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謹厳なモラリストと火宅の人という二つの人格が同居している。村山由佳さんの物語はその引き裂かれた自己を見つめることで生み出されてきた。人間の欲望は翼を持つことと根を生やすことに二分されるとしたら、翼も根も求めてしまう苦しみは、両方を同時に手に入れることができないからこそ純粋な関係の一瞬を希求する強い願望につながっている。最新刊の『花酔ひ』(文芸春秋)までの歩みを村山さんが語った。(村山由佳さんのサイン本プレゼントはこちら)
■せつない純愛小説『天使の卵』で泣きあかした読者が最新刊の『花酔ひ』を手にとったら、同姓同名の別の作家の作品だと思うかもしれない。ほぼ全編に性描写があり、濃厚なSMの場面もある。
『花酔ひ』はSM小説を書こうと思ったわけではありません。日常のあわいにひそむ裂け目のようなものを書きたいと思ったときに、一番書きたいことがあらわしやすい題材だったのです。
自分のなかにふだんは押し隠しているものがある、それが特定の相手、特定の要素をもっている相手によってのみ引き出されるとしたら、どうなるか。2組の夫婦がお互いの相手と肉体関係におちていくなかで、相手によって、嫌なのに、抵抗しているのに、認めたくないのに、そういう自分が引き出されていく。引き出されたが最後、後ろを振り返ったらすでに橋は焼け落ちていたというような、のっぴきならない恋愛を描きたかった。
自分のなかのモラルに疑いをもっていない人が読んだら、絶対に認めてはもらえないと思います。でも、一度でも自分のなかの大事にしてきたものが価値を失うような経験をした人には、いつでも誰にでも起こりうるこわい話として読んでもらえると思います。
■柴田錬三郎賞など文学賞3冠に輝いた『ダブル・ファンタジー』(文芸春秋)も、社会のモラルを揺さぶるものだった。夫の創作への関与から逃れるなかで6人の男性と体験を持つことになった35歳の女性脚本家の姿を不道徳だと眉をひそめる人もいれば、女性の自立や自己決定権を描いたものとして歓迎する人もいた。
わたしは基本的に自分のことしか考えていないので、物語を通して女性の社会的な地位を是正しようなどとはまったく思っていません。ただ、小説を書いていくなかで、個人的な物語を個人的に書いては日記やブログになってしまうので、どういうふうに不特定多数の読者に届けられるかを考える過程で、特殊を普遍に変化させようしてはいます。そのときに取り入れたのが、女性の自由や恋愛の自由、自由であることの孤独などの問題でした。
つねに個人的なもの、つまり自分の躯や心を通っていた事柄だけを書いて読者の価値観を揺さぶりたいという動機が強いからこそ、わたしは物書きを続けていられる。自分でもナルシストなんだろうなと思います。そのナルシシズムが鼻につくひとは村山由佳を読まないし、そこを越えて共感できる人は読んでくれるのだと思います。
この『ダブル・ファンタジー』を書いたころは、物書きとしての一番の過渡期でもあるし、わたしの人生(私生活)の過渡期にも重なりました。どっちがどっちを呼んだのかは分からないのですが、『ダブル・ファンタジー』を書ける環境をつくり出し、それまでどんなにたくさん小説を書いても消えなかった「これから何をかいていくのか」という不安が消えたのです。
わたしにとって小説は二種類あって、読者を入口から出口まで導き、出口を出ても振り返ったらきれいな家が建っているようなものと、建物のていをなしていない、迷路のようなものがあります。最初は、建物としてきっちりしていないと気持ち悪くてしょうがなかったのが、このあたりから、登場人物と一緒にわたしまで揺れながら、自分のなかの暗い淵をのぞきながら書く、そういう書き方でなんとか出口にたどりつける蛮勇のようなものが身についてきたのです。
■厳格な母と娘の葛藤を描いた『放蕩記』(集英社)は自伝的要素が色濃く出ているという。引き裂かれた自己の根元を見つめる作品になった。
『天使の卵』や「おいしいコーヒーのいれ方」シリーズと『ダブル・ファンタジー』『花酔ひ』が両極端の作風だと言われますが、それは、書き手であるわたし自身のなかに相反するものがあるためです。子どものころに、母の厳しいしつけのせいで、母の前ではいい子でいて、でもそれではとても息がつけないので見えないところで悪いことを考えたりしたりしてきました。それが今のわたしを作り、物書きとしてのわたしを形成しています。モラルの意識は強いくせに、不道徳なものを希求する気持ちが反動のように強い。それが2種類の作品に現れているのだと思います。
「もう一度デジャ・ヴ」という作品でジャンプ小説・ノンフィクション大賞の佳作をもらったとき、選考委員だった立松和平さんに「あなたは境界線上の人だよね。両方に足をおいて、両方を見て、両方を自分のものにしたいんでしょ」と言われました。
最近になってそれがようやく作品にあらわれるようになってきたと思います。
■直木賞を受賞した『星々の舟』には『放蕩記』につながる家族関係の原型が入っている。転機になった作品だった。
『星々の舟』は、まず舞台ありきだったんです。
「別冊文芸春秋」という雑誌での連載だったので、わたしよりも年上の人が読んで、楽しめるものにしたかった。村山由佳が書くのだから恋愛の要素を入れた上で、家族や時代や世代というものについて書きたいなと思っていました。最初から全部決め込んで書いていたわけではなく、半分血のつながった兄姉の恋愛を書き出したあと、家族のひとりひとりに光をあてていったときに、初めてそのひとの過去や歴史を考えたのです。
当時は千葉・鴨川に住んでいたので、新しい情報が次々に流れ込んでくるというわけでもなく、自分のなかにあるものをどう出していくか、どれだけ惜しみなくだすかで勝負が決まると思って、つい……。「つい」と言っちゃだめかな、『放蕩記』の原型になるようなわたし自身の過去がだいぶ色濃くでてきたという感じですね。
「過去を見つめ、自己を解放していく作品」と言われることもありますが、書いているときはそんなこと考えてない。書きたいというシンプルな思いがあるだけです。
この作品のなかに「青葉闇」という章があります。それを書いたときが一番不安でした。章の終わりも、すべてが嫌になった主人公が電車にのって、山のなかまで運ばれていって、灯りが見えないというもの。前の夫には「わからないよ」と言われた部分です。でも、結果としてその一編が文芸的な意味では最も評価されました。不安を感じるのは、いままでにやったことのないことをしているからで、それが自分の進化・深化につながっているのだから、不安をこわがらないようにしようと思っています。
■昨年のリーダーストアでの著者別ダウンロード数は堂々の2位。幅広い読者を持つ浅田次郎さんが1位で、3位は藤沢周平さんだった。
「おいしいコーヒーのいれ方」シリーズはシーズン1が10巻、シーズン2はいま6巻まで出ています。1巻目を読むと続きを読みたくなるような作品なので、ダウンロード数が多かったのかなと思います。「おいコー」とは20年近い長い付き合いなので、わたしも登場人物がすぐそばにいる気がしますし、シーズン2が終わるときもいいかげんなところで終わらせられないなと思っています。
最近の巻では、わたしが他の小説で描くぐらいシリアスなことをも持ち込んでいるので、そこは賛否両論です。そういうものを読みたくないという人もいれば、人生はこういうものだよね、という人もいます。
電子書籍になったばかりの『ダブル・ファンタジー』は女性の裸のおしりが表紙になっているので、本屋さんで買いにくかった人はぜひ電子書籍でどうぞ(笑)。






