「学問の伴走者として」創業140年の有斐閣・江草貞治社長に聞く

2017年08月18日

有斐閣の江草卓治社長

有斐閣の江草卓治社長

 『六法全書』や雑誌「ジュリスト」「法学教室」、注釈書などの出版で、法学関連分野のトップブランドで、経済経営、人文社会など社会科学・人文科学の学術書を刊行する有斐閣は、創業が1877年(明治10年)と歴史の長さでも他に類を見ない存在。140年の歴史を踏まえ、今後はどのような展開が考えられるか、6代目社長・江草貞治氏に話を聞いた。

■変えるべきもの・変えてはいけないもの

――創業以来の経営理念は、どのようなものですか。
江草 一言でいうなら「学問の伴走者でありたい」ということです。弊社は、当初は「有史閣」という名の古書店でしたが、創業から2年後、出版事業を始めるにあたって、「有斐閣」と改めました。そのとき、創業者・江草斧太郎が師から「学者と一心同体になって努力精進するように」と諭されたそうです。不易流行――変えるべきものと変えてはいけないもの――がありますが、この創業者の思いは変えてはいけないものだと思っています。

――当初から法学関係の書籍を出されていたのですか。
江草 物理学の翻訳書なども出していました。創業者と親しくしていた学生さんが法学部生で、やがてその方が第一線で活躍する学者になり、弊社から著書を出すようになって、法学関係の出版が多くなりました。それを、昭和の初めごろ、はっきりと経営の軸に据えたのが、3代目社長の江草四郎でした。

――戦後も着実に歴史を重ねられて、今日に至ったわけでしょうか。
江草 高度経済成長のころには食に関する本や関連会社で漫画を手掛けたこともありますが、専門外の分野だった為上手くいきませんでした。その時は出版領域を本来のものに戻し、経営を近代化をするなどしてなんとか乗り越えました。そんな経験から、5代目社長の江草忠敬は、やはり有斐閣の原点は、学術書や学びに関わるものでなければいけないと改めて考えました。

■読者の多様化に応えて

――今年の4月に刊行された『判例の読み方――シッシー&ワッシーと学ぶ』(青木人志著)は、真っ赤な表紙に有斐閣の社章である獣の王といわれる獅子と鳥の王といわれる鷲のキャラクターを登場させて、従来の有斐閣のイメージを覆すような本になっています。こちらは積極的に変えていこうという部分なのでしょうか。
江草 今は、一口に大学生といってもいろいろな学生がいます。法学部の学生にしても、研究者や法曹資格を目指して勉強する人もいれば、卒業後は社会人として世の中に出ていく人もいます。むしろ後者の方が多いでしょう。各大学からも、多様な学生の目標やレベルに合ったテキストがほしいという要望をいただいて、さまざまなシリーズを出すことにしたのです。

――有斐閣ストゥディアなどは、タイトルのラインナップを見ると、一般向けの選書や新書と変わらない感じですね。
江草 そうなんです。もともとは大学のテキストの企画ですが、社会人や高校生の方々にもよく購読していただいているようです。昨年12月に刊行された『質的社会調査の方法――他者の合理性の理解社会学』(岸政彦・石岡丈昇・丸山里美著)などは、ある雑誌の記者さんから、自分の取材の方法を見直す切っ掛けになったという感想をいただきました。

――学術書という軸をずらさずにやって来たことが、今、実を結びつつあるということでしょうか。
 
■学ぶことの大切さを広めたい

江草 今、実用的な学問が重視される傾向がありますよね。卒業後の姿もイメージしやすいので、保護者や予備校もそういった学部を薦めるし、中高生たちもなんとなく魅力的に感じるのかもしれません。でも、小泉信三・元慶應義塾塾長がおっしゃっていましたが「すぐに役に立つことは、すぐに役にたたなくなる」。今、すぐに役に立つかはわからないけど、学んでおく意味のあるものを学ぶ。その必要性に気付いてもらえると嬉しいと思います。

――法学部へ進む学生を増やしていくことも使命だとお考えですか。
江草 そうですね。つまらない学問と思われたら悲しいので。法学部というと、六法を片っ端から暗記するみたいなイメージがあるかもしれませんが、学びの過程にはディベートや事例問題を通じてグループで議論するなど、アクティブなアウトプットの要素も多い。そうしたことを通じて、論理的に考えたり、発言したり、ものを書いたりするスキルも身に付きます。法学部出身の人の文章はわかりやすいという声もあります。そういうことを学生や保護者にも知ってほしい。
 法学部に加えて、経済経営、人文社会の学部に進む学生を増やしていくという使命もあります。弊社からはそういった分野の書籍も刊行しています。例えば、この9月に出る『大人のための社会科――未来を語るために』(井手英策・宇野重規・坂井豊貴・松沢裕作著)は「経済、政治、社会をめぐるさまざまな出来事を、できるだけわかりやすい言葉で、できるだけ多様な視点で説き明かし、最後に未来への一つの方向性を示」(「序」より)すものです。また、表紙に田中圭一さんのイラストを使ったり、有斐閣としては型破りな書籍です。

――この本を題材にシンポジウムも行われるそうですね。
江草 はい。創業140周年記念「ぐずぐず言わずに考えろ――知の力で社会を変える」と銘打って、著者の先生方が縦横無尽に語ります。これを機に社会科学に目を向けてもらい、さらに本格的な学術書も読んでほしいと願っています。さらに、折を見て、書店の店頭などで簡単なセッションなどもやっていきたいと思っています。

――おもしろそうですね。
江草 ただ、学問の楽しさを知ってもらうのに、弊社だけでは限界がありますから、同じような学術書出版社などとも連携して、何か共同プロジェクトなど出来たら良いと考えています。

■出版の未来は?

――最後に、出版の未来はどうなっていくと思われますか。
江草 弊社の本で『福祉政治――日本の生活保障とデモクラシー』(宮本太郎著)という9年前に刊行した本があるのですが、問題点を押さえた本は古びないですし、今こそ読むべき本だと思います。つまり物事の本質を学問の手法に従って明らかにする作業は変わりません。一方で社会、経済の変化にきめ細かく対応するためなど、見せ方をデジタルを主体で考える必要も出てくるのではないでしょうか。そこで、どんな仕掛けがつくれるか。例えば1度目と2度目では理解度に合わせて表記される情報量が違う本とか、今の我々には考えもつかないような本が出てくる可能性はありますね。

――有斐閣の将来は、どのようにお考えですか。
江草 弊社の場合、修士論文や博士論文を出版し、研究者の先生方のご業績を世に出していく過程に関わっていたり、各学会誌の編集など学問が深化するお手伝いをしているという認識をもっています。目先の利益を追うのではなく、「売り手よし、買い手よし、世間よし」という「三方良し」を目指しています。事業を継続させるためには、三方よしに加えてイノベーションをしていく余地を残していくことも必要ですね。次の世代の研究者や勉強したい人のために、何をどうやって残していくか考えていきたい。まさに学問の伴走者でありたいと、そのように考えています。 (文・写真・秩父啓子)

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