パニック・アメリカーナ別館 2

 慶応義塾大学・巽孝之ゼミによる読書会「パニック・アメリカーナ別館」の第2回です。今回は『悪魔の辞典』などで知られるビアスの「月明かりの道」、ノーベル文学賞作家・トニ・モリスンの代表作『ビラヴド』、SFの巨匠レイ・ブラッドベリの『火星年代記』を紹介します。また、さまざまな個性が集まった読書会の雰囲気をゼミ生(4年)の栗原美貴さんが伝えてくれます。
  
 ■私は神、ではなかった夜
  巽ゼミは今年で23周年。毎回の授業では個人発表と、巽先生・院生・ゼミ生による意見交換が行われ、互いに切磋琢磨し研究に磨きをかけています。加えて、巽ゼミの特徴は「Panic Americana」というゼミ雑誌を年に1度刊行していることです 。巽先生と小谷真理先生による対談や、ゼミ生によるアイデア満載の企画など、バラエティー溢れる内容が魅力です。
 この年刊誌の別館(「Panic Americana Annex」)として始まったのが、このBook asahi.comに掲載されている仮想読書会! 第1回は夏のゼミ合宿@八ヶ岳にて行われました。合宿は、各人の研究発表はもちろん、毎年恒例のBBQや花火など、勉強に遊びに非常に充実していました。しかしハプニングはつきものです。とある夜、「幻視の作家」スティーヴ・エリクソンを研究している4年の上田くんが夜道で段差に気付かず大転倒し、膝を負傷。皆の前で「私は神である」と豪語した直後だっただけに、一同あぜんでした。きっと罰が当たったのでしょう。そうした小さなアクシデントはあったものの、読書会は談笑が絶えることなく、終始リラックスした雰囲気のもとでぶじに開催。合宿スケジュールの都合上、1時間という限られた中でしたが、ここはさすが巽ゼミ、和やかな雰囲気の中でも終始真剣に取り組み、時間内に全員原稿を完成させました。
 先日行われた読書会第2回では、アンブローズ・ビアスの短篇「月明かりの道」を取り上げるゼミ生が圧倒的多数でした。その特異な形式によって様々な解釈が可能な本作品に、皆惹きつけられたようです。また、個人的な話ではありますが、今回この読書会を通じてゼミ生が書くレビューに親近感や興味が湧き、自分では手に取ることのない本に出会えることができました。このように新たな発見が出来るのもこの読書会の醍醐味です。何かの偶然でこれを見て下さった方々が、巽ゼミ生が悩みつつも書きあげたレビューを読み、お気に入りの1冊を見つけることが出来ますように。それでは、どうぞごゆっくりお楽しみ下さい。(4年 栗原美貴)
    ◇
 たつみ・たかゆき 1955年、東京生まれ。コーネル大大学院修了( Ph.D, 1987)。著書に『サイバーパンク・アメリカ』『ニュー・アメリカニズム』『Full Metal Apache』など。朝日新聞書評委員も務めた。
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 書影に同じ著者による別の作品を取り上げているものもありますが、評はいずれも「月明かりの道」「ビラヴド」「火星年代記」を対象としています。
 巽ゼミ公式ホームページ「Cafe Panic Americana」はこちら

アウルクリーク橋の出来事/豹の眼 (光文社古典新訳文庫)

アウルクリーク橋の出来事/豹の眼 (光文社古典新訳文庫) 著者:アンブローズ ビアス、Ambrose Bierce、小川 高義 出版社:光文社

夜と朝の境目で

 一度だけ、街灯やネオンに損なわれていない月明かりの道を歩いたことがある。カメラでその光景を写そうとしても、月の光を捉えることはできなかった。人間の瞳でなくては見えないのだと、カメラの性能の問題なのにその事実が変に胸に迫って感じられたのを思い出す。既に明け方に近く、月光にその日最初の太陽の光が混ざり合った、夜と朝の境目の空間だった。
 アンブローズ・ビアズによる短編「月明かりの道」も、生と死、理性と狂気が曖昧に重なり合う境目の物語である。3人の人物がそれぞれの視点から20年前の忌わしい出来事について語る。中年の紳士ジョエル・ヘットマン・ジュニア、正気を失った男キャスパー・グラッタン、そして霊媒師に呼び出された故・ジュリア・ヘットマン。3人の関係性や、20年前の事件、つまりジュリア・ヘットマンの死の真相は、それぞれの証言を読み合わせれば推測可能だ。しかしこの短編の美点はその謎解きにではなく、20年前の彼女の死の数ヵ月後の、月明かりの道での3人の邂逅にある。
死者となったジュリアは、未だ地上に居残っている自分の存在を認めてもらおうと愛する夫と息子ジョエルの周囲を彷徨う。ある夜、彼女は月明かりの道を歩く夫と息子に近づき、やっと夫の目が自分の姿を捉えたことに狂喜する。けれど夫には彼女は恨めしい眼つきをした亡霊にしか見えない。息子もジュリア自身でさえも把握していない彼女の死の真相を知っているからだ。彼は森の中へと逃げ出し行方知れずとなり、後には何も知らない息子と、息子の目には見えないジュリアが残される。月明かりの道で生死の壁を越えた邂逅を遂げながら、この3人の目はついぞ同じものを見ることがない。人間の瞳の性能はなんと不確かで気まぐれなものか。
 生死を越え絡み合いすれ違う視線の交錯を、白々とした月の光が照らしだしている。それは、南北戦争に従軍し人の死を嫌というほど見つめたビアズの眼光でもあるのだ。
(修士1年 細野香里)

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ビアス短篇集 (岩波文庫)

ビアス短篇集 (岩波文庫) 著者:アンブローズ ビアス、大津 栄一郎、大津 栄一郎、Ambrose Bierce 出版社:岩波書店

照らされる記憶

 物語が主人公3人の「記憶」の回想によって話が進められる点に、私は興味を持った。
 「記憶」というものは、些細なことを通して人々の脳裏に蘇り、なにかしらの感情をもたらす働きがある。それは、「記憶」の回想によって、苦しみやむなしさ、恐怖の念を抱くことになる3人の主人公の場合だけでなく、我々の日常においてもあてはまる。例えば、キンモクセイの香りを嗅ぐと、ある秋の出来事を思い出したり、小さい頃によく聞いていた音楽を耳にするとその当時の記憶が鮮明に蘇ったり。人間は、過去の「記憶」をどんどん脳裏に構築していき、ある程度の時間が経つとそれを忘れてしまう。しかし、その「記憶」に直結する刺激(香りや音、景色など)を受けると、たちまち鮮明に、その「記憶」が蘇るのである。
 この物語における、もうひとつの注目すべき点。それは、タイトルにもなっている「月」の存在である。霊となった妻の証言によると、死後の世界に生きる者は、「太陽は永遠に見失うけれど、月であれば、丸くても、細くても、ちゃんとわかる」そうなのだ。そして、作中で何度も「月」が「白く光っている」と言及されている。そもそも、「月」というのは、「月」自身が白い光を放っているのではなく、太陽の光を受けて反射するがために「月」として認識できる対象にすぎない。霊となった妻が、夫と息子の前に姿を現し、妻の霊に気づいた夫が逃走してしまうあの夜、3人の視点はいずれも、異なるものであった。が、しかしその3人に共通する唯一の「記憶」があった。それは、あの夜に満月が白く光り輝いていたということである。
 「月」と「記憶」。どちらも、外部からの刺激や作用によって、それ自体が鮮明になるという隠れた共通項を持つ。ビアスがこの物語における重要なシーンの舞台を、月明かりが白く光る道にしたのには、もしかしたらそういう意図があったのかな…と考えてみたりした。
(3年 池谷有紗)

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(017)異 (百年文庫)

(017)異 (百年文庫) 著者:江戸川乱歩、ビアス、ポー 出版社:ポプラ社

もうひとつの反戦小説

 この物語には、狂気が満ちている。作品は3部にわかれているが、どれも夫婦関係のどちらかが狂気におかされ、そのどちらかを殺してしまうという物語が含まれている。すべての部分において「証言」という題名が付され、それにより読者と筆者という枠ではなくまたあらたな「他人」と読者、筆者という枠で捉えられている。
 不幸の連鎖、死の連鎖という形式で進んでいくこの物語には、アンブロース・ビアス自身の生きてきた背景が大きく投影されている。その意味で、この小説には反戦の意図がこめられているのではあるまいか。
 ビアスは南北戦争時に北軍兵として戦争に長い間従事する。その後家庭を築くも、妻とは離婚、子供も沢山の問題を抱えていきてゆくことになる。彼の作品中で生み出される悪霊とは、戦争の中で、五感が常に恐怖にさらされている場所で生まれたものかもしれない。その戦争で生まれた悪霊が、家族関係をことごとく崩壊させるという流れがあるのではないか。作品中にあらわれる人の死というものは、まぎれもなく「目に見えないが感じるなにか」による殺人なのであり、その「目に見えないが感じるなにか」とは、五感を常にはりつめている戦争で感じた「なにか」と似ているところがあるのではないか。
 また、「今日のところは生きている」といった表現や、Ⅲにおいて足音が近づいて一度離れたと思ったら次はドタバタと近づくといった表現からは、彼が戦争で「なにか」をまざまざと体験した様子が、戦場だけでなく日常にもひそんでいるように見える。
 最初にこの作品を読んだ時は、ある夫婦がいて、そのどちらかがどちらかを殺すというただ恐怖に満ちた小説なのだと思ってしまった。しかし、その狂気とは彼が体験した戦争の恐怖が投影されたものだとすれば、この作品もまたもうひとつの反戦小説とみなすことができる。
(3年 山本恵美)

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新編 悪魔の辞典 (岩波文庫)

新編 悪魔の辞典 (岩波文庫) 著者:アンブローズ ビアス、Ambrose Bierce、西川 正身 出版社:岩波書店

さよなら名探偵コナン

 証言と言うのはあいまいなものである。特に本人たちがみんな「自分は嘘を言っていない」と思っているときが一番たちが悪い。結局その証言すべてが真実と食い違ってしまった場合、それは証言ではなくなってしまう上に、嘘と真実の見分けもつかなくなって、真実は月に照らされず闇に葬られていく。
 アンブローズ・ビアスの短編「月明かりの道」は、ある殺人事件に関する三人、つまり夫、妻、子供の証言そのものから成る。息子の証言によれば、彼は、殺人事件のとき遠くにいて後にそのことを聞かされる。さらに気が狂ってしまった父親について語る。夫の証言によれば、妻の浮気を目撃し、怒りにまかせ「そのまま」絞め殺し逃げたという。また、彼は妻の亡霊を見たと証言する。妻(の亡霊)の証言によれば、「何者か」が、部屋に侵入し、「一度いなくなったが」また戻ってきて自分を絞殺したという。その後、彼女は愛する夫と息子に出会うものの、夫は顔面蒼白になって逃げ出してしまった、というものだ。
 この三人の証言は微妙に食い違っている。どれが本物なのかはわからない。小説と言うものの特質上は最後に語る妻の亡霊の証言が正しいという風にとるべきかもしれないが、「証言」という部分に着目するならば、そうとも言い切れない。この小説は、証言という形式をとっているにもかかわらず、いや、とっているがゆえに「信用ならない」ものへと変貌しているのだ。もしかしたら、そもそも証言する息子は証言する夫の息子じゃないかもしれないし、夫は妻の亡霊の夫じゃないかもしれない。そこにすら絶対の信頼が置けない。我々は読者だからすべてを俯瞰して見られるがゆえに錯覚している。だれもそんなことは明言していないのに。もし証言がすべて真実じゃないなら、ビアスは我々を罠にはめたということになろう。ここには名探偵コナンはいないのである。
(4年 上田裕太郎)

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ビラヴド―トニ・モリスン・セレクション (ハヤカワepi文庫)

ビラヴド―トニ・モリスン・セレクション (ハヤカワepi文庫) 著者:トニ モリスン、Toni Morrison、吉田 廸子 出版社:早川書房

過去を忘れず未来へ

 「あなたは他の候補者にはないものを示してくれている。それは年齢や経験、人種や性別にとは関係のないものである。(中略)私たちの未来は可能性に満ちている。しかしこの未来の輝かしさを解き放つには、苦しみも要するであろう。(中略)これまで先見の明がある指導者は数名いたが、あなたこそが今その人なのだ。」
 これは2008年1月、米大統領選で当選を目指していたオバマ上院議員(当時)に、トニ・モリスンが送った手紙の一部である。そこには人種等の違いを乗り超え“we”という言葉により一つになろうとするオバマ氏への共感が見て取れる。
 母の子殺し。現代の私たちには理解し難い行為である。しかし奴隷体験のある本作品の主人公セサにとっては、愛する子に自分と同じ経験をさせるくらいなら殺してしまったほうが良いのだ。殺された子は、幽霊あるいはビラヴドという人間の形となってセサを苦しめるが、セサは耐え、罪を償おうと必死に生きていく。苦しみから解放されたセサが恋人と共に新たな未来を歩もうとする場面で物語は終わるが、全体を覆う生々しい奴隷体験記やセサの葛藤は、読者に強烈な印象を残す。
 2012年、米大統領に再選したオバマ氏は勝利演説でこう呼び掛ける。
 「アメリカでは多くの人が自由のために戦い、死んでいった。そうやって勝ち取った自由には権利もあれば責任もある。(中略) ここアメリカでは努力すれば叶えられる。こういう未来をみんな一緒に掴めると信じています。」
 人は苦しい時、他人の悲惨な経験を見聞きすると、自分の恵まれた環境に気付き、前を向き始める。米国人にとって奴隷体験記はこのような位置づけなのかもしれない。モリスンが現代において奴隷体験を描いた作品を執筆したのは、今を生きる米国人に悲惨な過去を忘れず、それでも前向きに未来を歩んでほしいと願ったからなのか。この願いに答えるようにオバマ大統領が明るいアメリカを築いてくれると、私は信じてやまない。
(OG、11年卒 藤井智子)

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ビラヴド―愛されし者〈上〉

ビラヴド―愛されし者〈上〉 著者:Toni Morrison、吉田 廸子、トニ モリスン 出版社:集英社

新潟は寒いってさ

 郷里新潟を離れ、はや6年が経とうとしている。家に帰ると真っ暗。ご飯もない。風呂もわいていない。出るのはため息ばかり。母親とほとんど連絡はとらない。月末の仕送りの入金を確認する時、母親の存在を意識するという親不孝振り。だから、せめてもの償いとしてこの書評は母親に捧げようと思う。なんだかサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』が母親に捧げられていたのを思い出す。
 親の気持ちは親になってみないとわからない、少なくとも実生活においてはそう思う。ただ、読書には追体験を可能にする機能がある。トニ・モリスンの『ビラヴド』は追体験されるに相応しい作品である。黒人の口承文化をそのままに、『ビラヴド』は黒人の真実を「語らん」とするのである。
 『ビラヴド』では、黒人問題と母親と子の愛の問題が絡み合う。時は1850年代、黒人女性セサはシンシナティに向けて逃亡計画を立てる。白人女性エイミーの助けを借り、なんとか逃亡を果たす。逃亡中に身ごもっていたセサは出産をしていたのだった。しかし、喜びも束の間、逃亡奴隷法の支配の下、124番地に追っ手がやってくる。セサはこの時、子どもに奴隷のような思いをさせたくないという理由から、生まれたばかりの子どもの命を断つという選択を下す。
 ここで黒人問題というアメリカが忘れようとしてきた「黒」歴史と、母親と子の愛の問題という白人においても身近な領域が接近する。黒人文学運動の頂点として、この『ビラヴド』があると思うのだが、心中しようとする、子を想うセサの親としての気持ちは人種を越える。それが黒人問題に特に意識的であったと言われるモリスンの仕掛けであるように思う。
 最後に、お母さん、そして忘れていたけどお父さん、ありがとう。月末が待ち遠しいです。
(3年 藤塚大輔)

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ビラヴド―愛されし者〈下〉

ビラヴド―愛されし者〈下〉 著者:吉田 廸子、トニ モリスン、Toni Morrison 出版社:集英社

あたしを触って、名前を呼んで

 愛されることなくして死んでいった黒人の赤ん坊が、少女の体に憑依して母親に愛をせがむ。上・下巻にわたる長い物語を通して主人公ビラヴドが愛を得ようとしていく過程は、非常に狂気じみたものでありながら、幾度となく私の心を打った。「ビラヴド」とは本小説のタイトルであり、母の愛を希求して現れる死んだ赤ちゃん幽霊の名前であり、またそれはアメリカ合衆国の奴隷制に翻弄されて死んでいった六百万あまりの象徴だろう。
 しかし、それが遠い国の昔話に終わらないのは、この幽霊の生き様が普遍的な愛のあり方をみせてくれているからかもしれない。そのやり方はこうだ。まず、生きていたならば到達しているだろう年齢の少女の体に乗り移る。つまり、触れて存在を確認することのできる人間になる。次に名前を名乗る。それも「ビラヴド」という名を。そうして下地を整えておいた後、他者から呼称・接触してもらうことで、仮の姿としてこの世に現れた「ビラヴド」は、人間「ビラヴド」として生き始めるのだ。
 「触ってくれなきゃ、だめだよ。中のとこをね。それから、あたしをね、あたしの名前で呼んでくれなきゃ、だめよ」
 そういって、ポールDに迫るビラヴドの執拗さは、自分の存在を客観的に認めてほしいと切に願う心境と読める。誰かから特別な愛を受けるためには、沢山いる他人とは違う何かにならなければいけない。この焦りにも似た感情は、性的虐待によって大量に生まれては殺された、19世紀アメリカにおける名もない黒人の赤ん坊の強い願いであると同時に、自分探しを続けることでしか生きられない人間そのものの願いなのである。
(4年 福村舞)

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火星年代記 (ハヤカワ文庫SF)

火星年代記 (ハヤカワ文庫SF) 著者:レイ ブラッドベリ、Ray Bradbury、小笠原 豊樹 出版社:早川書房

喪失への郷愁

 2012年9月27日に史上最大規模の火星探査機キュリオシティが撮影した写真から水流の形跡を確認したとNASAが発表した。生命活動に不可欠な水の痕跡から火星に存在する生命への期待は高まり、現在は更なる手掛かりを鋭意調査中だという。しかし私はこのニュースを聞く前から火星の豊かな水源と、そこに息づく生命を知っていた。なぜなら全てレイ・ブラッドベリの『火星年代記』に書かれていたのだから。
 ただこの作品が主眼に据えるのは火星人の日々の営みではなく、地球人による火星植民の記録である。初期の探査活動では火星人から手厳しい歓迎を受けるも、それに挫けず地球人は怒涛のように火星に押し寄せ、やがて火星人を駆逐し自らの思うがまま開発を進めていく。あたかも侵略と支配という地球での凄惨な歴史を繰り返すかのように。しかし『火星年代記』はただ人類の愚劣さの皮肉に終始することはない。それは全てのページに郷愁というフィルターが通してあるかのごとく作品がノスタルジックな色合いに染められているからだ。地球人は何の因果か火星で故郷の街並みを見出し、亡くしたはずの家族と邂逅を果たすが、すべて夢が覚めるように儚く潰える。宇宙と言う新時代のフロンティアに臨む高揚感と失ったものを慈しむ憧憬が混淆した『火星年代記』は、小糠雨に降り濡つようなペシミズムの心地良い感傷に満ちている世界を映し出す。火星の研究が進む今日に新たな視座を私たちに与えてくれるこの作品は、ますますその含蓄を深めている。
 キュリオシティの着陸地点は、そのおよそ二か月前の6月5日に亡くなったSFの叙情詩人への追悼からブラッドベリ・ランディングと名づけられるそうだ。それはまるでブラッドベリが火星に降りたったかのように感じさせる命名だ。虚構の世界で火星を描いた小説家が遂に火星の土を踏むこととなったようだ。私たちに鮮やかな夢を見せてくれた彼は今どんな風景を眺めているのだろうか。その詳細を記した信号がいつか火星から届く日を気長に待つとしよう。
(修士2年 福田雅之)

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火星年代記 (ハヤカワ文庫 NV 114)

火星年代記 (ハヤカワ文庫 NV 114) 著者:レイ・ブラッドベリ、小笠原 豊樹 出版社:早川書房

火星最後の男を笑えるか

 特別にSFに親しんでいなくとも、誰しもが読み進めていく内に気づくだろう。『火星年代記』とは、すなわち『地球年代記』である、と。本書では滅びゆく地球から逃れるための場所として火星が登場するが、そこで展開される物語は地球人の歩みと限りなくリンクすることが分かる。
 更に言えば、この移住のナラティブはアメリカ史になぞらえることもできる。ヨーロッパから海を越えて新大陸へやってきて、その後、西部開拓、ソ連対抗政策の果ての月面着陸など、外へ外へと居場所を探し求めてきたアメリカ、『火星年代記』はその延長にある。
 しかし、壮大な構想を携えながらも、所々に見られるブラッドベリ独特のユーモアによって話は重くなりすぎない。例えば「二〇三六年十月 沈黙の町」。地球で戦争が勃発し、火星の人々は地球へ招集される。気づくと火星でたった一人になってしまった男ウォルター・グリップは寂しさの余り、手当たり次第に電話をかける。すると奇跡的に電話がつながる。しかも電話の声は若い女性だ。ジュヌヴィエーヴという彼女の名前だけを心の支えにして車を走らせるウォルターだが、現れた彼女はぶよぶよに太った、とんでもない不細工であった。我に返ったウォルターは「あばよ」と言い捨てて、一人の生活に戻る。「もし地球にあの男/女しかいなかったら、どうするか」という他愛もない話があるが、ブラッドベリに言わせれば、ひどいブスならお断りということか。ひどいよ、ブラッドベリ!
(3年 宇野藤子)

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ブラッドベリ、自作を語る

ブラッドベリ、自作を語る 著者:レイ・ブラッドベリ、サム・ウェラー、小川高義 出版社:晶文社

甦る超越主義

 火星を舞台に入植した人類と火星人との間の諍いや交流を描いたレイ・ブラッドベリによるこの作品は、一見すると未来を扱ったSF小説であるが、そこにはアメリカが抱える差別や宗教、赤狩りといった多くの問題が潜んでいる。しかしアメリカのみならず産業革命以来、人類文明が向き合うこととなった諸問題をも孕んでいるのではないか。第四次探検隊の考古学者は次のように語る。「かれら(火星人)は、われわれが百年も前にストップすべきだった所で、ちゃんとストップしました」。火星人は自然との共生を可能とし、宗教・芸術・科学を分離させることなく生そのものを楽しむ文明を築き上げていたのだ。科学技術の発達やダーウィンの進化論は神の地位を脅かし、第二次世界大戦以降核エネルギーは世界に多大な力を与えたが、地球全土を破滅させるに余りある兵器をも生み出した。その結果作中で地球は最終戦争を起こして滅亡するに至る。地球滅亡後、最後に火星に入植した家族の父親は地球人に欠けていたものを、論理・常識・良い政治・平和・責任とみなし、科学が人類を置いて先走り過ぎた結果によって地球は滅亡したとする。人類の理性は神を必要としなくなり、神の怒りを超える火力をも手にしたが自らと異なる者を認めようとせず、力を求め続けたために自らを滅ぼした。
 早川書房の新版で追加された短編では、肉体を離れて火の玉の様な姿にまで進化した火星人が登場する。彼らは肉体から精神や知性を開放し、個という存在を超越した存在として侵略者である地球人の命をも救う。肉体が無い故に彼らは利己的にはなり得ないのだ。エマソンの超越主義や禅の空の状態にも通じるこの火星人の進化は、今日に生きる我々地球人にも説得力のある視座を与えてくれる。ヒロシマ・ナガサキやチェルノブイリ、近年では福島原発事故等、人類は自ら制御しきれない力を持ったが故に様々な悲劇を生んできた。高度な技術を手にしても未だ利己的にしか生きられない地球文明に対し、ブラッドベリは『火星年代記』を通して警鐘を鳴らしていたのだ。
(3年 轉法輪右〈てんぽうりん・ゆう〉)

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