文理悠々特別編 2013年の僕たちへ

 議会勢力図の扇形ががらりと色を変えても、気分はあまり変わらない。2013年も、心配と難題が続出の1年となるだろう。とはいえ、年のはじめである。ちょっとだけ新しいことを試みてみたい。

 本をネットワークする、とでも言おうか。読んだことがある本と本をつなげて思考世界を広げてみる、という試みだ。去年秋、「多読の達人、本読みの極意」(2012年10月1日)で紹介した『多読術』(松岡正剛著、ちくまプリマー新書)で教えてもらったことでもある。松岡さんは本を書棚にどう並べるかにこだわり、それによって「自分が書物たちに対してどんな世界観をもっているかが問われる」と書いていた。

 で、とりあえずは新春の今、これまで2年9カ月間にとりあげてきた本をざっと見渡して、2013年という超近未来に船出しようという僕たち自身へメッセージを送ろうと思うのだ。
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 おぜき・あきら 1977年に朝日新聞記者となり、83年からは科学記者。科学医療部長や論説副主幹などを務めて、いまは編集委員。2010年春までの2年間、本紙読書面の書評委員として科学本だけでなく文系本もとりあげた。

八日目の蝉 (中公文庫)

八日目の蝉 (中公文庫) 著者:角田 光代 出版社:中央公論新社

 まず、とっかかりは『八日目の蟬』(角田光代著、中公文庫=2012年8月24日「八日目の蟬で80年代を思う」)。この長編小説は、1980年代バブルのふわふわ感のなかで、愛人とその妻の間に生まれた赤ちゃんを誘拐し、日本列島をさまよう女性、希和子を描いている。希和子と「薫」と名づけられた女の子が行き着く最後の土地が、瀬戸内海の小豆島だ。その島には、人々のつながりが野や山や海の美しさとともに残っていた。

 この本のことを書いてからしばらくたって、僕は町の貸しDVD店で、その映画化作品(成島出監督)を借りてきた。どうしても二つの場面が見たかったのだ。小豆島の夏の伝統行事「虫おくり」、そして、希和子が自分の子になりきった薫を連れて入る写真館。映像は、どちらも僕の心を揺さぶった。とりわけ、島の人々が火のついた竹をもって歩く虫おくりの列が薄暮の山野を動く光景は圧巻だった。

 希和子の永作博美がいい。身元を隠して偽名を名乗る希和子と薫をあたかも娘と孫のように慈しむ風吹ジュンがいい。その表情、そのしぐさから、血縁のない人と人とが結びつくことの意味を感じとることができる。

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世界共和国へ―資本=ネーション=国家を超えて (岩波新書)

世界共和国へ―資本=ネーション=国家を超えて (岩波新書) 著者:柄谷 行人 出版社:岩波書店

 映画で小豆島の暮らしを見ていて、ふと思い出したのは、おととしの暮れに紹介した『世界共和国へ――資本=ネーション=国家を超えて』(柄谷行人著、岩波新書=2011年12月30日「柄谷行人流の脱原発はPTAのA」)だ。

 この本で、柄谷さんが提唱する「アソシエーション」の原型は1980年代、日本社会のところどころに辛うじて残っていたのではないか。それは贈与と返礼の「互酬」を重んじる人々のつながりだ。市場経済にすべてを委ねて格差を放置したり、再分配によって格差を解消したりするのではない。「そもそも富の格差が生じないような交換システム」である。それを今日的なかたちで蘇らせられないか。

 なにを今さら「空想社会主義」を、という声も聞こえてきそうだ。だが、いま世間には原発事故の衝撃を受けて、社会のありようを変えたいという機運が高まっている。総選挙で脱原発をほとんど口にしなかった自民党ですら、政権公約で「原子力に依存しなくてもよい経済・社会構造の確立」をうたっているのだ。社会の再設計が必要なことはだれもが認めている。そこで出てくるのが、集中から分散への方向性だ。

 自然エネルギーの多くは、小さく稼いで小さく使う方式のものだ。屋根の上の太陽光はもちろん、メガソーラーだって風車群だって、原発や大型火発には及ばない。小さな単位コミュニティーごとの地産地消がもっとも望ましい。

 互酬精神を土台に置く単位コミュニティーがあって、それらが緩やかに結び合い、地球規模で交流する、という未来イメージを思い描きたくなるのは僕だけではないだろう。だが、その一方で、今の世の中は「リーダーシップ」とか「司令塔」とかを求めたがる。真ん中に「強い指導者」がどんと構えていなければ、物事が立ちゆかなくなると考えている人は多い。

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粘菌 その驚くべき知性 (PHPサイエンス・ワールド新書)

粘菌 その驚くべき知性 (PHPサイエンス・ワールド新書) 著者:中垣 俊之 出版社:PHP研究所

 ここで話は唐突に飛ぶのだが、『粘菌――その驚くべき知性』(中垣俊之著、PHPサイエンス・ワールド新書=2010年11月25日「単細胞の記憶力~『粘菌知』ってスゴイ」)に触れてみたい。

 中垣さんは、「単細胞」と蔑まれてきた粘菌の知性を巧妙な実験で浮かび上がらせ、2度も「イグ・ノーベル賞」を受けた。その一つは、餌をいくつかに分けて置いたとき、粘菌が餌場同士を結ぶように広がる様子を示したことに贈られた。それは、都市群をつなぐ鉄道網そっくりだった。「イグ」はノーベル賞の裏番組のように言われるが、「人々を笑わせ、そして考えさせる」のがうたい文句だ。ここでは粘菌知について考えされられる。

 粘菌は餌を求めて、効率よく危機にも強い網目模様に姿を変える。細胞一つでできた生命体なので、脳が命令しているわけではない。身体、すなわち細胞のそれぞれの場所がそれぞれ適切に反応して、全身を望ましいかたちにする。粘菌知は分散知でもある。中垣さんは、その分散知のしくみを数式によって探ろうとしている。粘菌という一つの生きものから、普遍の知恵が引き出せるかもしれない。
 粘菌の自律分散型システムについて、僕はこの書評では触れなかったが、小紙「記者有論」欄で「分権型社会を設計するときなどにヒントとなるかもしれない」と書いた(2010年11月18日付)。「3・11」前からあった分権化論、「3・11」後に脱原発とともに浮上した分散化論――この二つの「分」の流れを踏まえて読むと、粘菌の本が人間の本に思えてくる。

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緑の政治ガイドブック―公正で持続可能な社会をつくる (ちくま新書)

緑の政治ガイドブック―公正で持続可能な社会をつくる (ちくま新書) 著者:デレク ウォール、白井 和宏 出版社:筑摩書房

 ここで気づくのは、粘菌のすごさにいち早く目をとめた人が、中央から遠く離れた知の巨人で、エコロジストの草分けでもある南方熊楠だったということだ。熊楠が粘菌の変幻自在さに生命の本質をみていたことは「熊楠が僕らの時代にやってくる」(2011年12月16日)でも書いた。粘菌がアソシエーションとも自然エネルギーとも回路づけられることは故なきことではない。

この回路のことを頭の隅に潜ませて『緑の政治ガイドブック――公正で持続可能な社会をつくる』(デレク・ウォール著、白井和宏訳、ちくま新書=2012年11月5日「緑の政治思想を本気で考える」。)を読むのも意義深い。

 この本によれば、経済成長は「『モノを長く使う』ことではなく、『早くモノを捨てて、新しいモノを買う』こと」を必要とするから「経済成長を続けながら生態系システムを保全することはできない」。経済成長なき社会とはどんなものか。一つのイメージとして挙げているのが、1台のクルマを何家族かで分かち合うカーシェアだ。そこには今日的な「互酬」の芽生えがある。
 
 緑の政治思想の旗の下には、もともと政治座標の左派だった人もいれば右派だった人もいることに、この本は言及している。裏を返せば、同じ一つの政党のなかに原発ゼロ論の人から原子力推進の人までいても不思議ではない。

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科学は誰のものか―社会の側から問い直す (生活人新書 328)

科学は誰のものか―社会の側から問い直す (生活人新書 328) 著者:平川 秀幸 出版社:NHK出版

 だから、こういう話は党派任せにはできない。経済成長と生態系の折り合いをどうつけるかは、僕たち自身が語り合わなくてはなるまい。それは、科学技術をどこまで駆使するか、生態系をどこまで自然のままに保つかのかという問いとも重なってくる。

 『科学は誰のものか――社会の側から問い直す』(平川秀幸著、NHK出版 生活人新書=2010年12月16日「『脱啓蒙』の科学カフェがほしい」)では、素人中心の科学カフェが報告されている。そんな試みも時代の求めに応えているように思う。

  小豆島の「虫おくり」から科学カフェまで、本の旅は楽しい。そこでは、胸に迫る物語世界が、僕たちが今いるこの世界を逆照射して、そのありようを再構想する糸口を与えてくれる。そうかと思えば、その構想を助けてくれそうな手がかりが文理の垣根を超えて現れたりもする。餌場と餌場をネットワークする粘菌知にならって、今年の僕は本と本をつないでいきたいと思う。

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