天沢退二郎が語る 「オレンジ党」の世界

 詩人、フランス文学者、宮沢賢治研究家として知られる天沢退二郎さんのファンタジー小説『オレンジ党 最後の歌』が刊行された。『オレンジ党と黒い釜』(1973年)、『魔の沼』(82年)、『オレンジ党、海へ』(83年)に続く、約30年ぶりの「オレンジ党」の物語で、シリーズ最終話となる。「黒い魔法」の暗躍による危機を防ぐために子どもたちが立ち上がる冒険、幻想小説は、秘められた水脈のように世代を超えて読み継がれている。「オレンジ党」シリーズを、先行する『光車よ、まわれ!』とともに天沢さんが語る。

光車よ、まわれ! (fukkan.com)

光車よ、まわれ! (fukkan.com) 著者:天沢 退二郎 出版社:ブッキング

賢治と英・仏文学が土壌に

 『光車よ、まわれ!』を書いていたころは、詩人の入沢康夫さんと一緒に宮沢賢治の全集作りに取り組んだ時期と重なります。『宮沢賢治の彼方へ』(68年)をフランスで書き出したときに、手元にあった文庫本と全集の本文とが大事だと思うところでずいぶん違っていたのが出発点でした。雑誌「ユリイカ」で入沢さんと対談したときに、それまでの全集は編集委員がさまざまな魅力的なバリアント(異本、異稿)を我々読者の目につかないところで処理していて、権威がディテールを独占してしまうことに反対だということで意気投合したのです。そのことに宮沢賢治の弟の清六さんも理解を示してくれました。だからぼくたちの全集は推敲過程をできうる限りすべて収録したものになっています。
 
 71、72年と賢治の原稿を調べ続けて、73年から全集の刊行が始まりました。『光車』は73年に出版していますから、賢治のエッセンスに触れ続けながらの執筆だったといえます。
 
 小学校2年生ぐらいから読み始めていた賢治作品に加え、ぼくのファンタジーの土壌になっているのはイギリスの作家・アーサー・ランサムの12冊のシリーズです。
 集中して読んだのはフランス文学科の学生のころで、千葉から本郷に通う総武線の行き来で読んでいました。当時はまだ『ツバメ号とアマゾン号』など2冊しか翻訳がなかったので、あとはイギリスに原書を一冊ずつ注文しては読んだのを覚えています。あのころが人生で一番英語を読んだ時期じゃないでしょうか。『光車よ』も「オレンジ党」も、子どもたちのグループが活躍する話にしたのは、このころ読んだアーサー・ランサムの影響があります。

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オレンジ党と黒い釜 (fukkan.com)

オレンジ党と黒い釜 (fukkan.com) 著者:天沢 退二郎、林 マリ 出版社:ブッキング

日常と地続きのファンタジー

 ベストセラーになったファンタジー小説「ハリー・ポッター」シリーズは、3冊目まで読みました。よくできているのですが、魔法使いの子どもたちに比べて、ふつうの子どもたちが一般人という感じで差別されているような気がして、どうもぼくには合いませんでした。
 「オレンジ党」シリーズでは、オレンジ党の子どもたちが特別な力を持っていることをまわりに隠そう隠そうとし、クラスメートの側も陰では彼らを認めて支援しているという関係です。「あんまり我々と親しくすると危ない」と主人公側が忠告するなど、クラスのなかで主人公たちは浮かず、反感も持たれず、そういう設定にしていました。
 ファンタジー小説ではトールキンの『指輪物語』やルグインの『ゲド戦記』、アラン・ガーナーの『ブリジンガメンの魔法の宝石』など、かなり読んでいます。アラン・ガーナーの描く魔法は、「古い魔法」の特質など、「オレンジ党」シリーズにも反映されています。

 アラン・ガーナーやアーサー・ランサムの作品世界は、子どもたちの日常の生活と冒険が一体となっているのが魅力的でした。ぼくの作品でも、現実の子どもたちの生活のなかで不思議な世界に巻き込まれたり、化け物に襲われたり、現実世界に足場はあるのだけれど、不思議な世界につながっていくというリアリティーとファンタジーのバランスを大切にしています。
 
 「オレンジ党」シリーズの前には「闇の中のオレンジ」という短編(『闇の中のオレンジ』所収)があって、そこには「オレンジ党」シリーズで活躍する李エルザと由木道也が登場しています。この短編を書いたときは、まだ長編にするというつもりはなくて、ただこの子たちに仲間を加えていきたいとは感じていました。『光車』で活躍した吉川ルミという女の子の役割を、「オレンジ党」シリーズでは鈴木ルミと李エルザに分けています。ルミひとりでは重荷であるような要素を李エルザに振り分けて、一人の人間のなかの二つの要素を別の人物にもたせたことで、書きやすくなったし、物語的にもすっきりとしました。
 作家の長野まゆみさんや詩人の松浦寿輝さんにも指摘されたのですが、ぼくのファンタジーは「元気のいい女の子」が引っ張っていくものが多いのです。それがなぜなのかは、自分では分かりませんね。

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魔の沼 (fukkan.com)

魔の沼 (fukkan.com) 著者:天沢 退二郎、林 マリ 出版社:復刊ドットコム

公害など社会状況を反映

 「オレンジ党」シリーズのなかで、この作品だけがタイトルに「オレンジ党」と入っていません。シリーズとしては入れた方が分かりやすいのでしょうが、これは『魔の沼』以外はあり得なかったのです。
 『光車』の舞台となったのは、東京の西側、中目黒と世田谷区の祖師谷大蔵周辺です。いずれもぼくや妻が住んでいた地域で、見返しの地図にある「西条」は成城、黒眼川は目黒川からのデフォルメです。
 一方の「オレンジ党」シリーズは中学・高校時代を過ごした千葉に戻ってきてからの作品です。あちこちを自転車で回ったり、歩いたりしているうちに、子どものころに見た風景も思い出されて物語が立ち上がってきたのです。
 今もぼくが住む土地には戦時中に陸軍が使っていた遺稿も残っていて、塹壕に水がたまった場所があったりしました。「グーン」というのはこの「軍」のイメージから生まれたものです。自転車で走り回っていると、子どものころに見た風景も思い出されて、それが作品を生み出す原動力にもなりました。ぼくの作品を古びないと言ってくれる人もいますが、もともと描かれているのが1950年代の千葉の風景なのです。

 「オレンジ党」に共通するイメージとして「水」があると指摘されることもあります。自分ではあまり意識したことがないのですが、ぼくの詩集などにも「水」のイメージが多く入っていると分析されたこともあります。
 『黒い沼』に関しては、公害による汚染というイメージが原型になっています。ルミの体のなかにある「ホオズキの実ぐらいの大きさに、黒い汁のつまった部分がある」というのも、公害による病気というイメージのメタモルフォーゼ----というより、人間自体の中にひそむ〈悪しきもの〉のメタファーです。
 
 『黒い釜』と『魔の沼』の刊行は、5年ぐらい間があります。この時期は賢治の一般向けの新編全集や文庫を出しているのですが、入沢康夫さんがフランスに行っていなくなる時期があったりして、再び賢治全集で大変な時期でした。

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オレンジ党、海へ (fukkan.com)

オレンジ党、海へ (fukkan.com) 著者:天沢 退二郎、林 マリ 出版社:復刊ドットコム

「子どもたちを殺さないで」

 『海へ』のときは、千葉のホテルに一泊してあらすじを作りました。
 「オレンジ党」シリーズや『光車』を書くときは、いつもカンヅメになって集中して1日か2日で詳細な目次を作るのです。あとは時間のあるときに近くの喫茶店でその目次に沿って書き進めていきます。40枚ぐらいの短編しか書いていなかった時期に300枚以上の長編を頼まれて『光車』を仕上げたときから、この書き方は続きました。ぼくの小説だけでなく、明治学院大学で教えていたときゼミの学生に卒論の書き方として紹介もしています。

 このころになると、「オレンジ党」シリーズは大学の同僚でも読んでくれている人がいて、途中までの原稿を見せたときに、ある人から「天沢さんはこの子どもたちを殺す気でしょう、殺さないでくださいよ」と釘を刺されました。
 「殺すつもりです」とも言えず、これは最後まで書き進めるときに問題となりました。最後に子どもたちが水の面にかえってきたところまで書いたのですが、「帰ってきたようでした」と書こうかとも思っていました。
 「ようでした」というのはあいまいで、賢治の「風の又三郎」では冒頭の子どもたちが学校にいく場面で、教室に変な子がいて「(風が吹いて)にやっとわらってすこしうごいたようでした」と子どもたちが言う。
 あの「ようでした」の使い方は見事だと思います。だから、『海へ』のラストは「帰ってきたようでした」といれようとしたんです。でも、実際には賢治に悪いから入れませんでした。子どもたちが本当に帰ってきたかどうか、池の水に映って、手を振っているところで終わっています。

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オレンジ党 最後の歌 (fukkan.com)

オレンジ党 最後の歌 (fukkan.com) 著者:天沢退二郎 出版社:復刊ドットコム

相次ぐ復刊、2代目の読者も

 『海へ』から30年近い時間がたちましたが、ぼく自身はブッキングによる復刊が続いていたので、気持ちはつながっていました。
 『光車』や「オレンジ党」シリーズだけでなく、1973年に出した童話集『夢でない夢』(大和書房)なども復刊されました。インターネットで読者の予約を募って復刊するというシステムですが、こういうことが商業的に成立するというのは奇跡的です。
 ブッキング(現在は復刊ドットコム)の「オレンジ党」シリーズ復刊記念で何度か講演会をすると「昔からの読者です」とか「息子が二代目の読者になりました」と言われることがあって、やはりうれしいですね。

 原稿に「終わり」と書いたのは、いまから4年前でした。あとがきにも書きましたが、やはり「オレンジ党」シリーズはマリ林の絵とずっと一緒だったので、それ抜きには成立しないだろうと、絵の完成を待ちました。
 原稿がまだ校正段階でしたから「ぼくも老い先短い身だし、もしぼくが途中で何とかなっちゃたら、賢治全集のようにテキストクリティークをやってくれ」と賢治全集を一緒にやっている知人に頼んだくらいです。まあ、それは冗談で済んで良かったんです。

 物語では水のイメージを使っているのですが、脱稿から刊行までの4年の間に3・11の震災や原発事故があって、TVで津波の映像が繰り返し流れたときには驚きました。昔からの読者であれば、予言したとか予告だったとかあまりセンセーショナルに受けとめることはないと思っています。問題はもう少し先の、近未来の、複合的なカタストロフです。

 昨年の暮れに本ができていて、最近になってぽつぽつと感想のハガキが来るようになりました。読者というか大学の先輩が、この物語の舞台に近い所に住んでいて、「最近はトンネルが次々に壊されて、切り通しになって雰囲気がなくなっている」と言われました。 シリーズはこれで終わりなのですが、まだ終わった気がしないですね。

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