独の侵略受けたポーランド ピオトル・シェトケビッチ氏

[文]宮代栄一  [掲載]2015年05月19日

ピオトル・シェトケビッチ氏(アウシュビッツ博物館リサーチセンター長) 拡大画像を見る
ピオトル・シェトケビッチ氏(アウシュビッツ博物館リサーチセンター長)

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 東アジアでは「歴史認識」をめぐる対立が続いています。歴史認識とはどのように形成されたのでしょう。世界各地の事例を考えることで、融和の糸口を探っていきます。今回は、第2次世界大戦でドイツの侵略を受け、「ホロコースト」の舞台にもなったポーランドについて、アウシュビッツ・ビルケナウ博物館リサーチセンターのピオトル・シェトケビッチさんに聞きました。

 ■被害者であり、加害者だった

 ――アウシュビッツ収容所について教えてください

 元々はナチスドイツが、ポーランド南部のオシフィエンチムという土地に造ったポーランド人政治犯のための施設でしたが、やがてユダヤ人の絶滅収容所となりました。少なくとも200万人以上の人が命を落としたと言われています。

 ――ご自身もゆかりがあるそうですね

 私はオシフィエンチム出身です。また、祖父はここでドイツ兵に射殺されました。彼は第2収容所を建てるために近くにあった自宅から追い立てられたのですが、お気に入りのクッションを取りに行き捕まったのです。祖母も強制労働をさせられました。アウシュビッツというとユダヤ人のイメージが強いのですが、実際にはポーランド人の収容者も多かったのです。

 ――ドイツに対し、ポーランドの人はどのような感情を抱いているのでしょう

 祖母のような年配者の中には、今もドイツと聞くだけで身震いする人がいます。実際子どもを虐殺するなど、本当にひどいことがありました。私自身、研究者としてプロに徹しようと思っていますが、関係史料を読んでいて、あまりのむごさに仕事が続けられなくなることが時々あります。しかし、戦争を起こしたのは、ドイツでも一部の人だということは私たちもわかっています。若い世代では、祖母たちのような感情は薄れてきていると言えるでしょう。

 ――補償はされたのですか

 人体実験にあった人などは補償を受けましたが、多くの被害者は何ももらっていません。強制労働をさせられ、親や子を殺された人が個々に賠償を求めたら、ドイツも払いきれないでしょう。それに賠償の話をすると大抵、「連合軍も私たちの町を壊したじゃないか」といった話になるのです。個人的には少しでいいので、生存する被害者に補償してほしいとは思っています。

 ――アウシュビッツから私たちが学ぶべきこととは

 異なる考え方を持つ人や過去の歴史を糾弾するのではなく、受け入れること。歴史の真実を伝える大切さを常に認識していくことでしょう。


 例えばポーランドでも戦前、ユダヤ人迫害がありました。解放されたユダヤ人が自宅に戻ったところ、そこにいたポーランドの農民に殺されたといった話もあります。私たちは迫害を受けましたが、加害者でもあった。そこから目を背けてはいけません。

 なぜポーランドはドイツに侵略されたのか。再び同じことを起こさないためにはどうすれば良いのか。隣り合う国で文化もよく似た人間が、なぜ一方の国の人間を平気で殺すことができたのか――。私たちは常に考え、永遠の課題として、次の世代へ伝えていかなければならないのです。
    ◇
 ピオトル・シェトケビッチ アウシュビッツ・ビルケナウ博物館リサーチセンター長。1963年生まれ。専門はジェノサイド史、ポーランド現代史。

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