文理悠々 尾関章の本棚 特別編

 「小説が好きだから科学記者になった」という尾関章・編集委員による書評コラム「文理悠々」が、9月24日からブック・アサヒ・コムで始まります。「アスパラクラブ」で人気の「文理両道」を引き継いだもので、文系、理系の壁を越えて本の世界の魅力を紹介します。
 今回はお披露目を兼ねた特別編で、120本を超える過去のコラムのなかから反響が大きかったものを選び出しています。
 「文理悠々」は月曜更新です。ご愛読、よろしくお願いします。
    ◇
 おぜき・あきら 1977年に朝日新聞記者となり、83年からは科学記者。科学医療部長や論説副主幹などを務めて、いまは編集委員。2010年春までの2年間、本紙読書面の書評委員として科学本だけでなく文系本もとりあげた。

ニュークリア・エイジ (文春文庫)

ニュークリア・エイジ (文春文庫) 著者:ティム オブライエン、Tim O'Brien、村上 春樹 出版社:文藝春秋

村上春樹の訳で読む「核の時代」

 雨に濡れてはダメ、傘を必ずさしなさい。もし濡れたなら、髪をよく洗うこと。小学生のころ、そんな注意を受けた。だからだろうか、雨にうたれて歩くのは結構心地よいものなのだが、なんとなく叱られそうでいつも傘を開いてしまう。

 これはもちろん、核実験で飛び散った放射性物質を恐れてのことだった。1960年前後、米国、ソ連などの核大国は大気圏での核実験を日常茶飯事のように繰り返し、地球の空という空を汚してしまった。広島、長崎の被爆に続いて54年の第五福竜丸事件で核実験の怖さを知った日本社会は、このことに敏感だった。だから親も先生も、子どもたちの頭上の雨が悪さをしないか、気が気でなかったのだろう。続きはこちら

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砂の女 (新潮文庫)

砂の女 (新潮文庫) 著者:安部 公房 出版社:新潮社

「砂の女」とヒッグス粒子の関係

 砂というと、ぎらぎらした真夏の太陽が思い浮かぶ。砂浜はラブレターの便箋にもなるし、モンローウォークで歩く舞台にもなる。だが、砂を甘く見てはいけない。いったん足をとられると、怖いことになる。「急に、走りづらくなった。やたらに、足が重い」「なんていうことだ……人食い砂と言うようなものがあることを、話には聞いたことがあるが……」「もがけばもがくほど、ますます深く、めり込んで行く」

 『砂の女』(安部公房著、新潮文庫)の一節だ。今回、この小説を話題にしようと思うのは、それが、つい先日大きな科学ニュースとなったヒッグス粒子のイメージに重なるからだ。宇宙誕生の直後、光のように身軽に飛んでいた素粒子はヒッグス粒子にまとわりつかれて動きにくくなった。これこそが慣性質量、すなわち僕たちが重さとして感じているものだ。この筋書きは、妙に人間の生の重たさとだぶって見える。続きはこちら

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赤頭巾ちゃん気をつけて (新潮文庫)

赤頭巾ちゃん気をつけて (新潮文庫) 著者:庄司 薫 出版社:新潮社

赤頭巾ちゃん、お久しぶり

 赤ずきんちゃんと言えば、童話の主人公だが、ある世代にとっては、それは自らの青春を軽やかに独白する薫(カオル)君が思い浮かぶ。団塊のしっぽともいえる1951年生まれの僕は、その世代のど真ん中にいると言えるだろう。

 69年に芥川賞を受けた庄司薫のベストセラー小説『赤頭巾ちゃん気をつけて』のことだ。先日、このブログで『されど われらが日々――』(柴田翔著、文春文庫)をとりあげたとき、『赤頭巾ちゃん……』の文庫新刊が出たことを受けて、Agaさんから「“由美ちゃん”にもまた会いたくなりました」というコメントを頂いた。ちなみに、由美ちゃんとは薫君の青春に切っても切れない幼なじみである。続きはこちら

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芭蕉 おくのほそ道―付・曾良旅日記、奥細道菅菰抄 (岩波文庫)

芭蕉 おくのほそ道―付・曾良旅日記、奥細道菅菰抄 (岩波文庫) 著者:松尾 芭蕉、萩原 恭男 出版社:岩波書店

新緑に芭蕉あり、「奥の細道」考

 晴れていようが、雨に打たれようが、この季節は散歩に出たくなる。それは、目に飛び込む木々の緑のみずみずしさのせいかもしれない。ケヤキやコナラ、クヌギのような落葉広葉樹はとくにそうだ。透明感のある葉の重なりが日々、枝と枝の間を埋めてゆく。

 散歩というには大事業に過ぎるけれど、松尾芭蕉が東北と北陸を巡る旅に出たのも、いまの暦でいえば1689(元禄2)年5月16日(旧暦3月27日)だった。新幹線もない、クルマも高速道もない、そんな時代であれば、旅に頃合いの季節は自ずと決まってくる。まして、風景をめでる、という使命感を抱いての長旅である。この時季をおいて旅立ちのチョイスはなかったのかもしれない。続きはこちら

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サッチャー時代のイギリス―その政治、経済、教育 (岩波新書)

サッチャー時代のイギリス―その政治、経済、教育 (岩波新書) 著者:森嶋 通夫 出版社:岩波書店

メリルのマギー、森嶋のサッチャー

 メリル・ストリープの世界は、とどまるところを知らない。あるときは、NYのシングルマザー編集者(「めぐりあう時間たち」)、あるときは、場末の舞台で歌うカントリー・ウェスタン歌手(「今宵、フィッツジェラルド劇場で」)、またあるときは、ファッション誌のカリスマ編集長(「プラダを着た悪魔」)、そして今度は、戦後世界を代表する実在の保守政治家マーガレット(愛称マギー)・サッチャーだ。

 今年のアカデミー賞で主演女優賞などをさらった「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」(フィリダ・ロイド監督、英国作品)。冒頭、町の小さな店で牛乳を買う高齢女性が描かれる。覚束ない足どり、どこか心もとなげな澄んだ眼差し。その老け顔の目もとに、辛うじてメリルの痕跡を見いだして、それが今のマーガレットの姿だと知る。この一瞬の驚きで、僕は作品世界に引き込まれた。続きはこちら

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平凡パンチの三島由紀夫 (新潮文庫)

平凡パンチの三島由紀夫 (新潮文庫) 著者:椎根 和 出版社:新潮社

ミシマ、平凡パンチ&1960年代

 三島由紀夫というと、引いてしまう。なぜだろうか。忘れもしない1970年11月25日の白昼、学生だった僕の耳に飛び込んできたあの事件のことがあるからだろうか。いや、煎じ詰めればそれにもかかわるのだが、政治思想がどうのこうのという敬遠感ではない。

 たとえば「憂国」という短編を読んでみる。そこには、2・26事件に象徴される戦前昭和の時代風景があり、受け入れがたい自刃という行為がある。だが、それ以前に「引いてしまう」のが、三島世界のどこか思い詰めたような様式美だ。

 どちらかといえば、定型をわざとはずしてみる、偶然に委ねてみる、ということに僕自身は人生の楽しさを感じている。ジャズという音楽になじんできたのも、そういう感覚があるからだろう。その真逆ともいえそうなベクトルが三島文学にはある。続きはこちら

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世界共和国へ―資本=ネーション=国家を超えて (岩波新書)

世界共和国へ―資本=ネーション=国家を超えて (岩波新書) 著者:柄谷 行人 出版社:岩波書店

柄谷行人流の脱原発はPTAのA

 2011年は、脱原発ということを日本の世論が初めて本気で考えはじめた年ではないだろうか。その年の終わりは、3・11後、この言葉を強く発信した人の本で締めくくりたい。脱原発デモの常連となった思想家柄谷行人さんだ。

 年末は、去年同様、この1年間にとりあげた本のなかでとくに思い出深いものを選んで振り返ろうかとも思った。だが、それは当ブログがまもなく到達する100回記念にとっておくことにする。年末回顧を定番で済ますには、あまりにも重い1年だったからだ。

 ということで、今回の1冊は『世界共和国へ――資本=ネーション=国家を超えて』(柄谷行人著、岩波新書)。ここでは、マルクスやカントの思想を通して、著者自身による「アソシエーション」社会の構想が語られている。続きはこちら

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東京アンダーワールド (角川文庫)

東京アンダーワールド (角川文庫) 著者:ロバート ホワイティング、Robert Whiting、松井 みどり 出版社:角川書店

「ガイジン」がアメリカ人だった頃

 赤坂、六本木といえば、今では国際都市東京の表の顔だ。空を切り裂くビル群が3次元に延びる立体の街を生みだし、足もとの樹木が季節感を演出する。だが、時間の殻を一皮ずつはがしていくと、この街を舞台にいろいろなことがあった。一言でいうなら、新聞の第1面には縁遠く、社会面こそ似合う戦後日本のうごめきか。その危うさに満ちた裏面史は、さすがアカサカ、ロッポンギ、どこまでもバタ臭い。  

 今週の1冊は、『東京アンダーワールド』(ロバート・ホワイティング著、松井みどり訳、角川文庫、単行本は2000年刊)というノンフィクション。前回、岩波文庫の硬派本でちょっと肩が凝ったので、軟らかなものを、と中古本ショップを漁って見つけた。続きはこちら

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ダロウェイ夫人 (光文社古典新訳文庫)

ダロウェイ夫人 (光文社古典新訳文庫) 著者:バージニア ウルフ、Virginia Woolf、土屋 政雄 出版社:光文社

6月なんかこわくない?

 6月になると、ヴァージニア・ウルフを思い出してしまう。「お花はわたしが買ってきましょうね、とクラリッサは言った」で始まる『ダロウェイ夫人』の印象が強烈だからだ。「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない?」にならって、見出しは6月なんかこわくない?――。

 第1次大戦が終結してまもない1920年代のロンドン。初夏6月、晴れやかな空が広がり、さわやかな風がそよぐ、ある1日の物語だ。その夜、華やかなパーティーを家で催そうとしている保守党議員リチャード・ダロウェイの妻クラリッサとその周りの人々、さらには彼女とは縁のない人々までも視界に引き入れながら、ひとりひとりの心の動きを追っていく。「アラフィフ」のクラリッサと、30年ほど前に彼女を恋して心がすれ違い、結局は結ばれなかったピーターが2本の縦糸となって絡み合っていく。

 僕は富田彬訳の角川文庫で読んでいたのだが、この5月に土屋政雄訳が光文社古典新訳文庫から出た。土屋さんは、カズオ・イシグロの小説を数多く訳していて、その今日風の繊細な言葉づかいに僕は魅せられている。で、すぐさまそれに手が伸びた。続きはこちら

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わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫) 著者:カズオ・イシグロ、土屋政雄 出版社:早川書房

わたし《に》はなさないで

 カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』(土屋政雄訳、ハヤカワepi文庫)は「わたしに話さないで」という難題を考えさせてくれる本でもある。

 そう、きょうのお題は「ネタばれ」。
 本についてなにかを書くときにいつも気になるのは、これからそれを読もうとする人の邪魔をしてはいまいか、ということだ。映画館で隣の連れのひじをつつきながら「もうすぐわかるけど、こいつ、ホントはワルイ奴なんだぜ」と小声で話しかけるような悪趣味はやはりまずい。

 『わたしを離さないで』は、タネを伏せることで絶妙な世界をつくりだしている。そのデリカシーを大切にしたいから、なるべくタネは明かしたくない。ところが、書かれていることがすぐれて時代性に富む話なので、一歩踏み込んでそのことも論じたい。まさに、書評家泣かせの本といえるのではないか。続きはこちら

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