少女誌恋愛マンガ誕生 水野英子「星のたてごと」

2013年02月12日

水野英子さん=西田裕樹撮影

 いまは女性が少年マンガを読み、女性が男の名前で男性向けマンガを描く時代。けれど、昭和30年代まで、マンガは男性のものだった。少女向けのマンガも男が描いていた。そこに敢然と切り込んでいったのがこのひと。1959年に彼女が描き始めた「星のたてごと」は、少女たちが初めて触れた大人のラブロマンスだった。
 山口県から上京し「トキワ荘」に移り住んだのは1958年の春。「少女クラブ」で手塚治虫先生の「リボンの騎士」「火の鳥」担当だった講談社の丸山昭さんに仲介していただき、石森章太郎さん、赤塚不二夫さんとU(ユー)・マイア名義の合作をするためでした。
 トキワ荘ではみんな少女マンガ誌で仕事をしていました。少年誌は絵物語系の大家の牙城(がじょう)で若手は入っていけなかったんです。女性のマンガ家? 長谷川町子さんら、ごく限られていた。
 手塚先生を慕うトキワ荘の住民は、ストーリー描写の重要性を感じていました。絵でドラマを作る。中でも石森さんは暗示的な表現、斬新な構成に秀でていました。彼らと机を並べることで私の画力もみるみる伸び、新しい分野を掘り起こすことに夢中になれた。
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 翌59年、私は手塚先生の跡を受け継ぐように「少女クラブ」で「星のたてごと」の連載を始めました。大貴族の娘で神の子でもある姫と敵国の王子との運命的な恋愛。少女向けのラブロマンスはそれまでなかった。女の子に恋愛ものは読ませたくない、はしたないと思われていた時代だったんです。
 服のシルエットやドレープは中原淳一さんに影響されてますね。線の美しさは、群を抜いていました。
 全体のイメージはワーグナーのオペラ「ニーベルングの指環(ゆびわ)」。主人公のリンダは黄昏(たそがれ)の神ボータンの娘、ワルキューレの一人です。
 私は父を知りません。母も家にあまり帰ってこない人で、祖母と、鉄道員だった12歳年長の叔父に育てられました。ワーグナーはラジオから。小学生のころ「音楽の泉」で聞きました。本にも目がなくて、向かいの貸本屋から文学全集を毎日のように借りてた。手塚作品との衝撃の出会いとなった「漫画大学」もここで見つけました。
 田舎は嫌いでした。男の人たちは寄り合ってお酒を飲み、わいせつな歌をうたい、奥さん連中がお酌をしてまわる。中学を卒業して地元の漁網工場で働きつつ、貧乏で汚くて因習に縛られたこんな現実から解放してくれる、大きく美しい物語世界に憧れていた。
 「週刊マーガレット」(集英社)で64年から始めた「白いトロイカ」はロシア革命が舞台です。少女向け歴史マンガも前例がなく、編集部は難色を示しましたが、貴族と農奴が対立する構図は強烈な人間ドラマを生むという確信があった。読者には支持され、池田理代子さんの「ベルサイユのばら」につながっていきます。
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 ロックする魂の遍歴をたどる「ファイヤー!」(69~71年)を描き終えた後、未婚で出産、独りで子育てし、13年間、連載は不可能な状態が続いた。
 その間に少女マンガ界は世代交代が進み、多くのベテランが激しいセックス描写のあるレディースコミックに流れました。私にはできなかった。
 今は描きたいマンガを描き、自分のWEBサイトで直接売っています。「トキワ荘日記」はよく出てます。ただ、800ページほど描いて掲載誌が休刊した「ルートヴィヒ2世」(86~92年)の続きは自主制作では無理。同じ分量を描かないと終わらないから。ええ。完成を諦めてはいませんよ。
 (聞き手、編集委員・鈴木繁)
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 みずの・ひでこ 1939年山口県下関市生まれ。55年マンガ家デビュー。「ファイヤー!」で70年小学館漫画賞受賞。「銀の花びら」「すてきなコーラ」など著書多数。

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