うそとまことの間で遊ぶ 浅田次郎「一路」

2013年03月27日

時代小説「一路」を出版した作家の浅田次郎さん=東京都中央区、西田裕樹撮影

 組織の中で自分の役目をどう果たしてゆくか。浅田次郎の長編『一路』(中央公論新社)は、江戸末期が舞台ながら、サラリーマン小説のように読める。侍たちの言葉が、悩み多き現代人の背中をそっと押してくれる。
 主人公の一路(いちろ)に突然、大役が降ってくる。参勤行列の差配をする「御供頭(おともがしら)」。急逝した父からは何も引き継いでいない。一路が頼りとする「御供頭心得」は一から自由に作った。「大うそをつくのが小説家の仕事。しかし、大うそは史実できちんと支えないといけない」
 うそとまことのはざまで遊ぶ。「江戸の世が260年続いても役職は変わらない。だが、なぜこれを持って歩くのか、と荷物一つとっても意味不明なことが多かったと思う」。よろめくような重さの槍(やり)、恥ずかしくなるほどの盛装。長い年月の間に行方のわからなくなっていたものを一路は引っ張り出して、理由のわからないまま、仲間に身につけさせて、歩き出す。
 中山道をひたすら歩き、目指すは江戸。取材で同じ道を3度にわけて歩いた。馬籠(まごめ)、妻籠(つまご)、奈良井。当時の面影が残る宿場町が多く、「歩いているうちに、ありありと物語ができあがった」という。歩きながら出会った五平餅やソバ雑炊が小説の中に登場する。
 一路ひとりでは江戸までたどり着けない。部下の心をつかみ、危機を乗り越えてゆく。書き終えてみれば、「知らず知らず、一路に自分を重ねていた」と思う。「字を書くのは僕一人でも、編集者がいて読者がいて、先人たちの努力による資料があって、初めて小説を書けるのだから」
 世の中が変わってしまうことに疑問を持つ主人公の性質も、自身と重なる。作家としての基本は、万年筆で原稿を書くこと。「紫式部はパソコンを打たなかったでしょう。千年間、こうやって書いてきた。それが僕らの時代に変わるのはおかしいだろう。常に現実を疑い、原点に回帰していく気持ちを持っていたい」
 「ずっと小説ばかり書いてきた。自分から小説を取ると何も残らない。『一所懸命』、これが大切な心得なのです」

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