石巻の製紙工場「奇跡」の記録 出版支える場…「タスキ渡された」

2014年07月17日

ノンフィクション作家の佐々涼子

 東日本大震災とその後の津波によって全機能が停止した日本製紙石巻工場(宮城県石巻市)。あまりの惨状を目にした誰もが「工場閉鎖」を覚悟するほどの絶望的な状況から、半年でマシン(8号機)を再生させた「奇跡の復興」を、ノンフィクション作家、佐々涼子が追った。『紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている』(早川書房)は、出版文化を担う人々の熱い思いが駅伝のタスキのようにつながれて、私たちの手元に本が届いていることを教えてくれる。

 日本製紙は日本の出版用紙の約4割を担う。主力の石巻工場は2011年3月11日、1306人が働いていた。全員無事だったが、構内から近隣住民41人の遺体が発見され、「運ばれてきた家屋の二階部分一八棟、自動車約五〇〇台が浸かっていた」。しかし、工場長はマシンを「まず、一台」「期限は半年」で復興させると宣言する。
 佐々に早川書房の編集者から声がかかったのは震災から2年後。「最初は、SFを書けと言われるのかなと思った」という。一方の早川書房では、石巻工場を見学した早川淳副社長が「記録として残しておかなければ」との強い思いを持っていた。佐々は、「震災のときに何かしなければと思いつつ、手がかりもなく何もできないでいた。しかし、誰よりも3・11の影響を受けているのはノンフィクションライターであり、そこからは逃げられない。声がかかったときは、忘れてきたものが出てきたと感じた」。
 日本製紙社長、工場長、8号機オペレーターの係長、ボイラー担当課長、技術室長、協力会社の社員、組合支部長らへの綿密な取材を重ねるなかで、従業員の「これは駅伝だと思いました」という言葉を聞く。その言葉通り、まるでタスキがリレーされるように、8号機は半年後の11年9月14日に稼働する。
 「私が能動的に書いているというよりは、物語という目に見えない大きな力に捕らえられて、書かされているのだと感じることがある」という。今回、従業員らの話を聞きながら「自分のからだの中を通って文字を起こす記録係として、この物語を読者に伝える駅伝のタスキを渡されたようで必死だった。次はタスキを『自分に預けてほしい』という書店員さんがたくさんいて、読者に渡っていくのを感じている。みんながタスキが渡るのを待っていたのだと思う」。
 前作『エンジェル・フライト』では、死と向き合い、人を弔うとは何かを書いた。今回は絶望からの再生がテーマとなった。
 「人はどんなに絶望的な状況にあっても、ふと顔を上げる瞬間がある。そこで空の美しさを感じたりする。そのときの顔を書くことができたのがうれしい」
 「紙はあるのが当たり前だと思っていたが、彼らによって造られ、出版文化は支えられている。あそこから来た紙が私の作品を載せているんだと思うと、とても大切な一冊になった」
 巻末には日本製紙石巻工場8号抄紙(しょうし)機で造られた紙を本文に使用したことが明記されている。
 (都築和人)

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