実用書のサンマーク出版が小説で50万部

2017年04月03日

池田さん(左)と清水さん

手作りのPOP

●新人発掘、本屋大賞にノミネート

 その喫茶店には、運がよければ一度だけ、過去に戻れる席がある──。
 『コーヒーが冷めないうちに』(川口俊和著)は、とある喫茶店を訪れた客たちの人生が垣間見える、4話形式の小説だ。2015年末に刊行されると、たちまち初版完売。2017年には発行部数50万部に達した。著者は演劇の脚本家。それまで小説を書いたことはなかった。刊行したサンマーク出版もビジネス書や自己啓発本でミリオンセラーを輩出しているが、文芸書の経験は少なかった。それが本屋大賞にもノミネートされた。「1年前には考えもしなかった賞。まさかノミネートされるとは」と担当者らは驚く。

●文芸書は初めて

 著者を見出した池田るり子さん(第1編集部文芸デスク)も、実は文芸書を手がけたのは初めてだという。池田さんは10代の頃こそ文学少女だったが、「本を売りたい」という動機から営業職を志望。編集部に異動後は実用書に携わっていた。たまたま著者の脚本による舞台を観て、心揺さぶられてその場で直談判した。
 「演劇には疎い私ですが、物語の骨格がしっかりしていると思いました。それに何より、1話ごとに号泣してしまった。これを小説にしたらきっと多くの人に読んでもらえる、そんな漠然とした自信だけで走り出したんです」と、池田さん。
 ただ、刊行に至るまでには約4年の歳月を要した。というのも、著者は小説を書いたことがなく、執筆が難航したとか。それを励まし、ついに1話が原稿になったところで、社内にチームを作り、販売戦略を練った。発刊まで3カ月だった。

●POPを手作り

 営業部からチームに加わった清水未歩さんは、「著者は無名の新人で、自分たちは文芸書に不慣れです。それでも書店さんに平積みしてもらいたい……。その一念で必死に考えました」。そこで出た案が、喫茶店のメニューボードを模したPOPの作成だ。事前に平積み分を注文していただければこの宣材を提供します、という策である。営業職時代に培われた池田さんの現場感覚もPOP作りに反映された。
 100台手作りし、注文チラシと共に全国の営業所に送った。すると、配本前から足りなくなることがわかった。「ふだんからまめに足を運んでいた営業努力もありますが、それをおいても書店さんとしては冒険だったと思います」。本を少しでも置いてもらいたい出版社の気持ちと、店頭を賑やかにしたい書店側の気持ちが合致したのでは、と推測する。最終的に手作りしたPOPは1000台にのぼる。
 最初に火が点いたのは東北地方だった。刊行直後から100冊単位の追加注文が相次いだ。東北の書店員からは「過去に戻れたら」という内容が被災地の心を打ったのでは、と言われた。その傾向は広島を中心とする中国地方でも見られたことから、あながちはずれではないかもしれない。
 地方のうねりが数カ月遅れで首都圏に到達した頃、同社はJRと全国紙での広告展開を決断。2017年本屋大賞にノミネートされると部数はさらに伸びた。

●続編も10万部

 編集部には連日、10代から90代まで幅広い年齢層の読者ハガキが届く。多くが「続編を」の声で、3月、2作目『この嘘がばれないうちに』を刊行。すでに10万部に達している。新たな4話に加え、店の人間模様も変化し、またしても「続々編を」の声がやまないという。
 「起こったことは変えられないけれど、考え方ひとつで未来は変えられる」。これは全編に流れる著者のメッセージだ。登場人物に自分を重ねて涙する読者が多いと聞くが、その涙は決して苦いものではないだろう。(安里麻理子)

関連記事

ページトップへ戻る