出版界の未来は? 河出・小野寺社長と筑摩・山野社長が対談

2017年08月25日

写真左から田口副店長、山野社長、小野寺社長

対談は盛り上がり、たびたび会場は笑いに包まれた

旧知の仲とあってエールを送り合う場面も

多くの本好きが集まり、熱心に聞き入っていた

出版の未来をたっぷりと語り合った山野社長と小野寺社長

 出版界の未来を出版社の社長は、どう見ているのだろう。ジュンク堂池袋本店が、この春から開店20周年を記念して「本をめぐる物語」と題したフェアを実施している。その企画の一つ「本がつなぐ、本でつながる」第2回トークイベントとして、河出書房新社の小野寺優社長と筑摩書房の山野浩一社長が対談した。司会を務めたジュンク堂池袋本店の田口久美子副店長を交えて、どのようなトークが繰り広げられたのか、レポートをお送りしよう。

————河出書房新社も筑摩書房も、多くの人が親しんできた全集を刊行し、後世に残る文芸書を出版してきています。今回、河出書房新社の小野寺社長と筑摩書房の山野社長をお呼びしたのは、2社の歴史をたどっていくと、日本の出版界における、ある一つの断面がよく分かるのではないかと思ったからです。まずは、社歴をそれぞれ教えていただけますか。

小野寺(河出) うちの創業は1886年(明治19年)で、去年、130周年を迎えました。岐阜の成美堂書店が東京支店を日本橋に出したのが始まりで、当時は農業書や理工書、教育書を出していました。それが1933年(昭和8年)、河出書房に名前を変え、文芸小説を出版するようになったんです。
 歴史は長いのですが、じつは、1957年(昭和32年)と1968年(昭和43年)に会社更生法を申請しています。1957年の危機を救ったのは、数多くの全集です。私が入社したばかりの頃、古い制作台帳を見ていたら、世界文学全集の第1回配本が初版33万部と書いてあって、何かの間違いではないかと椅子から転げ落ちそうになるほど驚きました。先輩に聞いたら、「いやいや、そういう時代だったんだよ」と言われたことを鮮烈に覚えています。それほど全集が読者に好まれた時代だったんですね。
 2度目の危機を救ったのは、文芸書でした。古井由吉さんの『杳子(ようこ)・妻隠(つまごみ)』や渡辺淳一さんの『花埋み』などのヒット作に恵まれ、再建できたんです。1980年(昭和55年)には、田中康夫さんが「なんとなく、クリスタル」で第17回文芸賞を受賞しました。「なんクリ」の流行語が生まれるほど大ヒットし、日本の経済がピークを迎えた80年代の幕開けにふさわしい作品だったと思います。その頃から、全集の出版社から単行本中心の出版社になっていったんですね。
 その後も山田詠美さんなどの作家を輩出し、数々の文芸書を出版していきました。なかでも、1987年(昭和62年)に出た俵万智さんの『サラダ記念日』は280万部を記録し、いまだに弊社最大のベストセラーです。
 平成に入ってからは、『南仏プロヴァンスの12か月』のヒットがありますし、綿矢りささんのデビューもありました。最近は、もう一度、全集をきちっとやろうという動きもあります。きっかけは、2007年(平成19年)の『池澤夏樹=個人編集 世界文学全集』です。おかげさまで読者の支持をいただいて、続編にあたる『池澤夏樹=個人編集 日本文学全集』が刊行中で、残りが3巻というところまで来ました。

■「『ペーパーバックの筑摩』に」(山野)

————全集といえば、筑摩書房も数多く出していらっしゃいますね。

山野(筑摩) うちは今年、創設77年を迎えました。今年のお正月に年頭挨拶の準備のため、会社の理念を調べていたら、1940年(昭和15年)1月1日付けで、創業者の古田晁が、関係者に創業の挨拶状を送っているんですね。書いたのは、もう一人の創業者、臼井吉見なんですが、「本当の知識は陶冶され試練された知識であり、本当の情熱も陶冶され試練された情熱であります。正しい知識と情熱の普及が今日ほど急を要する時はあるまいと考へます。」という文でした。知識は人文書、情熱というのは文芸作品のことで、「人間の本質を捉えたしっかりした本を作っていくんだ」という創業時の熱い思いが伝わってきました。
 弊社は設立した半年後の6月18日、『中野重治随筆集』を出しています。創業記念日を6月18日にしているのは、初めて本を出版した記念すべき日だからなんです。全集の筑摩ということで言えば、大型全集をざっとあげてみても、1953年(昭和28年)に『現代日本文学全集』、1955年(昭和30年)に初めての太宰治全集、1958年(昭和33年)に全96巻の『世界文学大系』を出し、1974年(昭和49年)から始まった全36巻の『近代日本思想大系』は、今もまだ完結していません。個人の全集では、太宰治と宮澤賢治、柳田国男がベスト3です。太宰治に関しては、文庫全集も含めると11回も出しています。
 筑摩書房も一度、会社更生法を申請しています。1978年(昭和53年)のことです。そこから方向性が変わり、現在は、文庫や新書の数が際だって増えています。2016年度でいえば、シリーズ・全集ものが8点、ちくま選書が12点、単行本47点、ちくま学芸文庫が60点、ちくま新書が67点、ちくまプリマー新書が23点ですから、全集の筑摩がペーパーバックの筑摩になってきていると言えますね。

■「売れる本と売れない本の差が極端」(小野寺)

————平成に入ってどうなのか、ということもお聞きしたいです。

小野寺 一番、大きい影響は、やはりインターネットの登場でしょう。出版のピークは1996年(平成8年)で、売上が2兆6563億円ありました。その頃のインターネット人口は、わずか3.3%。それが2016年(平成28年)は、インターネット人口が80%以上です。一方、紙の本の売上は1兆709億円と、ピーク時の55%まで減ってしまいました。
 もう一つの変化は書店の激減です。1999年(平成11年)には、2万3000軒ありましたが、今は1万3500軒です。日本の自治体の5分の1に書店が1軒もない状況です。
 平成に入ってから、売れる本と売れない本の差が極端になってきたのは、書店の激減が理由の一つにあると思っています。売れる本は、300万部、400万部を超えたりしますが、売れない本は初版2000部、3000部も当たり前になってきています。
 出版社は、ロングセラーで売上を維持しながら、新刊を出していくというビジネスモデルなので、数万部クラスの中間層の本が動かなくなると、経営がひじょうに厳しくなる。今は、ロングセラーの既刊本が売れないため、売上の多くを新刊に頼らざるを得ない状況です。
 その結果、何が起こるかといえばいろいろありますが、とくに新人作家を売り出しにくくなるんですね。弊社には「文芸賞」という新人作家の登竜門があります。出版社には新人作家の発掘という大切な役目がありますが、彼らの本をどうやって売るか、本当に苦労しています。

山野 そうですね。弊社には河出さんほどの大ベストセラーの本は少ないのですが、50万部と2000部の間で売れていた本が売れなくなりました。

小野寺 かつては、書店に行けば、最新情報を手に入れることができました。だから、本好きでない人でも書店に足を運び、情報を探していたんですね。書店に行けば、本を目にする機会が増えますから、「こんな本があるんだ」と買ってくれていました。ところが現代は、そういう層がネットで情報を入手する時代になってしまった。書店に行く理由がなくなってしまったんです。

■「ストックからアーカイブの時代に」(山野)

————書店の立場でいえば、本の再販制施行から25年ごとに書店のあり方も変わってきた気がします。とくに近年は、Amazonの登場で、書籍もさまざまな販売形態が出てきました。

山野 時代の流れでいえば、80年代はフローが強い時代でした。浅田彰さんや中沢新一さんたちが注目され、ニューアカブームが起きた頃です。そして、80年代の後半になると、当時の日経BP社の社長が、「これからはフローからストックの時代になる」と言っていたのですが、その通りになりました。大量の情報を個人で簡単に処理できるパソコンが登場したり、床面積が1000坪クラスの大型書店が出てきたことも、情報を集積するストック化の現れだと思います。
 2010年頃からは、さらにストックからアーカイブの時代に変わってきました。象徴が三島由紀夫の『命売ります』です。50年前の本が22万部も売れたのは、インターネットの普及でアーカイブにアクセスしやすくなったことで、文豪の作品を見直す風潮が生まれたからだと思うんです。

————今、ジュンク堂池袋本店で、売上につながるのはSNSです。たとえば、作家さんがいらっしゃって、本にサインを書いてくれたという話をTwitterに流すと、すぐにお客さんが集まるのです。

山野 弊社でSNSを使って書籍を売るスタイルの先駆けになったのは、2006年(平成18年)に発刊された『ウェブ進化論』ですね。著者の梅田望夫さんは当時まだアメリカ在住で、発売前からブログのファンに本が出版されることを広めていました。そのおかげで出版後、あれよあれよという間に部数が伸びたんです。
 印刷技術の変化も大きいですね。『禅の語録』という全集があるのですが、第1回の配本が1969年(昭和44年)で、残り3巻がまだ出ていなかったんです。そこで、2016年(平成28年)に、50部単位で作れるという大日本印刷のオンデマンド出版を活用しました。新刊は2000部作りましたが、他の巻は200部作りました。これが全部、重版したんです。何千部単位での印刷しかできない時代だったら、過去の本まで出版できなかったと思います。

小野寺 うちの例で言えば、池澤夏樹さんの個人全集でSNSの果たす役割は大きかったですね。読者と作家、出版社を結ぶ「河出クラブ」というファンクラブを運営しているのですが、池澤さんの『日本文学全集』を出版するとき、メンバーの読者を記念イベントに招待したことがあるんです。読者は、会場にいるときから、「この本、ヤバイ!すごい!」とすぐにTwitterに書き込んでくれたんですね。その宣伝効果は大きかったです。
 もちろん、売れる本にするためには、大前提として質のよい本、面白い本を作ることがあるのですが、どうやって本の存在を広めるか、どうやって売るか、ということまで出版社は考えなければならないと思います。自分だけのお気に入りの作家を見つける時代から、買う前にレビューをチェックする時代になっています。それが、部数の格差につながっているとも思うんですね。知らなかった本を買ってみたら当たった、という喜びを読者にどう伝えていくか。そこを出版社も考えていかないと、先細るばかりでしょう。従来のように、売るのは書店さん任せ、という姿勢では厳しいと思います。

————電子書籍の話題にも触れたいのですが、現在、電子書籍の売上げが、約1千909億円。76.5%がコミック、残りを書籍と雑誌が分けています。コミックがなだれを打ったように電子書籍化したように、これからは雑誌が電子書籍化されるとも言われていますが、お二方はどう感じていらっしゃいますか。

山野 その通りだと思います。大手の総合出版社の数字を見ても、紙の本は年々、厳しくなっていますが、コミックと雑誌はデジタル化で活路を見出していると思います。

小野寺 私も雑誌のデジタル化はさらに進むと見ています。ただ、デジタルだけで収益を上げられるかというと疑問です。紙の雑誌があるからこそ、原価をカバーできているわけで、デジタルの読み放題で収益を上げられるかというと難しいのではないでしょうか。海外の新聞社も完全デジタルに移行したものの、うまくいったという話は聞きませんし、むしろ苦戦して、また紙を出すことになったところもあります。

山野 2013年(平成25年)から、文庫や新書などのペーパーバックを1400タイトル、電子書籍化してきました。お客様である読者が望んでいるわけですから、デジタル化には対応していかなければなりません。うちのような中堅出版社は、デジタル化に取り組みながら、紙も手放さないというスタンスになると思います。

■「コンテンツの無料化に危惧」(小野寺)

小野寺 うちも電子化はかなりやっています。読者のニーズに応える目的もありますが、もう一つ、電子化の権利を防衛する目的もあります。電子化していかないと、まったく出版と関係ない企業が電子化の権利を得ようとする可能性もあるからです。私は、紙か電子か、という二択で考えるのは、ちょっと視野が狭いのではないかと感じています。デジタルというせっかく新しく生まれた技術を生かすことも考えたほうがいいと思うんですね。同じコンテンツでも紙ならこんな仕掛け、電子ならこんな仕掛け、というふうに考えていかないと出版の世界は広がらないのではないでしょうか。
 むしろ、私が危惧しているのは、紙か電子か、という二択問題より、コンテンツの無料化問題です。コンテンツにお金を払うのがばからしいという風潮が当たり前になるほうが怖いですね。以前、スガシカオさんが「CDやダウンロード販売にお金を払ってくれないと、音楽の制作ができない」というようなことをTwitterでつぶやき、話題になったことがありました。出版も同じだと思います。すでに同人誌的な小説らしきものがネットには数多く登場していて、セルフパブリッシングも容易になっています。玉石混合の時代に、運よく面白いものに出会い、「読書は面白い」と思ってくれればいいのですが、つまらないと「本なんて読まない」ということになってしまう。それをどう防ぐか、出版界は突きつけられていると思います。

山野 その通りですね。プリントオンデマンドの中には、1冊から作れるサービスもあります。それで成り立っている出版社があるくらいです。紙であろうと電子であろうと、まず必要なのがいいコンテンツとプレーンなデータです。それをどう作っていくのか。好きなものを書けばいい、といっても企画力や編集力がなければ、魅力的なコンテンツには育ちません。書籍のロングテールの端から端まで見たとき、とんがったイボのような魅力的なコンテンツがなければ、読者は「読みたい」と思ってはくれません。そのイボをどう探すかが筑摩書房の仕事なのかなと思っています。(構成・写真 角田奈穂子)

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