この民主主義は本物か 時代錯誤の主権概念 國分功一郎

2013年10月30日

哲学者の國分功一郎さん

 哲学者の國分功一郎・高崎経済大准教授が、新著『来るべき民主主義』(幻冬舎新書)を発表した。5月にあった東京都小平市に建設予定の都道を巡る住民投票運動に関わり、その中で頭に浮かんだ問いが本の出発点にあるという。生活に関わるほとんどのことは自分たちでは決められないのに、なぜそんな政治体制を民主主義と呼んでいるのか――。その意味を聞いた。
 住民運動は、小平市の都道建設計画の是非を巡るもの。計画を見直すべきか問う住民投票を求め、投票が行われたが、市が開票条件とした投票率50%以上にならず、開票されなかった。50年前につくられた計画だが、実施するか否かを決められるのは行政だけだ。
 「痛感したのが、生活にかかわる『政治』のほとんどは、行政が決めているということ。道路もそうだし、例えば、保育園のあり方などもそう。なのに、僕らは事実上の決定機関である行政には関われず、議会という立法府の議員を選ぶことに、ほぼ政治参加の機会を限られている」
 なぜなのか。哲学の歴史をさかのぼり、注目したのが「主権」という概念だ。國分准教授によれば、主権概念は16、17世紀につくられた。そもそもは君主が一定の領域内のルールをつくって、臣民を従わせるために確立された概念で、それがその後の民主主義にも継承された。
 「今の民主主義は国民主権という言葉で定義されるが、そこで言う主権とは、法律を作る権利のこと。だから政治参加が立法府への関わりに限定される。僕らは近代初期の政治哲学がつくった、決して十分とは言えない概念でなおも民主主義を語っている」
 民主主義とは多数決だという考えも、主権を立法(議会)として捉える誤りから生み出された「大きな偏見」という。
 では、どういう民主主義の語り方がよいのか。そのヒントがタイトルである「来るべき民主主義」という考えだ。仏の哲学者ジャック・デリダが打ち出したアイデアだという。
 「完全な民主主義がどんなものかは誰もわからない。でも、ある具体的な決定や制度変更について『これは民主的ではない』という実感を持つことはできる。デリダから学べるのは、こうした肌感覚を重視して民主主義を考えるべきだということ」
 立法(議会)を中心に民主主義を捉える概念から解き放たれ、政治の見方も変わるという。
 今の議会の実情は、「行政が出してくる案にお墨付きを与える役割にとどまっている」。議会改革も大切だが、政治においては、法律をつくるのと同じぐらい、どう運用するかが重要となる。役所などが法律を運用する過程を絶えずチェックし、それに関わる。住民投票はそのための手段の一つと位置づけられる。
 「何かの機会にものを考え始め、それを人と話すところから政治が始まる。立法中心の民主主義観を変えていけば、議会の外で住民をどうサポートしてくれるかなど、議員の評価の仕方も変わっていく」

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