身近な自然のかけがえなさ 南方熊楠賞・加藤真さんの代表作『生命は細部に宿りたまう』

2017年05月18日

猿山直美さん

「ミクロハビタット」を連載した雑誌「科学」

■担当編集者に聞く
 見慣れた風景が1冊の本との出会いで、かけがえのない宝物と気づかされる。
『生命は細部に宿りたまう————ミクロハビタットの小宇宙』(加藤真著・岩波書店刊)は、そんな今まで通り過ぎていた水辺や草原、水田など、身近な自然の見方を一変させてくれる本だ。「ミクロハビタット」とは、自然界に生きる小さな生物が利用する特殊な微環境を言う。
 著者の加藤真さんは、京都大学大学院人間・環境学研究科教授。5月13日、博物学や民俗学の優れた研究者を表彰する第27回南方熊楠賞を受賞した。
 『生命は細部に宿りたまう』に登場する舞台は、琉球列島の入り江や阿蘇山に広がる草原、渡良瀬遊水池、神社が守り続けてきた森、水田など、日本の原風景を感じる場所ばかりだ。そして、それらの自然の中に体長わずか7㎜の貝や1㎝のエビの小さな生き物たちが暮らし、数多くの植物と共生している。
 私たちが懐かしく思う自然は、ミクロハビタットとそこに生きる生き物の多様性があったからこそ成り立ってきた。そして今、その環境は危機に瀕している。
 加藤さんの語り口は決して環境保護を訴えるといった声高なものではない。研究者としての冷静な観察眼を保ちながら、ときに万葉集や宮澤賢治の詩を交え、ミクロハビタットの小宇宙を分かりやすく教えてくれる。だからこそ、当たり前と思っていた身近な自然環境がよりいっそう愛おしく感じてくる。
 この本は、どんなきっかけから生まれたのだろう。編集者の岩波書店編集局辞典編集部の猿山直美さんに聞いた。

■「憧れの著者」
 ———自然科学がテーマでありながら、万葉集や宮澤賢治が登場したり、文学的な要素もあるとても素敵な本ですね。出版のきっかけはなんだったのでしょうか。
 猿山 初出は岩波書店が発行している雑誌「科学」の連載です。1年間、加藤先生に連載をお願いし、その原稿を単行本にしました。
 じつは私、加藤先生にずっと憧れていたんです。私が岩波書店に入社して4年目だったと思います。先生の代表作とも言われている『日本の渚————失われゆく海辺の自然』(岩波新書)を読んで感動し、いつかお仕事がご一緒できたら、と思っていました。
 それが2009年に当時、神奈川県立生命の星・地球博物館の館長だった斎藤靖二先生と「科学」で対談していだく機会があり、「ぜひに」と連載をお願いすることができたんです。
————加藤先生が撮られた写真も多く掲載されていて、ビジュアルの本としても、興味深いですね。
 猿山 ええ。先生は研究者として素晴らしいだけでなく、文学や美術にも造詣の深い方です。名文家としても有名です。連載テーマは相談して決めましたが、毎回のテーマは先生がご自分で決め、書いてくださったものを、私は一般の読者を想定して推敲をお願いしながらいただいた写真と一緒に誌面に掲載するという形でした。

■場所をどこまで説明?
 ————単行本化でご苦労されたところは?
 猿山 雑誌の連載時もそうでしたが、場所をどこまで詳細に説明するか、先生も悩まれていました。というのも、この本に登場する場所は、どこも繊細な自然環境のバランスが保たれている貴重なところです。
 なぜその場所が大切なのか、そこでどんな営みが行われているのか、科学的に詳しく紹介したい一方で、本をきっかけに大勢の人が訪れるようになると、環境が破壊されてしまう心配もあります。最終的には先生が判断されましたが、難しい選択だったと思います。
————でも、そのおかげで私たちが見逃してしまうところに、興味深い世界が広がっていることを教えていただきました。
 猿山 この本が発行された2010年は、生物多様性条約締結国会議が日本で開かれ、2011年から2020年までを国連生物多様性の10年として国連総会で採択された年でもあります。それに合わせて発行したという経緯もあります。
 生物多様性というと、動植物の絶滅危惧種を救うといったことがすぐに頭に浮かびますが、じつは小さな生き物も重要な役割を担っています。肉眼で見えるか見えないかくらいの小さな彼らが1種類、いなくなっただけで環境は大きく変わってしまうんですね。私たちの世界は、いくつものミクロハビタットが支えてくれている部分も大きいことに驚きます。

■自然と文学の結びつき
 ————万葉集や宮澤賢治の詩がときどき登場するのも、加藤先生の本ならでは、と思うのですが……。
 猿山 ええ。自然と文学は深く結びついていることが、この本を通じてよく分かります。とくに万葉集の時代は、今よりもずっと自然が身近だったのでしょう。本に登場するような小さい生き物が和歌に詠われたりして、昔の人はちゃんと見えていたんだなぁ、と私も感動しました。
 ————すでに絶滅してしまった生物の話も出てきますが、標本として一つだけ現存していたりして、自然科学という学問に対する考え方も問われているような気がします。
 猿山 そうなんです。今の時代は生物学も遺伝子や細胞レベルで生命の本質を探ろうとする分子生物学が人気だったりします。でも、自然を観察すること、モノを見るという行為は生物学にとって、とても大切な調査方法なんですね。そこが軽視される傾向を加藤先生も心配されていました。
————この本はどんな方に読んでもらいたいと思っていらっしゃいますか。
 猿山 どの方にも読んでいただきたいのですが、中学生や高校生などの10代の方にはぜひ勧めたいです。ミクロの世界で営まれている小さな生物たちのバラエティに富んだ多様性を知ると、人間もいろいろなタイプがいていいと思えるようになるんですよね。他者との違いや共通する部分に悩む世代には、自分の存在を肯定できる、いい励ましになると思います。
 それから、山歩きが趣味など、自然と触れ合う機会が多い方にも読んでいただきたいです。自然の中を歩くとき、これまで見逃してきた場所をじっくり観察したくなると思います。
 私も先生の原稿を読んで、渡良瀬遊水池に改めて行ってみたいと思いましたし、去年、ラオスのお隣のカンボジアに旅行したときは、ミズアオイが市場で山盛りになって売られていました。「ああ、これなのか」と感動しました。
 ————猿山さんも大学の専攻は理系だったとか。
 猿山 はい。大学では化学を学びました。出版の世界に入ったのは、科学の面白さをもっと多くの人に知ってもらいたいと考えたからです。教科書には載っていないけれど、生物や植物を観察していると、いろいろな発見があります。『生命は細部に宿りたまう』でも、そんな科学の楽しさを読者の皆さんに感じていただけたら、とてもうれしいです。(角田奈穂子)

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