既成概念への違和感、潔く 松田青子「スタッキング可能」

2013年03月19日

松田青子さん

 松田青子(あおこ)の初の小説集『スタッキング可能』(河出書房新社)が注目をあびている。「本当の自分なんてありますか? オリジナルの言葉なんてどれだけありますか?」。世にはびこる既成概念との「戦記」でもある作品集だ。
 表題作は、オフィスビルで繰り広げられるサラリーマンの日常を描く。「何千人と人がいたって、どの階でも同じようなことが話されていて」とD山は想像する。B山は学生時代と会社生活を比べて「こんなにみんな同じだと思わなかった」と、腹を立てている。登場人物はフロア別にA田、A村、A山、C田、C川、Cちゃんなどと表記される。「カテゴライズの象徴です。人間には多くの固定観念や借り物の言葉がくっついていることを、一人でありながら全員、また全員で一人にも見えるように表現したかった」
 世の中への違和感をずっと感じてきた。「学生時代は個性や能力を身につけろと言われ、会社に入ればそこのルールが大事……」。「自分探し」や「自分磨き」といったスローガンは信じない。「ないものを追い求め、ものを買わせたり旅行に行かせたりするための装置ではないか。ある種のファンタジーで、そこに残酷さと面白さを感じる」
 そんな違和感を持つ人たちの象徴として「わたし」を登場させた。自分の中にイスをスタッキング(積み重ね)するように、疑問や意見、批評でバリケードを作っていく「わたし」。世の流れに「おもねらない」ように戦っている。
 大学3年の時、父が心筋梗塞(こうそく)で亡くなった。地質学者で南極観測隊から帰国後すぐだった。「残された大量の石や土は、研究する人がいないとただの物質になるんだと実感した。継続して何かをすることが怖かった。だけど、死ぬまで自分の人生は続く。その時まで日常をどう生きるか、20代の終わりに考え始めた」
 今、33歳。「かつて上野千鶴子のフェミニズム論が広く受容されたのは、表に出ていなくても同じように考えていた人が多くいたからだと思う。変わらない日常の中でも、変なことは変だと思い続けること、諦めず時々違和感を表明することは、後の世界につながる意味があることだと思う。そのことをしつこく言ったのがこの小説です」

関連記事

ページトップへ戻る