死者の言葉聞ける、小説 いとうせいこう「想像ラジオ」

2013年11月13日

作家のいとうせいこう

 いとうせいこうの『想像ラジオ』(河出書房新社)は、東日本大震災で亡くなった人たちの声を集めた小説だ。津波を間近に体験した人たちは自分の身に重ねて読んでいた。
■被災地で読者と語り合う
 仙台市の東北学院大に2日、読者が集まった。いとうが公の場で『想像ラジオ』を語るのは初めて。
 仙台市の介護士、須藤文音さん(26)は、宮城県気仙沼市で津波にのまれた父のことを話した。「父と会いたい、話したい」と思ってきた。『想像ラジオ』を読み、「亡くなった人の声が聞けるのはうらやましい。いつ想像してもいいのかなと思えるようになった」。いとうは「死者を思うことで、私たちは死者に心を支えてもらっている」と言葉を継いだ。
 津波の犠牲者が木の上からラジオ放送する設定には、石巻市の女子高生が「近所の人が、実際に木の上で亡くなっていたのを思い出した」と伝えた。「苦しめた責任は負う」とうつむくいとうに、女子高生は「気持ちを代弁してもらった。読んで良かった。ありがとう」と返した。
 小説で死者に語らせたことを、いとうは「生者の声はジャーナリズムが伝えている。小説は死者の言葉を聞く回路がある。大量に人が亡くなったときに、気持ちを落ち着かせる回路を持っていた」と語った。
 この3日後、『想像ラジオ』は野間文芸新人賞に選ばれた。会見で「自分1人で書いたという気がしない」と話した。死者を書いていいのか、自分を責めながら仕上げたというが、物語を引っ張るDJの語り口は軽妙だ。「僕には深刻になる権利がない。権利があるのは周りの人たちを失った方、そして死者だけ。だから僕はここでユーモアを行使しなければならなかった」
 一方で被災地で読者と会い、「自分の考えが間違いだった」とわかった。「これはリアリズムであると言われた。一つ一つの死者のエピソードを名前も顔もある誰かを想像して読んでいた。そんな風に読まれているとは思わず、よい誤算だった」
 震災によって「未来を考える想像力を封じられている」という思いが原動力だった。小説は、文字を読めばもう想像が始まる。「想像力が復活する装置として、文学は使える」
■16年ぶり「なぜか書けた」
 『想像ラジオ』は16年ぶりの小説だった。長い沈黙を一気に埋めるように、猛スピードで執筆している。今月末に『存在しない小説』(講談社)を刊行。「すばる」12月号では「鼻に挟み撃ち」を発表した。未刊行作を含めた初期作を復刊する「いとうせいこうレトロスペクティブシリーズ」(河出書房新社)の刊行も始まった。
 長く書けなかったのは、「言葉を連ねる違和感」のせいという。「リアルに見せようとして季節や風景を書いていると嫌になってしまう。何を書いてもウソだから」。なぜ再び書けたのか、自分でもわからない。
 いまは「作家主体の文学ではなく、読者主体の文学を」という思いが強いという。『想像ラジオ』なら、文中に繰り返し流れるジングル「想ー像ーラジオー」は、メロディーが読者にゆだねられている。
 『存在しない小説』もそう。いとうが編者で、アメリカ、ペルー、香港などの作家の作品を集めた世界文学シリーズという設定の連作短編。しかし作家も訳者も実在しない。〈こうしてあなたがページを開けば、黒いインクの何か規則的な模様は『存在しない小説』として動き始める〉という「編者解説」は、一緒に遊ぼうという読者への誘いである。
 テレビ、演劇、音楽。マルチな活動が小説の世界を豊かにしている。テレビや演劇で笑いと向き合い、古典芸能から「心を動かすとはどういうことか」を学んだ。「16年はまったく無駄ではなかった」。色とりどりの表現の場にいるから感じる。「小説ほど原始的なメディアはない。だからこそぶっとんだ体験をさせたい」
■「夢抱かせてくれる」 シンポで堀江敏幸
 現代イタリア文学を代表する故アントニオ・タブッキを考えるシンポジウムが東京で10月にあった。翻訳者の和田忠彦の司会で、いとうせいこうと堀江敏幸がタブッキ作品を語った。
 いとうは、タブッキとイタロ・カルヴィーノをお手本の作家に挙げた。2人とも、第2次大戦後のヨーロッパ社会の問題を、軽妙で幻想的な方法で作品にした。「(新作の)『存在しない小説』は、タブッキへのオマージュだったとこの会場で気付いた」
 堀江は「他人が消失した夢を探すのが物書きの仕事だと『想像ラジオ』はそっと宣言した」と指摘。「読者の心がくじけていたら、くじけたなりの夢を抱かせてくれる」とタブッキとの共通点を挙げた。

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