映画批評に対するソーシャルメディアの影響 渡辺大輔さん

2013年04月03日

渡辺大輔さん

 映画を取り巻く環境は、デジタル化やソーシャルメディアの急速な普及で激変している。だが、批評はどうか。そんな思いで書いたのが昨年12月に出版した『イメージの進行形』(人文書院)だ。
 「既存の映画批評を一度ゼロにしたかった」と語る野心作で扱われるのは映画を含めた映像のリアリティーだ。メディア論や社会学の理論などを手がかりに、ジョン・フォードや岩井俊二らの作品が言及される。だが、映画の話だけではなく、映像を通した社会のあり方まで議論が広がる。
 暗闇の中で映画をみることこそが映像との付き合い方であるという考えは今の社会では「リアリティーを持たない」。
 むしろ、スマートフォンを片手に動画投稿サイトを見たり、自分が踊る姿を撮影したりと、誰もが発信する側に回ることができるのが今の特徴だ。そこでは話題を集めれば「メジャーな存在」になる一方、プロがつくって世に出ても言及されずに終わることもある。そんなふうに映像経験のあり方が変わった後に批評は何をするべきかを問うた。
 あらがいたかったのは、「スクリーンに映ったものだけを批評するのが映画批評だ」という考えだ。「映画の批評なんだから当たり前と思われがちですが確立されたのは1980年代なんですから」
 今、目指しているのは、自分の踊る姿を映してネットにアップする「楽しさ」など、映像と私たちの関わり方自体を批評する言葉を紡ぐこと。現在、母校の日大芸術学部などで映画論などを教える。「これだけ映像があふれている社会で同時代の若い人に、批評の言葉が届かないのは『言葉』が、悪いからだと思う」
 とはいえ、自身は高校時代まで栃木県で過ごし、「田舎だったので見られる映画は限られていた。なので、本を読んでまだ見ぬ映画のストーリーを覚えていた」映画好きだ。
 好きな映画を聞くと、少々意外な答えが返ってきた。
 「やっぱり小津安二郎の『秋日和』と『秋刀魚の味』ですね。散々、デジタルだのソーシャルメディアだの言っているわけですけど」(高久潤)

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