保坂和志、10年ぶり長編 小説の謎と使命に挑戦

2013年10月23日

保坂和志=東京都文京区音羽、郭允撮影

 保坂和志が10年ぶりの長編小説『未明の闘争』(講談社)を出した。話があちこちに飛び、時制や助詞が安定しない文章。だが、テンポ良く繰り出される記憶や思考が、懐かしさとともに体全体に響いてくるような小説だ。「芸術に関わる人は、自分が信じること、やりたいことをやってみせることに存在価値がある」と話す。
 〈ずいぶん鮮明だった夢でも九年も経つと細部の不確かさが現実と変わらなくなるのを避けられない〉と小説は始まる。同僚の思い出からペットの話題へ。近所づきあいから恋人との逃避行へ。「話が脇にそれるという僕の“利点”を生かそうとした作品」と語る。〈私は一週間前に死んだ篠島(しのしま)が歩いていた〉など、文法的に「?」と思う文章も。
 「分からないと言われることを恐れるな、というのが今回書いていて思ったこと。バーを下げるのは読者をバカにすること。逆に、ここまでやるんだね、と言われたい」
 知人や飼い犬に猫ら身近な存在の、病気や死の回想が折り重なる。〈あの頃は楽しかったなあ! と、私と紗織は声に出さずにいられない。ブンもポンちゃんもいた。私たちはみんな、死からすごく遠いところで生きていた〉
 読者は、自身の体験を思い出し、作中人物の記憶と自分の記憶が混濁するかもしれない。旅に出たり恋をしたくなったり、人生を大切に思う気持ちに満たされたりするだろう。
 「小説の読み方に正解なんてない。でも、伝わることはあると思う」
 この10年間、小説論やエッセーを書きながら、小説はもういいかと思ったこともあったという。だが、ずっと小説のことを考えている状態ではあった。そして、やはり小説にしかできないことがあるのだという。
 「小説はストーリーだと思う人は、時間や経緯にとらわれがち。だが、空間の広がり、その中でみっしりと何かが起こっていることは、小説でしか書けない。例えばこの作品では、主人公が公園にいるとき、各所でいろいろなことがおこる。ストーリーがなくても面白い。そのこと自体が小説の謎なのだが、僕はひたすらそこに挑戦している」
 今年57歳になった。若い人に個性を出せとか言うまえに、まず、やってみせないと、というのが持論だ。「すでにあるのとは違う新しい考えを示すのが小説の使命。いや、使命なんてないけど、ないところに使命がある。というか使命なしにやる。人はそういう不思議な使命感にかられて何かをやるのではないか」
 漠然としているが、揺るぎない。『未明の闘争』はまさに、そんな小説だ。

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