反省しない日本人へ 奥泉光「東京自叙伝」、ニヒルな戦後の保守政治を批判

2014年06月24日

作家・奥泉光さん

 戦後の保守政治への批判を込めた、奥泉光の長編小説『東京自叙伝』(集英社)が刊行された。幕末から現代まで、東京を舞台に、独り語りでテンポ良く進む。ユーモアたっぷりで笑いながら読んでいくと、福島の原発事故と東京の未来がダブって見えてくる。震撼(しんかん)ものの日本論だ。「作家は死者の声を聞き、大げさに言えば予言者的な感覚がある」と語る奥泉に聞いた。

 主人公の「私」は、東京の地霊のようなもの。動物や虫にもなるが、地震や火事などをきっかけに、人間として覚醒する。侍や陸軍軍人、愚連隊にフィクサーら6人の記憶が語られる。時代や人が変わっても、みな要領の良さは同じ。人を裏切り陥れておいて、最後は「あれでよかった」「仕方なかった」とつぶやく。
 「“体験”を“経験”として蓄積しない人間もテーマだ。経験とは、体験したことを自分なりにとらえ直すこと。主人公には長い時間の体験があるが、ただ記憶しているだけで、自分の経験として蓄積していない。つまり、言葉にして反省することなく生きている」
 そこに、日本と日本人の姿が重なる。「保守思想とは、理念や理想による世界の変革に反対し、伝統を重んじ、経験に裏打ちされた思想やルーツを持っているはず。だがどうも日本の戦後保守政治は違う。極端に言うと絶えざる現状追認。状況に棹(さお)さすとも言える。根底にあるのは、ダメなときはあきらめよう、なるようになるというニヒルではないか」
    ◇
 奥泉はこれまで、太平洋戦争開戦時の海軍将校の死を発端とする『グランド・ミステリー』、戦争末期を舞台にした『神器―軍艦「橿原」殺人事件』などで日本人像に迫ってきた。現代を含む『東京自叙伝』は、「歴史小説」への取り組みの「新たな出発点」だと言う。
 「歴史化とは言語化し、経験化するということ。直接体験していない世代こそが、歴史を作らなければならないと思う。史料は膨大にあり、言葉を通して体験を知ることは可能だ。明治から昭和まで、連続した時間の流れの中でとらえ直したい」
 歴史叙述には国家や共同体がつくるものがあり、科学的ニュートラルな叙述の模索もあった。では、歴史小説とは。
 「小説は、死者を搾取するという僭越(せんえつ)さとおこがましさを含む。最低限でも、複数の立場から相対的に死者の声を響かせなければいけない。その上で物語から出発し、歴史小説の可能性を考えたい。晩年の森鴎外や大岡昇平は考えていたでしょう」
 奥泉作品は鴎外とは違い、ミステリーやSFの要素を取り入れ読みやすい。「作家としては、面白く読まれたいし、わくわくしてほしい」。しかも、太平洋戦争を描いて愛や情に訴えるはやりの映画や小説とは、質も歴史認識も一線を画す。
 「戦国時代ほど距離があれば、物語のパターンの中に人物を落とし込みやすい。信長とか秀吉とか一種のコスプレですよね。近代は、現代に直接つながる。まだ、そうはいかない。だが、類型的な物語に吸収される危惧を感じる。それでは、太平洋戦争の犠牲者の霊は鎮まらない。僕が正しいとは言わないが、より正しい立場に立ちたいとは思っている」
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 主人公は最後、福島第一原発の事故現場から東京へと移動する。繰り広げられる壊滅の幻影を、絵空事と笑い飛ばせる読者はいるだろうか。
 「福島に東京が重なって見えた瞬間があった。核物質の研究は事故処理も含め必要だが、商業利用は無理だろう。国策でやってきた原発の失敗を認めて“経験”として残さないと、また、反省しないままになってしまう。ニヒルに引きずり込まれてはならない」(編集委員・吉村千彰)

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