本の手触り、読書の「錨」 装幀家・菊地信義が作品集

2014年08月19日

菊地信義

 1万数千点の本を手がけてきた装幀(そうてい)家、菊地信義(70)。1997年から17年間に装った約6千点の本のうち、約1400点を『菊地信義の装幀』(集英社)にまとめた。グローバル化が進み、画一化が避けられない時代。装幀を、読者それぞれが心におろす「錨(いかり)」にしようとしてきた。
 77年に装幀家になった菊地は「本の物質性」を大切にしながら、古井由吉や谷川俊太郎らの現代文学や詩の本を多く手がけてきた。
 本の風合いは読書の記憶を呼び起こすものだ。共感、反発、疑問。装幀は形の違う「錨」として心に沈む。だから「広い読者を迎え入れる姿を作る」と思ってきた。「そのために作品の本質に迫る必要がある」
 代表作の一つ、平野啓一郎の小説『決壊』。ネット時代に起きた遺体損壊殺人を描く。菊地は、タイトルの漢字2文字をモノトーンの表紙の大半に広げた。本の小口は黒塗りにされ、それぞれの読者の指紋がページに残されていく。「今に生きるどんな人にとっても、この小説は無関係ではないという作者の思い入れとも合致していた」。平野は本書の解説にこう寄せた。
 近年は電子化が進み、読書から手触りが消える時代を迎えた。「表面的な情報だけが消費され、個別性が失われている」と感じる。
 菊地は「受け止める側の感情まで制御されている」と指摘する。例えばテレビでは、映像を見るタレントの表情が画面によく挿入される。「ワイプ」と呼ばれる技法だ。「見る人の批評の自由を拒んでいる。『こう感動して下さい』と心まで用意する。だから見た人は『感動をありがとう』となる。感動は自ら選び取るもののはずなのに」
 「与えられる消費者」ではなく「選び取る読者」に。本は心を作る道具になると言う。「そう気づいてもらうための、十数年の戦いの痕が作品集です」
 タイポグラフィー(文字の配置)を武器にする。文字はパソコン上で自由自在に変形できるようになった。だがそれだけだと、文字の手触りを伝えるのが難しくなる。「画面上だけで扱うと、文字が表面的な観念だけになってしまう」。だから印画紙を使っていたときの手触りを意識する。印画紙を折ったり、曲げたりした感触を思い出しながら、画面に向かう。
 成功しても、同じ手法は二度と使わない。「画一化にあらがい、消費されないように。僕は、徹底的にずらし続けるしかない」
 そうして生まれた本を手に、読者は自ら心を育てていく。「消費社会が用意した心に絡め取られず、読者は自分の感動を自分の言葉で語れる。消費者が減って、読者が増えてほしい」
 「ここに、本がある」。帯にはそう書かれている。(高津祐典)

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