日中の歴史、客観的に伝える 浅利慶太さん「李香蘭」

2016年08月17日

浅利慶太さん=山本倫子撮影

 企画・構成・演出した「李香蘭」を考えたのは、まだ戦後50年たっていなかったころですが、戦争を体験した世代が徐々に減っていたんです。日本が敗戦に向かっていく道筋を、歴史の真実を直視して、次の時代の人に伝えたいなと思って、それは僕たちの責任でもあるなと。

 西欧の翻訳作品を数多く手がけましたが、やっぱり自分たちの国の実感として、感じられるものをやりたいという思いがありましたよね。

 小学3年で太平洋戦争が始まって、敗戦が中学1年です。あの時代を描くのはどうしたらいいかと考え、山口淑子(よしこ)さんの人生を描くのが一番いいんじゃないかと考えました。そのころ、藤原作弥さんと共著で出された『李香蘭 私の半生』という自叙伝を読んで、これはいけるなと。彼女の物語をやれば、「蘇州夜曲」とか、「夜来香(イエライシャン)」とか、名曲も使えて、ミュージカルにもなりやすい。李香蘭はあの時代を流れていた一輪の大きな花ですね。その時代の流れが非常に重要です。

 ご本人も劇場に稽古を見にきてくれたんですが、途中で泣いて帰ってしまわれたんです。満州国建国の場面で、「13年しか続かなかった幻の」という歌詞が流れて、「涙が流れて見ていられません」と。

 李香蘭が裁判を受ける場面は、すべて事実だとも。見ていると今も自分が裁かれている感じがするとおっしゃっておられましたね。あそこで李香蘭を無罪にする裁判長の語る、徳をもってうらみに報いる「以徳報怨」の思想は、アジアの最も重要なモラルだと思います。

 初演の反響は予想以上でした。国内だけではなく、海外のメディアもとりあげてくれました。興味深かったのは、新聞では芸術や文化の面だけでなく、社会面とか政治面でも注目されて、反応があったことですね。歴史の真実を描いた作品だというご評価もいただきました。抵抗を感じる方もいましたね。もう戦争を忘れたいという人もずいぶんいますから。

 翌1992年には、中国の北京、長春、瀋陽、大連でも上演しました。すべて満席で、熱烈な歓迎でしたね。柳条湖事件によって奪われた故郷について歌う「松花江上」という歌の場面では、歌い始めから終わりまで、拍手が鳴りやまなかったです。カーテンコールでは、ミュージカルナンバーの一つで、「中国と日本 日本と中国 黒い髪、黒い瞳 私たちはきょうだい」という内容の歌を中国語で歌ったんですが、拍手と、「ハオチーラ」、最高の賛辞なんですが、その大歓声でした。あの言葉を今でも覚えています。

 中国とは仲良くやらなきゃいかんと思ってますよ。僕も、80代になっちゃったんで、しょっちゅう中国に行くとか、交流するとかってことはなくなりましたが、日中は親しい関係でいなきゃいけませんね。対立するとか争うというのは絶対にいけません。日本の存立にかかわります。

 敗戦から70年以上たって、若い世代がね、日本の歴史を知らない人が多い。だからやっぱり、イデオロギーに左右されることなく、歴史の真実というのを客観的に分かってもらいたくて、今もこの作品を上演するんです。演劇、ミュージカルという形は、わりと若い人たちの心に入りやすい形ですから。

 「こんなことがあったんですか」と、見てくれた若い方が言ってくれます。同じ日本の国で、このあいだあったことなのにと思うんですけど、戦後、変わったんですね。ことに最近はそれが強い。歴史を教えてない部分もあるでしょうし。敗戦の歴史というのはなかなか教えられないかもしれない。大陸で日本が犯した罪というのもありますから。

 歴史というのは、誇張したい部分、書きたい部分、どこの国にもありますね。それはやっぱり客観的に表現しなくちゃいけない。この作品は日中の歴史を客観的に表現した作品だと自信を持っています。お客さんがそれを一番よく理解してくださっているから、何回も何回も上演できています。(聞き手・星賀亨弘)
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 あさり・けいた 1933年、東京生まれ。53年に劇団四季を結成。「アンドロマック」「ジーザス・クライスト=スーパースター」「キャッツ」などミュージカルや演劇の作品を演出し、各地に専用の劇場を設けた。98年の長野五輪では開閉会式をプロデュース。2014年に四季の代表を退いたが、演出家として活動を続ける。

■「李香蘭」(1991年初演)
 戦前、日本人の山口淑子として生まれながら「歌う中国人女優」として活躍し、日本軍の宣伝工作にも協力することになった李香蘭の半生を描くミュージカル。“男装の麗人”川島芳子を狂言回しに、満州事変、日中戦争、特攻、ソ連の対日参戦など、日本が戦争にのめりこみ、敗れていく姿を追う。再演を重ね、9月3日からは東京・浜松町の自由劇場で上演される。

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