言葉は自分自身を救う 膠原病との「未闘病記」刊行 笙野頼子さん

2014年09月30日

笙野頼子さん

 患者の数だけ病状があるという膠原(こうげん)病と認定された作家の笙野(しょうの)頼子(58)が『未闘病記』(講談社)を刊行した。長年苦しんできた持病は判明したが、わからないことだらけ。笙野は「治療すれば普通は生きられる病。でもやはり難病です。数々の困難を、逃げずにきちんと書きたかった。初のリアルな私小説」と話す。

 昨年2月、高熱と全身の激痛に襲われた。動けない。〈骨に錘(おもり)がついている〉。〈五感全部が苦痛〉。恐怖。〈SFかカフカか〉

 診断は「混合性結合組織病」。膠原病の複数の症状が出る自己免疫疾患だ。現在は筋肉、関節と皮膚の炎症を薬で抑えている。「私は内臓が無事で軽症です。重症の方に申し訳なくて」。だから、闘病記に「未」とつけて題名とした。

 10代から症状はあった。異様な疲労や眠気、皮膚のかゆみ。体調が良いときと悪いときの差が激しく、誤解されるもとにもなった。「病と思えぬ」がゆえに罪悪感もあった。30代半ば、突然手の指が腫れ痛みが全身に広がった。接触性湿疹と診断された。この時のことは小説「なにもしてない」に詳しい。

 野間文芸新人賞、三島賞、芥川賞と純文学の主要な三つの新人賞を受けた初の作家だ。「『私』だけで他者がいない小説、と言われたこともあった」。論争も受けて立つ「闘う作家」というイメージも。病気とも闘ってきたのだが、病気が他者として作家と伴走していたともいえる。猫もいた。創作の源でもあった。

 「小説の中の『私』は、私自身から切り離されたフィクションの存在。今回、難病だけど軽症という中ぶらりんなりに、世界を眺める道具としての新しい『私』を書こうと思った」

 膠原病のことは何も知らずに30年以上書き続けてきた。理解されにくい病気として世の中に見えにくくされているのではないか、とも思う。情報が不足しているために、背景や実情、支援制度があってもわからないまま、誤解を招くことも多いのではないか。

 「軽症で働ける人も、しばしば病名を隠して就職する。若くまだ低収入の人は、サポートなしでは定期検査なども受けず、手遅れになるかもと心配です。日本の制度にはすべてを失わないと助けないという、歪んだモラルがある。すぐ自己責任とかいうが、余裕をもって大事になる前に防いでこそ個人を救い、国を救うことになるはずです」

 わかりやすいことだけではなく、自分の目で、偏見なしに誠実に文脈を見ることが大切だ、と考える。

 「戦争をしたら確実に死ぬ人がいる。近所付き合いレベルの感情論で国を動かしてはいけない。どんな政治家でも選挙で選んだんだからしょうがない、というのも違う。選挙だって情報操作で誘導されることも。文脈、行間を見てないと惑わされる」

 2011年から立教大学で特任教授として勤める。「物事を関係性の総体としてとらえ、『私』を書けば小説になる」と教えている。〈悩んだら目の前のものを書け/書けなかったら書けない理由を書け〉と。自身は〈難病というこの荷物を殺せないから書く〉。

 病の先は見えない。「でも、激痛の最中でも、これを書こうと覚えていたんですよ。言葉は自分自身を救う。言葉が出る限りは書き続けたい。できればユーモアと共に」

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