどうか。普段われわれは自分の身体の動きを、視覚によって確認する。しかし、深い井戸底のような場所では、動きはその視野から奪われる。そこでは、「動き」は闇の中に溶解し、「自分」という存在すら、世界に属する抽象的な一部分のように感知されることになるだろう…もっと読む

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国境の南、太陽の西

国境の南、太陽の西 著者:村上 春樹 出版社:講談社

心のぎざぎざが噛み合った恋愛

 島本さん、という魅力的で不可思議な女性が絡んでこなかったら、主人公「僕」の人生は、どこにでもありそうで、まあその中ではかなりよくできたほう、といったものだ。
 ほどほどの屈折と、ほどほどの挫折と、ほどほどの幸福と。僕の人生は、現代の日本における一典型とも言える。そんな中で島本さんの影は、常に彼の「今」に降り立ち、「その奥」あるいは「その先」にある何かを考えさせる。
 2人の出会いは小学5年生のとき。互いに一人っ子であることから、心が通いあうようになった。違う中学に進学し、会うことはなくなってしまったが、のちのち僕は、何かにつけ島本さんを思い出す。ガールフレンドといるときも、その従姉とのセックスに溺れるときも、つまらない会社にいるときも…もっと読む

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走ることについて語るときに僕の語ること

走ることについて語るときに僕の語ること 著者:村上 春樹 出版社:文藝春秋

「文学の悪」に負けない作家の気迫

 「我走る、ゆえに我あり」——百キロ走のウルトラマラソンではこんな没我の境地まで経験したランナー作家によるメモワールである。近年、ノーベル文学賞に最も近い日本人の一人と言われながら、寡黙を通す作家の、初の自伝作品としても貴重だ。
 「どれぐらい自分の能力を確信し、どれぐらい疑えばいいのか」。走ることと書くことは著者の中で深く通底し、結ばれている。双方勝ち負けがないこと。pain(つらさ)をsuffering(災い)にしないことの大切さ。この“走る小説論”の中で印象的だったのは、“才に恵まれないことの恵み”についてだ。この大作家に才能がないわけがないと、厭味(いやみ)に感じるかもしれない。が、……もっと読む

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