居場所ない人への物語 柳美里「JR上野駅公園口」

2014年05月20日

作家の柳美里さん=西田裕樹撮影

 作家、柳美里が「構想から12年」という『JR上野駅公園口』(河出書房新社)を刊行した。福島県相馬郡に生まれた男の人生に日本の近現代史を重ねて、私たちが今立っている場所を見つめ直そうとしている。長い出稼ぎの末に家を出たホームレスの痛苦と、原発事故後の「警戒区域」に家があるために帰ることができなくなった被災者の痛苦とをつなげようとした野心作でもある。

 男は昭和8年、天皇と同じ年に生まれた。73年後の平成18年、日本学士院から帰る天皇皇后の車を上野公園で見送る。その日は、ホームレスの間で「山狩り」と呼ばれる「特別清掃」の日で、コヤをたたんで公園の外に出なければならなかった。目の前を通り過ぎる車の人にも流れた同じ73年の歳月を思い、まるで自分の人生を見送るようにして車を見送る。

 「最初は、『山狩り』の一日を俯瞰(ふかん)する短編を考えていた。早朝からホームレスの人たちがコヤをたたみ、ちりぢりになり、夕方戻ってくる、あるいは戻って来られないように柵が作られる。そんな一日を風景のなかを流れる風のようなタッチで描こうとした」

 そのため、3度「山狩り」の現場を取材した。「いつ行われるかを知る手がかりは、コヤのブルーシートに張られた張り紙だけなので、上野公園の近くに住む友人に頻繁に見に行ってもらった。日が特定できたときは前日から近くのビジネスホテルに宿泊して取材した」という。

 なぜ、ホームレスを描こうとしたのか。

 「私に一貫しているのは、居場所のない人のために書くこと。自分自身、家にも学校にも居場所がなかったし、日本人でも韓国人でもないという部分もある。居場所のない場所に立って書いているときに、居場所をなくして隅に追いやられている人を書きたいと思った」

 3・11後に構想が大きく変わった。原発事故で半径20キロ圏内が「警戒区域」となる前日の2011年4月21日から原発周辺地域に通い始めた。「ダム銀座と呼ばれる只見川流域に住んでいた母からダムで沈んだ集落の話を聞いていたので、沈んだ集落と『警戒区域』とが重なった。私になにか関われることはないかと現地を歩いた」

 福島県に通っているうちに、南相馬市の臨時災害放送局「南相馬ひばりFM」に誘われて、12年3月から住民と語り合う番組「ふたりとひとり」を始めた。先週の放送で108回になる。「ふたりとひとり」はあくまで「二人」と「柳美里一人」であって3人にはならないという。

 「あの日、津波から逃げ惑った『時』をいっしょに過ごしていないとわからないよ、と言われる。ホームレスの人からも『家のあるあんたにはわからないよ』と言われた。この隔たりは永久に変わらない。私は、わからないけどわかりたいから聴く。だから永遠に聴き続けることになる」。ここで出会った男性の人生が、小説の男に投影された。戦争が終わったときに12歳。その年から出稼ぎに出て家に戻ったのは60歳。皇太子と同じ昭和35年2月23日に生まれた長男を21歳で亡くし、出稼ぎでほとんど一緒に暮らすことのなかった妻も、家に戻って7年後に世を去った。

 男は最後、JR上野駅2番線に池袋・新宿方面行きの電車が入ってくるアナウンスが繰り返される間に、時間と空間を超えて2011年3月11日に至る。

 「上野にはいろんな歴史の地層が重なっているので、これをめくっていきたかった。男と天皇がすれ違うのは一瞬だが、日本の歴史は天皇の生きた時代でもあるので、正面から取り組んだ。2020年の東京オリンピックにも東北の人たちがたくさん働きに出てくると思うが、私は感動と熱狂の後先にピントを合わせたい。労働力として使い捨てられ、帰る場所を失った人たちがいるのだから」(都築和人)

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