規範に従う生、鋭く問う 羽田圭介「メタモルフォシス」

2014年10月07日

羽田圭介

 厳しいノルマに追われる証券マンと、SMクラブの女王様に命じられるままに従う「奴隷」という二つの顔を持つ男を描いた羽田圭介の『メタモルフォシス』(新潮社)が刊行された。物語の設定は特殊だが、日々の生活の中でいつのまにか刷り込まれた世の中の規範に、いかに抵抗して自分らしく生きていくかを問いかけた意欲作だ。先の芥川賞候補になった表題作のほか、「トーキョーの調教」を収めている。

 羽田は「自分なりに生きろとのメッセージを込めた」という。背景には、何をするにもネット上のレビューを検索して決める今の風潮に対する疑問がある。
 「映画を見終わった直後に検索して他人の感想を自分の感想のように語る。自分の感情すら人の価値判断に任せている。買い物や食べる店も口コミを読んで決めている」
 同じことが羞恥(しゅうち)心についてもいえると考える。「教育や刷り込みによって恥ずかしさの基準が植え付けられ、外部の規範にがんじがらめになっている」
 主人公のサトウは、SMクラブの女王様から上野公園の暗がりに半裸で置き去りにされる「野外放置プレイ」に快楽を見いだす。
 「恥ずかしさに耐えるという快楽を享受しつつ、なぜ裸になってはいけないのか、世間や社会が作った規範を無自覚に受け入れすぎているのではないかと疑問に思う。そんないらだちがあり、サトウは、マイノリティーとしてひそかにレジスタンス(抵抗)活動をしている」
 プレイは次第に激化して生死の境をさまようが、サトウは「自分は死にたくないはずだ」と思う。一方でその「根拠の乏しさ」にも気づく。その根拠を求めて、女王様と向かうのが樹海だ。そこでの放置は「死」をも意味する。
 「サトウは、証券マンと『奴隷』というまったく異なる二つの中身をスイッチで切り替えているが、それは逆説的には外側の状況に自分が左右されているに過ぎないということ。人間は自分で思っているほど、中身はないのでないか。SMクラブにお金を支払うという行為でスイッチが切り替わり、自分の中身が変わることを彼は自覚している。自分の意識や肉体を他人事(ひとごと)のように見られる余裕が生まれる」
 「メタモルフォシス」というファンタジー小説のようなタイトルに引かれてうっかり手に取ると、しっかり毒を盛られそうだ。
 「生きたいように生きられない現代の負の側面をあらわにしたかった。本当にすぐれた小説は体制を転覆させる力や、既存の概念を壊す力があると思う。ゆくゆくはそういう小説を書いていきたい。そのスタートのスタート段階。油断して手に取ったらとんでもない目に遭うかも知れないぞという思いを込めた」
 (都築和人)

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