古典落語の新著 いかがわしいって素晴らしい 柳家喬太郎さん

2013年09月24日

「落語家の生活が見えてくれば」と話す柳家喬太郎

 古典、新作を問わず自在な表現で知られる落語家の柳家喬太郎が、好きな古典落語について書いた『落語こてんコテン』(筑摩書房)を出版した。この機会に本人に聞いてみた。「いったい、落語って何ですか?」

■「噺家が怠らなければ発見ある」
 文章のネタ選びも内容も「生理に即して書こう」と思いつくまま、2004~12年にウェブマガジンで連載。書き下ろしを加えた100席を、前作『落語こてんパン』との2冊に分けて書籍化。そこから落語の実体が見えてきたという。
 「人間を描いた素晴らしい映画や芝居、小説がいっぱいある。それに比べ、俺は子どもの頃からなんてバカなことばかり考えてんだろう」と引け目があった。ところが、落語事典に目を通すと、高校生の妄想のようなたわいない艶笑小咄(えんしょうこばなし)が「古典」として載っていた。「人は意外とバカなんだ。それがとてもいとおしい」と自信を得た。
 高座で時折、「R―18」と銘打った落語をする。救いのない怪談噺(ばなし)や、陰惨な「宮戸川」の後半などをかける。「世の中には残虐な物語もいっぱいある。それをそのまま提示するのも落語。そういうところも好きなんですよね」。ハッピーエンドで終わらない演劇を見たときは「こんな気持ちで帰るのかよ」と思う一方、「充実した時間をもらえた」とも感じる。そんな複雑な後味が混じり合う感覚を、落語でやってみたかったという。
 「R―18」を続ける理由はもう一つ。先輩から、昔の寄席は悪場所だったと聞かされた。「あそこは子どもが入っちゃいけないもんだみたいな、ちょっと近寄りがたい雰囲気も残したい」。芸術性や文学性を認められる一方で、卑俗な面を併せ持つのが、大衆演芸たる落語だと喬太郎は考える。「いかがわしいって、素晴らしいじゃないですか」
 言葉や習慣が古び、消えてしまう古典がある。逆に「今なら受ける噺もある」とみる。金物をなめたがる男の「擬宝珠(ぎぼし)」をはじめ「綿医者」「仏馬」「吉田御殿」を自ら復活させた。演じ手の少ない長編怪談「牡丹灯籠(ぼたんどうろう)」を通しで演じても手応えがある。「世話になった人を間違って殺したつらさを、お客さんはドラマとして見てくれる。噺家が怠けなければ、そういう発見もあるはず」
 古典落語をあらためて考えて書くことで、自分の方法論が整理できたという。ただ、本で紹介した噺の大半が持ちネタではなかった。若手の第一人者も今秋50歳。どうするのか?
 「勉強し直したい」と言ったと思えば、一方で「聴いた人がポカーンとするような、練れていない新作もつくりたいね」。まじめと無邪気のハイブリッドが、この人の真骨頂だ。

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